明日ちがう屋根の下

夫婦世界一周3年半の旅!73の国と地域へ訪問!大まかな旅路→フィリピン留学→オーストラリアワーホリ→NZからアラスカへ渡り陸路でアルゼンチン最南端ウシュアイアへ→南アフリカから陸路でエチオピア→キルギスから陸路でヨーロッパ→中東→南アジア→東南アジア→中国→韓国→帰国!

カナダ~ユーコン川下りカヌー 人生初の完全な野生の世界~

6月9日、アメリカ大陸縦断旅行、2ヶ国目であるカナダへ入国した。手続きは簡単。シャトルバスから降りることなく、ドライバー経由でパスポートを税関に提出し、今までにカナダ入国したことあるかと質問されただけだ。ものの5分でシャトルバスは国境を越えた。さて、ここから大国カナダの旅が始まった。

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ドーソンシティ(Dawson city)

国境を越えて、しばらくトップ・オブ・ザ・ワールドハイウェイの砂利道を走り、夕方7時頃、ドーソンシティに着いた。ユーコン川を渡るための橋はこの道にはなく、船に乗る必要がある。(岸は近いため、ほんの5分のみ)

町中はゴールドラッシュ(1896年に金が発見され、数年にわたり栄えた町のようです)時代を復元していて、19世紀の風の街並みが残っている。道路も砂利道だ。

大河ユーコン川沿いの町でもあり、ホワイトホースからドーソンシティまで15日間程かけて、カヌーで来る人もいる。我々はシャトルバスの乗換でドーソンシティに宿泊。※アンカレッジからホワイトホースまで陸路で行く際ディナリ国立公園やフェアバンクス経由するためには、アラスカユーコントレイルのシャトルバスしか手段が無く(我々の調べた限り)、フェアバンクスからホワイトホースまでは2日を要する。(ドーソンシティで1泊要)また、スケジュールは週に3日しかないため、タイミングを計る必要がある。

シャトルバス

アラスカユーコントレイル

予約はメール若しくは電話で可能。予約システムが無いため、直前の場合は電話で予約した方が良い。ディナリ国立公園観光後、フェアバンクスに行く場合は、事前に予約すると割引がある。(別個で予約するよりも若干安い)

●宿泊先

CAT’S PYJAMAS HOSTEL

カナダの物価はアラスカよりは安いが、ドーソンシティにはホステルが少ないためだと思うが、ドミトリーで一人30ドル以上した記憶がある。そして、ホステルは古く、傾いていた。2泊はしたくないホステルだった。

初めて会った、同じ旅の価値観の人とは?

ドミトリーで一緒の部屋だった、インド人の旅人とお互いの旅の話しをしていると意外にも共通点があった。彼は、既に旅を11ヵ月終えていて、ユーラシア大陸横断、縦断(ロシアからインドネシアまで)、アメリカ大陸は、最南端の町ウシュアイアからここドーソンシティまでバスと船(コロンビアからパナマシャトルバスが通っていないため、船(ボート)に乗る必要がる)を乗り継いで来たとのことだ。コロンビア→パナマは船で5日かかり、途中で島にも泊るらしい。その船はボートで4,5人の乗客と数人の船員らしいが、それはもう揺れまくるらしい。彼は人生で初めて船酔いをしたらしい。それは猛烈に酔ったらしいが、3日目からは慣れて問題なかったという。5日間のボートは食事付きらしいが、シェフは大波に揺られながらも態勢を保ち見事に料理していたらしい。それに彼は「彼はプロだった」と感銘していた。しかし、そんな揺れながら火を扱うというのは危なくないのか。。僕は初めて、同じ旅の価値観を持った人にあった。自転車で旅をしている人たちは、縦断、横断にこだわると思うが、公共の交通機関で旅をするバックパッカーでは、それにこだわる人は今まで会ったことがなかった。意気投合した我々はしばらく旅について語り合った。彼は残り1ヵ月かけて、カナダの最北端に近いInuvikまでバスで行き、旅を終えるらしい。旅が素晴らしかったことを話す一方で、世界には似通っている場所が多くてつまらないこともあったらしい。今、中米のニカラグアで記事を書いているが、それは確かにそうかもしれない。アメリカ大陸もアメリカ以北はイギリス系の植民で、メキシコ以南はブラジルをポルトガル入植を除き、スペイン系だ。我々もメキシコ以南、ニカラグアまで多少違いはあれど似ているところを多く見てきた。彼はアフリカには金銭的な問題で行けなかったらしい。また貯金して、2,3年後にアフリカに挑戦すると言っていた。歳は45歳。カナダの永住権を持っている彼は、エンジニアとして仕事は簡単に見つかるらしい。また、一人自由に生きている人と出会ったようだ。タイミングが合わず、連絡先を交換できなかったことが残念だ。

ホワイトホース(Whitehorse)~カヌー11日間の旅~

6月10日夕方、ホワイトホース入りした。アラスカユーコントレイルの良い点は、ホワイトホース市街地であれば、指定のホステルまで送り届けてくれるところだ。市街地であれば、追加料金は発生しない。ホワイトホースのホステルは少ない。そして高い。滞在したホステルは、ビーズ ニーズ バックパッカーズ(Beez Kneez Bakpakers)

プライベートルームで綺麗でオーナーも愛想が合って良いのだが、プライベートルーム83.5ドルと割高。そして、翌日我々の北米最大のイベントであるユーコン川カヌーに向けてアポイントを取った、クロンダイクカヌーイングレンタルズ(KLONDIKE CANOEING RENTALS)へ。古くて少し怪しい建屋に入り、「すみませーん」と声を掛けると、奥からおじさんが現れた。

軽く挨拶するなり、「奥へどうぞ」と建屋の裏のキャンピングカーの中にオフィスがあるらしく、そちらに伺った。中にはクロネコが1匹いて、社長はそのクロネコを見るなり抱きかかえ、「クロちゃ~ん♡」と可愛がっている。怪しいが悪い人ではなさそうだ。一見口数が少なさそうな雰囲気ではあったが、腰を下ろすなり、我々の旅のことや社長が所属するNPOの話しなどで盛り上がった。怪しいどころか、素晴らしい人だった。そして、本題のカヌーレンタルの話しに入った。我々が初心者だったため、本流ユーコン川を初っ端から、下るのは危ないこと、テスリン川(ユーコン川の一つの支流)を行くにしても、半日トレーニングしてから望むことが、安全に関してとても重要なことを誠実に説明してくれた。値段も他社に比べて安いこともあり、話しの流れの中で、我々は既に社長にお世話になろうと腹を決めた。展開も早く進み、その日にトレーニングをすることになった。契約成立である。我々としても、選定に時間をかけていられなかった。ホステルに延泊すればコストがかかる。即決に越したことはないのだ。そして、社長との出会いが、我々の旅を充実させるものとなった。トレーニングは近くの湖で3時間ほどだった。我々はカヌーの予算にトレーニングは含めていなかったため、痛い出費ではあったが、カヌーに乗って数分もしたら、トレーニングの重要性を感じた。カヌーは操作を間違えるとカヌーは意図した方向に動かない。たまたまその日は風も強く、カヌーは2度ほど操作ミスで大きく揺れた。ユーコン川での転覆は命に関わる。社長にみっちり教えてもらって、何とか方向転換、岸への寄せ方、降り方、その他一般的なカヌーの常識について身体で習う事ができた。このトレーニングは後に川の上で、大きな役に立つことになった。

翌日近くのスーパーで約12日分の食糧を買い込んだ。また、ホームセンターなどでブルーシート、着火剤、ライター、釣りのライセンス(ユーコン川で釣りをするためには、ライセンスが必要)など必要最低限のモノを買い込み、クロンダイクに戻る。戻るなり、初めてのカヌーなので勝手が分からないまま、社長に指示をもらいながらレンタルした樽の中に食料や道具を入れ始める。当初は節約から1樽借りる予定だったが、全然足りず2樽借りることにした。我々は、旅の勢いで大河ユーコンに挑戦するミーハーなので、何もかもが初めてで、準備に時間がかかる。釣り竿を借りるとき、「どうやってこの竿使うんですかね?」と社長に聞くと、「釣りも初めてなの?」っと驚かれた(笑)釣りは、石田ゆうすけさん(世界一周チャリ旅本の著者)がユーコン川でサーモンを釣りまくったと聞いていたので、絶対挑戦したかったのだ。社長は呆れながらも、丁寧に使い方を教えてくれた。ユーコンではグレイリング(Grayling)とパイク(Pike)という魚がよく釣れるらしく、釣りのポイントなども教えてくれた。不慣れながらも、社長のアドバイスを聞きながら荷造りが完了。そして、今回のスタート地点である、テスリン川(Teslin River)のジョンソンズクロッシング(Johnsons crossing)まで向かった。

ホワイトホースから車で約2時間くらい。練習したとはいえ、たったの3時間だ。スタート地点に近づくにつれて段々不安になってきた。ほっほんとに約2週間、熊のいる大自然の中、野宿で大丈夫だろうか。転覆して災難にならないだろうか。事前に分かっていたことだが、天気予報は雨続き。スタート地点は運よく曇りだった。スタート地点に着き、社長の指示のもと着々と準備は進んでいく。

転覆しても水や食料、テントなど野宿に必須なものが川に流されないように、しっかり結んでいく。

そして準備完了!!!もう後には引けない。初めてのカヌーで大河ユーコンに挑戦するのは、聞く人が聞いたら驚くのだと思うが、夫婦とも運動神経には自信があるほうだし大丈夫だ!!そして、不安を抱えながら写真撮影。ド素人が大河をカヌーで約2週間、約370kmの川下り。興奮と不安が入り混じった中、出発した。

出発は夕方5時くらいだっただろうか。雲はどんよりしている。しかし、この時期のこの地域に真っ暗な夜が訪れることはない。少し薄暗くなる程度だ。初日は、たったの5km地点のGood Camp(野宿なので設備はないのだが、比較的野宿し易い場所が予め地図(購入品)に記されている)で野営する予定だったが、初日で慣れていなくどこがそのGood Campなのか分からない。社長は、見ればすぐ分かるよと言っていたが、初心者の我々にはそこがどこか分からなかった。

結局、誰もキャンプしていないような、単なる湿地帯で野営。。。。この時は、初日でGood Campがどんなところか知らなかったのだが、シーズン初めとはいえ、過去かが焚火した後もない。間違いなく、これは、、、Good Campではない。(笑)夜中(暗くはないが)に動物の足跡が聞こえると、熊かもしれないと恐怖心に陥り、枕元に置いてある熊除けスプレーとナイフを握りしめ、ビクビクしていた。因みにナイフは戦うためではない。テントを切り裂いて、外に逃げるためだ。これも社長に教わった知識だ。とんでもないことを夫婦で挑戦してしまったのではないだろうか。生きて帰れるのか。笑える話しだが、この時は本気でそんなことを考えていた。(笑)雨が降らなかったことが、救いだった。

眠りは浅く、朝早く起きた。焚火もできない状況のため、寒さを我慢しながらパスタを作って食べた。カヌーは少し自転車と似ていて、空腹になると非常に辛い。そのため、食事は非常に大事になってくる。

食事をさっさと済ませ、2日目スタート。約12日分の食糧は積んでいるが、転覆などで食糧を失わないとも分からない。我々は1日約40kmで計算し、10日以内で今回のゴール地点であるカーマックス(Carmacks)に着くように計画を立てた。しかし、朝7時頃から漕いでいるにも関わらず、33kmしか進まなかった。テスリン川からのコースは、テスリン湖の出口からスタートのため、流れが遅く数日間はなかなか漕いでも漕いでも進まない。

しかし、2日目は狙い通り、Good Campに辿り着き、焚火もできたため少し余裕が生まれた。人間、暖がとれることでこれほど安心できるものなのかと思い知らされた。何か希望が出てきた。よっしゃ楽しんでいこう!!

朝靄がとてもきれいで、天気も悪くない。自然と笑みがこぼれてきた。我々以外に人はいなく、周りは大自然と動物だけ。自然んに溶け込んでいる自分たちがとても快活だった。

人工音の全くない世界。リスや鳥の鳴き声、そしてオールを漕ぐピシャ、ピシャという音だけが鳴り響く。とても快活な気分で3日目が始まった。

しばらく二人とも無言で漕いでいると、左側にムースが現れた!!(ヘラジカ。この時期はあの勇ましい角は抜け落ちているらしい)アラスカのディナリ国立公園でも遠目で一瞬しか見れなかったのに、カヌー中に見ることができた!ムースは警戒心が強いため、オールを止めて見つめていると、森の奥に入ってしまい見えなくなった。

動物は昼の暑い時間帯には姿を現しにくいため、朝が絶好のチャンスだ。(我々が見たときはだいたい9時頃だったか)初日の恐怖が嘘かのように、カヌーを楽しみ初めていた。

しかし、

午後、我々の背後からグレーに塗り潰された雨雲が徐々に我々の頭上にやってきて、我々の一番恐れていた雨が、いよいよ降り出したのだ。雨はだんだん強くなり、危険を感じた我々は地図を確認して最寄りのGood Campまで急いだ。

気温が低い上に、大雨。最悪のコンディションだ。大急ぎでテントを張ったが、身体中びしょびしょ。震えるほど寒く食事も取れずに、テントで雨を凌いでいた。ユーコンの雨は、気分屋で長くは降り続かないと社長も言っていたしすぐ止むさ。しかし、雨は一向に止む気配がなく結局朝まで降り続けた。雨はテントに大きな音を立てて降り、我々の不安を駆り立てた。「このまま数日降ったらどうしよう。」昨日の朝の勇敢な気分はどこに行ったのだろう。。。このまま雨が降り続き、1日10km、20kmぐらいしか進まなかったら食料はどうしよう、寒さで奥さんもテントの中で震えている。高熱でも出したら本当に生きて帰れないのではないか。3日が経ってまだ他のカヌーを見ていない。3日も人間に合わなかったことなんて今までの人生で一度もなかった。来てはいけない時期に来たのではないのだろうか。......また、不安で頭が一杯になった。そういえば、ホワイトホースを出る前に、社長と雨続きの天気予報を見ながら、出発日変えてもいいんだよ。と社長から言われたのを思い出した。その時は、食料も多めに積むし、雨が降ったらテントでのんびりしときますよ~。なんて呑気なことを言ったのだと後悔した。

しかし、生き延びねば!!!

とこの時は決してこの言葉が大袈裟とは思えないほど焦っていた。朝9時頃、雨が止んだ。前夜に夕食を取っていないため、空腹のはずだが、寝袋から出るとやはり寒い。とにかく暖が必要だった。しかし、焚火しようにも木は濡れている。着火剤は持っているが、木が濡れていては意味をなさない。ここで、また社長のから教えてもらったことが役立った。このエリアはspruce(スプルース)という針葉樹で覆われている。どこを見渡してもスプルースだらけだ。スプルースは杉のように背の高い木だが、ひょろ長いクリスマスツリーのように、下の方に枝はモサモサ広がっていて、大雨が降っても上の枝葉でギッシリ覆わていて下の枝葉は濡れていない。そして、枯れた枝は我々の手の届く範囲にある。そして、この枝は火付けにとても有効で、すぐに火が燃え広がる。2人で手分けして必死にスプルースの枝を集め、火をおこし暖を取ることに成功した。不思議と身体が温かくなっていくと、急にお腹が空きだしたのだ。暖がとれ、空腹が満たされた。すると、また勇気が湧いてくるではないか。雨が止んでいるうちに急いでテントをたたみ、出発した。しかし、我々の祈りとは裏腹に雨はまたパラパラと降ってきた。雨が強くならないうちに、少しでも多く距離を稼いでおきたい。2人とも一生懸命漕ぐが、カヌーは思うようには進まない。頑張って力むと、肩が凝りだすし腰も痛くなる。そして、また雨は大粒になっていき休憩場所を探していた。どこか雨宿りできるところが無いか必死に探していると、浅瀬付近に逆さになっているカヌーが数隻見えた!!!ってことは、左上を見上げると5人以上の人がいた!!!「ハロー!!!」我々は見ず知らずの西洋人に対して、旧友にでもあったかのように大声をあげて喜んだ。人に会ったからといって、雨は止む気配はなくむしろ状況は悪いのだが、同じ環境化で旅をしている人がしかも8人(ドイツ人のツアーの人たち)もいて一気に安心した。人間の心理というのは面白い。ジャーマンたちはとてもフレンドリーで、凍えそうな我々にコーヒーも出してくれた。彼らは、今夜そこに野営することを聞いて、2秒ほど、晩飯もご馳走になりたいと下心が頭をよぎったが、さすがにそれは甘え過ぎだ。幸い雨も止んできたため、少し先のGood Campへ向かった。幸運なことに雨は止み、少し太陽が見え隠れする状態までなった。社長に教わった技術を駆使し、少し流れが速くなっている場所でも無事にカヌーを止めることができた。

昨日ビショビショになった衣類やシートを少しでも乾かそうと、木の枝と枝に洗濯紐を吊るして干した。焚火で暖を取ると、次は身体が妙に痒くなってきた。それも当たり前だ。もう4日も身体を洗っていない。よし。川にフルチンで飛び込もう。ジャーマンたちは数キロ手前で野営している。目の前を通ることはない。服を脱ぐまでは良かった。久々に身体を洗える喜びと、明るい中(この時期のこのエリアに夜はない)フルチンで川に向かう恥ずかしさが入り混じったが、大自然の中ではそんな恥ずかしさは関係ない。っと川に足をつけた瞬間血の気が引いた。氷水のように猛烈に冷たいのだ。反射的に3歩ぐらい下がった。結局、足もつけれず、川に足がつかないようにして水を両手で救い、髪をちょこっと濡らして、脇をちょこっと指で撫でて、股間を先っぽだけ触る程度で終わってしまった。(笑)6月14日時点では川の水温は異常に冷たく、とても身体を洗えるものではなかった。お湯を沸かして、タオルで身体を拭くのが賢明だ。この日、転覆の恐ろしさを想像した。転覆は人命に係わる。これは間違いない。

この日も夜通し雨が降ったが、もう以前のように怯えることはなかった。出発前にまたムースがひょっこり数十メートル先に見えて、テンションも上がった。この日は出来る限り距離を伸ばしたかったが、生憎の雨で予定より手前で野営先を探していた。すると、少し手前でお昼休憩中だった我々の前を通り過ぎていった西洋人夫婦がPotential Camp(キャンプ可能な場所)で野営の準備をしていた。雨も強くなってきそうな雲模様だったため、同じキャンプ地いいかどうか少し迷ったが、カヌーを止めることにした。

5日目でユーコン川との合流地点まで55.5km地点まできた。

彼らは我々を見るなり、雨の中駆けつけてくれてカヌーを止めるのを手伝ってくれた。オーストリア人夫婦とのことだ。この出会いが今後の我々のカヌー旅行をとても有意義で楽しいものにしてくれた。

彼らから、焚火のイロハを教わったのだ。彼らに会うまで我々の焚火は「火遊び」にすぎなかった。スプルースの細い枝だけをかき集めロクにノコギリも使わずに手で枝を細かく折り、火を焚いていた。枝は細い為、すぐに灰になってしまうため都度枝を集めに行かなければならなかった。連日の雨で、太い枝はびっしょり濡れていて使えるとは思っていなかった。しかし、この夫婦たちは、20、30cmの丸太を10本くらいストックしていて、火は安定して燃えている。そうか、樹皮で覆われている幹は雨でも中は濡れていないのか。アウトドアしている人なら常識かもしれないが、我々にとってこれはとても嬉しい情報だった。つかさず、森の中へ倒れているスプルースを探しに行った。スプルースはひょろ長い木のため、風に弱く古い木は倒れている。無論、その古い木が焚火に打って付けなのだ。早速、長い丸太を拾ってきてこの旅初のノコギリを使用.....全然切れない。旦那さんが手取足取り教えてくれる。それでもなかなか切れない。刃が引っかかってすぐにつっかえてしまう。しかし、旦那さんがするとギコギコとスムーズに丸太は切り落とされた。「木をしっかり固定し、力を入れずに真直ぐ下に切っていくんだよ。」助言に従い、徐々に上達して何本か丸太を切り落とせた。それでも旦那さんのようにスムーズにはいかなかった。「火を点ける時は、スプルースの細い枝を下にして、細い丸太を上に置くんだ。細い丸太に火が点いたら太い丸太を上に置くんだよ。」安定して燃え上がる焚火を4人で囲んで皆で温まった。我々は濡れた衣類を乾かそうとしていると、斧で枝の先っぽを削り、焚火の横にさしてくれて乾かしやすいようにしてくれた。なるほど。このオーストリア人夫婦に教えてもらったことで、翌日からのキャンプがとても有意義なものになった。本当に感謝している。彼らは、自前のカヌーを家に持っているくらいカヌー好きで、たまに週末キャンプに出掛けたりするらしい。そして、今回の旅は約16日でドーソンシティ(Dawsoncity)まで向かうとのことだ。(ジョンソンクロッシングから約740km)我々が今回初めてのカヌーと伝えると、驚いていた。よくきたね。(笑)と。翌朝、「またその辺で」と軽く挨拶して、彼らは先に出発した。

この後、川の上で何度か遭遇して挨拶を交わしたのだが、彼らのカヌーの速さは我々と雲泥の差であった。後ろから漕ぎ方を見ていると、我々のようにカヌーがジグザグ進んでいなく、真直ぐぶれずに進んでいる。コースもしっかり川の流れをしっかり読んでいるように見えた。見よう見真似で漕ぎ方をマネしてみたら、少しずつ真直ぐ進むようになった。彼らは背中でも語ってくれたらしい。ありがとう。オーストリアのご夫婦。

この日からは、天気も良く雨が降ることもなかった。そして、ユーコン川に近づくにつれて、川の流れも徐々に速くなってくるので距離も稼げるようになる。社長の言う通り、初めの数日間でカヌーに慣れてきていたので、川の流れが速くなっても速く感じない。やはり初心者にはテスリン川をスタート地点にするのが良いのかもしれないと思った。天気も良く、距離を稼げると自然に心に余裕が出てくるものだ。

片方が漕いで、片方が横になるといったことをしながらのんびり進んだ。しかし、漕がないとカヌーは全然進まない。6日目でようやくユーコン川に合流した。約200kmを下ってきたのだ。残り170km地点まで来た。

空模様を見ていて、何となく今までのような天気にはならないと思うと、次はこの旅で絶対にしたかった、魚釣りにチャレンジした。

社長からの情報によると、テスリン、ユーコン川では、パイク(Pike)、グレーリング(Grayling)という2種類の魚が釣れると聞いていた。夫婦で交互にチャレンジするも、一向に釣れないのでこの日は諦めた。

ユーコン川に入ってからは、雨で苦しむこともなく(たまに少し降ったくらい)釣りに精を出した。釣りのポイントである、支流と本流の合流地点や、ため池っぽくなっているところで何度も試したが、1匹も魚がかからない。我々は衛星面から今回の旅に肉を持参していなく、毎日パスタとカレーと焼きジャガイモだ。何としても、新鮮の魚を食べたい。パイクとグレーリングのことを考えながらオールを漕ぎ続けた。そして、遂に我々は魚にありついた!!翌日6月19日(8日目)、我々は魚が連れやすそうなキャンプ地を探し、2つの支流との合流地点にて野営することにした。

野営の準備が終わると、魚を美味しく食した夢まで見た奥さんがそそくさと川に向かった。僕も先に行きたかったが釣り竿は1本しかないため、釣れた時のために焚火の準備を始めていた。

薪切りは自然と僕の仕事となっていた。そして、15分くらい経過した時、川から「◇△◆✖〇◎~!!!」と奇妙な叫び声が聞こえた!!!まさか!!??咄嗟に奥さんが川に落ちたか、熊に遭遇したか、何かとんでもないことが起こったと思い川の方に駆けつけると、「釣れた~!!!」と奥さんが魚を振り回しながら走ってきた!!!!

パイクだ!!しかも超特大!!70cm以上はあったはずだ。もう2人は興奮状態。まず、太い枝でパイクの頭をたたき気絶させ、川で頭を切った。熊が匂いを嗅ぎ付けるのが怖いため、頭は切った後にすぐに川の本流に投げ捨てた。その後、内臓とエラを取り除き、用意済の焚火で塩焼きに!!焼けるまでの時間が待ち遠しくて、すごい長く感じた。

何回か焼ける前にアルミを開けてしまい、まだ早いと注意される。そして、お待ちかねのパイクの塩焼き!!!!!

猛烈にうまかった。釣ってから30分以内に食べるのだから当然だ。プリップリのお肉。この日の夜飯はこの魚一匹のみで十分にお腹が膨れた。絶対に忘れられない一夜(暗くはないが)となった。この後、もう数匹くらい釣れるだろうと期待していたが、残念ながらこの魚が最初で最後の魚となった。

魚こそこの後釣れなかったが、翌日違うかたちで嬉しい奇跡は起こった。

お昼休憩にある小さい島に上陸してパスタを食べていると、1隻カヌーが見えた。ん??何か見覚えがあるカップルだ。近くに行ってみると、何とアラスカからカナダに来た時に一緒のシャトルだったイギリス人とスイス人のカップルだ!咄嗟に、「ジョージ、アガタ!!!!」と叫ぶと、むこうもすぐ気付き、大声をあげている。何とユーコン川で見事に再会を果たした!!

彼らは自転車でアメリカ大陸を縦断しているのだが、ジョージが膝を怪我していてしばし休養が必要らしく、休養期間にカヌーすることにしたらしい。彼らも初心者だが、我々が懸念していたユーコン川からスタートし(ホワイトホースがユーコン川からの始点なのだが、ラバージ湖(Lake Laberge)という約50kmの巨大湖が難関となっている。湖は流れがなく進まないし、この湖は船も通るため、波にのまれて転覆する人もいるとのことで初心者には危険と言われている)、何とドーソンシティまで行くらしい。メールアドレスを書いた紙を渡しておいたが、未だに連絡が無い。彼らは大丈夫だっただろうか。我々のように研修もしていないため、カヌーの乗り方もかなりラフだった。飛び乗ってた。(笑)幸運を祈る。

因みにこの島でもうドイツ人夫婦にも会った。彼らは玄人で、ドーソンシティどころかアラスカの行けるところまで行くらしい。とんでもない強者だ。おおよそ1ヵ月くらいの旅路らしいが、特に日程は決めてないらしいが、食料は魚を釣り、野草を食べるので日程に余裕が持てるのだろう。しかし、ドーソンシティ以降も旅をする人は、我々がカヌー中に出会った人ではこのご夫婦しかいなかった。我々が今回初めてのカヌーと言うと、強者のご夫婦から意外なことを言われた。「カヌーは初めての時が一番楽しいよ。本当に冒険の気分だろう?」確かにスタートして数日間は、本気で身の危険を感じたし大冒険の気分だった。もうあんな体験はしたくないが、4,5日目以降は慣れてきて興奮度は下がってきている。彼らは昔味わった興奮をもう一度味わうために他の人が行かないような途方もなく長い距離、時間を費やしているのかもしれない。

素敵な出会い、再会を終えて再び、のんびり川を下った。

鹿の死骸を食べようとしている白頭鷲を見かけたり、写真はないがひょっこりリンクス(オオヤマネコ)を見かけたり、天気が良いと動物を見る機会も増える。

残り50km地点までやってきた。

もう残り50km。急げば翌日ゴール地点カーマックスに着いてしまう。ゴールを感じてくると、何かこの旅が愛おしく感じてくる。

このユーコン川カヌーは(テスリン川含める)景色がずっと変わらない。常にスプルース(針葉樹)が同じように見え、景色の変化に乏しいのだが、大河の流れをぼぅっと眺めるのも悪くはない。雨が山に振り、川をつくり、海に流れていくが、目の前でおびただしい水の量が永遠と流れているのを見ると、地球の大きさを感じてくる。

10日目、もう少し川を楽しもうと1日で行けるところを2日に分けることにした。2時間だけ漕いで、ゴールまでほんの18km地点で野営をした。

それが功を奏し、カナダ人とドイツ人のコンビと出会った。(写真はカーマックスにて)

彼らの出会いのストーリーがとても素晴らしかった。話しはこうだ。ドイツ人のフランス(右から2番目)は自転車でアラスカからロサンゼルスまでの旅の途中だった。しかしながら、カーマックスに着く頃に膝の痛みに耐え兼ねて、医者にいくことに。無念なことに、膝は手術が必要で旅を中断せざるを得なくなったらしい。旅はまだまだ序盤戦だった。フランスは相当なショックを受けて、カーマックスのスーパーマーケットの前で座り込んでいたらしい。そこでカナダ人ブライアンの登場だ。彼はホワイトホースに住んでいて、今回ドーソンシティからホワイトホースまでの自転車サイクリング中だったらしい。中間地点ともいえるカーマックスで、ブライアンは何かもの悲しそうにしているフランスに声を掛けた。話しを聞いた彼は、落ち込んでいるフランスに解決策があるとこう提案した。「膝が痛くても、カヌーならできるぞ」この提案にフランスは迷わずに乗った。ブライアンは自転車旅の途中にも関わらず、自転車の旅を止めて急きょ見ず知らずのドイツ人と旅をすることを決めたのだ。素晴らしい人だ。フランスも彼の誘いに対してびっくりしたと言っていたが、ブライアンの誘いが嬉しかったようだ。彼らはドーソンシティに向かった。フランスは今回の自転車旅を手術後、来年に持ち越しだと言っていた。正確な歳は分からないが、見た目から60歳は軽く超えているだろう。旅はいつになってもやろうと思えばできると思った反面、膝の怪我のことを聞き、身体が健康な若い時に思いっきりしておいた方がいい、そう思った。しかし、60歳を超えても自転車旅をしている人を見て、何か嬉しく思った。

そして、いよいよ最終日。残り18kmをのんびり下った。

ゴール寸前で最後に釣りをしたが、何もかからず。

6月22日お昼過ぎ。スタートから11日目。ようやくゴールのカーマックスに着いた。

カヌーから全ての荷物を陸に上げ、最後にカヌーを陸に上げたとき、無事に着いた安堵感と達成感でいっぱいだった。キャンプ場には売店から、少し遠いが2,3km歩けばスーパーもある。そして、念願のシャワーもある。熊に恐れる心配もない。一気に肩の荷が下りると、猛烈な勢いでシャワーを浴びたくなってきた。急いでテント設営して、シャワールームに急いだ。シャワーは有料でけっこう高い。記憶があやふやだが、3分2、3ドルした。バックパッカーの辛いところではあるが、節約のためシャワーに二人で10ドル以上なんて到底かけられない。3分1本勝負で11日振りのシャワーへ。3分しか無いうえに、初めはシャワーが冷たかったが温まるまで待てるはずはない。勢いよく頭を擦り、今までよく我慢できたなと思うほど擦れば擦るほど痒みが増してきた。1回では十分に痒みが取れず、2回シャンプー。最高に気持ちよく、頭の次は身体を垢すりで擦りまくる。こちらも11日振りだ。もう病みつきのように擦りまくった。時間を忘れていた。。。身体が泡だらけのうちに、ピタっとシャワーが止まった。。。それでも、爽快な気分には変わりがなかった。こんなシャワーの話しを一生懸命書く必要があったかどうか分からないが、とにかく快感であった。(笑)

カヌーの旅は本当に充実したものとなった。学ぶこともたくさんあった。それはアウトドアのイロハだけではなく、何にも人工物が何も無い中で過ごした11日間で、自然の中で生きる大変さを実感し、普段当たり前のように使っている水、ガス、電気、トイレ、シャワー、その他のもののありがたみを感じ、それを供給してくれている人たちの重要性をこんなにも感じたことは今までに無いだろう。全ては有限の資産であり、無限になんてない。そして一番良かったのは、この旅を奥さんと共感できたことだ。大袈裟にも最初の数日間は命の危険を感じたときも、協力し合って何とか乗り越えた。魚を釣った時は共に飛び上がって喜んだ。この旅は我々の絆を更に強めてくれたに違いない。素晴らしい旅であった。旅を終えたとき、素直に社長に感謝をした。

 

◎余談だが、川下り中に我々も野草のタンポポとネギにチャレンジした。そのことにも少し触れたいと思う。

タンポポの葉っぱ、ネギは我々も試してみた。タンポポはそこら中に生えているが、ネギは探さないと見当たらない。我々もそれらを試してみた。タンポポの葉っぱをパスタに入れてみた。タンポポは蕾の時が食べ頃で、葉っぱだけを食べるようだ。因みに葉っぱは苦いため、炒める前に水にいっときつけておくと苦味が薄くなるらしい。我々はカヌー中にその情報を知らなかったため、水につけずにそのまま炒めたが確かに苦かった。

ネギはラーメンに入れて食べた。新鮮のネギはやはり美味しかった。ユーコン川カヌーをする際はぜひ試してもらいたい。

日程の都合上、カーマックスのキャンプ場で2泊過ごし、6月24日に社長の車でホワイトホースに戻った。車内で、ユーコン川カヌーの良さは行った人にしか分からないという話しをした。口でどれだけ説明しても、あの100%ワイルドライフは説明しきれないのだ。我々も11日間の旅でその言葉の意味を理解した。どれだけネットで写真や動画を見ようとも、伝えられないことがある。体感だ。このことは、今後の旅でも同じことが言える。世界中の情報はネット上に溢れているけれど、行ってみて見てみないと本当のところは分からない。それを一つでも多く自分の目で見てくることが、とても楽しみになった。

ホワイトホースに戻り、次の目的地トロント(ナイアガラの滝の近くのカナダ最大の都市)までヒッチハイクで行く予定だったが、約6,000kmをヒッチハイクで行くことが現実的ではなく、道中の宿などでコストもかなりかかりそうということで、諦めた。そして、カナダ、アメリカの最大のバス会社グレイハウンドで2拠点を検索してみると、何とチケットがあった!!これにはびっくりした。約6,000kmの距離でチケットが買えたのだ。バスで6,000km。約85時間。6月26日にホワイトホースを出発し、30日にトロントに着く。クレイジーだ。意外にもあっさり路は開かれた。バスまでまだ2日あるため、社長にテントを2日分延長してもらい、ロバート・サービス・キャンプグランドという市内から少し離れた場所でキャンプすることにした。

木こり体験

もうかれこれ2週間はテント生活だ。(笑)バスの日までやることがなかったため、社長から「木切り行く?」と誘われた。ここの冬は厳寒の地のため、暖炉用の薪木を夏のうちに準備をするらしい。カヌーの後は、チェーンソーで薪木切り。ホワイトホースは決して忘れられない土地となることは間違いない。翌日、社長の車で30分程市内から離れたところへ行った。(木を切るには、許可証を取ればいいらしい。)

木は枯れているスプルースを切る。まずはその枯れていて、太くて大きいものを探すのだが、そう簡単には見つからない。これが意外だった。いけばそこら中にある木を体力のある限り切り続けると思っていた。しかし、探す作業も大変だった。

まずは木を切り倒す。これが初心者の僕には相当大変だった。まず、倒したい方向の幹の下の方を上下からだいたい角度20°くらいだろうか、そぎ落とす。その後、逆側から真直ぐそぎ落とした方向に地面と水平に切っていく。社長に手取り足取り教えてもらいながら、15分くらい経っただろうか。何とか1本切り落とした。既に汗ぐっしょり。

次に、枝は全てそぎ落とし、手で運べる大きさに切断。ワイフも頑張っている。

スペースがあるところに切断して幹を重ねるように置き、薪木の長さに切断していく。地面に勢いよく刃を下ろすと、刃が痛むし、刃が跳ねて危ないので慎重にするとまた時間がかかる。汗だっくだく。

社長がすると一瞬で切れる。

上記を繰り返した後、家に戻り薪木を機械で4分の1くらいの大きさに切断してようやく完了。骨の折れる作業だ。雪国で暮らす人たちの大変さを知った。

カナダ横断バス6,000kmの旅

社長に最後の最後までお世話になった。木こりを終えて、バス乗り場まで送ってもらった。ターミナルで手続きを済ませ、社長とがっちり握手をしてお別れした。いつになるか分からないが、またカヌーをしに来たい。もし来たら、確実に社長にまたお願いをしようと思う。

6月26日夕方6時にバスはホワイトホースを出発した。(写真はホワイトホースではない)

◎ルート

ホワイトホース→フォートネルソン→ドーソンクリーク→エドモントンウィニペグトロント

約85時間、乗換の際に次のバスが来るまで(もしくは清掃が終わるまで)に長い時で1時間半くらいあり、ターミナル内や外で食事をする以外、基本的にはバスの中だった。初めの方は良かった。乗客も少なく、2席分にゆったり座りカナダの広大な風景を楽しんだ。白夜ではないにしても夜遅くまで薄暗い状態で外の景色を見る事ができた。早朝には3回熊を見ることもできた。カヌー中にあれだけ怯えていた熊に対しても、バスの窓から見る熊はLINEのマスコットのようで可愛かった。1匹はちょうど道路を横断しようとするところで、バスは熊が渡るのをゆっくり待ってあげていたのでじっくり見ることができた。

バスは南部の町に行くにつれて、乗客が増えてきた。トロントに近づくにつれて満席の時もあった。ちょうどカナダの独立記念日(7月1日)の連休前でいつもより人が多かったらしい。カヌーの際に11日シャワーを浴びていなかったのと、2週間以上のテント暮らしでベッドで寝ないことには慣れていたが、85時間シートの上というのは想像以上に辛い。身体の臭いも嫌になってくる。尾てい骨も相当いたくなった。我々が最長だと思うが、中には周りの乗客も2,3日同じ人たちもいて、かなりの臭いを発している人もいてバス内は決して楽ではなかった。(笑)

トロント(Toronto)

6月30日朝7時頃、バスはようやくトロントに着いた!!これもある意味達成感だ。もう二度としたくはないが、陸路でアメリカ大陸を縦断することを決めた以上、避けては通れない道であった。また同じような話しで申し訳ないが、早くシャワーを浴びたい。民泊先(Airbnb)がダウンタウンから少し離れていて、電車で乗換で行ったがホテル並みの良いマンションだった。ここのホストが特徴的で面白い出会いとなった。

旅は止めてドバイに行け!?

ホストはヨルダン人のマドという人で、カナダの大学を卒業し薬剤師としてトロントで店を開いた。この彼が強烈なキャラだった。彼は外国人への興味が強く、毎夜1時間以上話した。彼の意見や質問は斬新であった。「日本には川が無いんだろう?」いやいや日本は国土の7割が山だから川だらけだと説明すると、意外そうな顔をしていた。聞いてみると、エジプトに日本への輸出限定の畑などがあるとのことで、それは日本が自国で栽培が出来ない環境だからかと思ったらしい。話しは我々の旅の話しになり、これからアメリカ大陸を縦断しアフリカ、ユーラシア大陸を横断して日本に帰るんだ。自分の目で世界を見て、世界中の人と触れ合った、文化を知ることが前からの夢なんだと熱く語ると、彼はそのことには触れずに「旅の後はどうするんだ?」と聞いてきた。ロサンゼルスで働きたいと言うと、彼は本気で考え出した後に「車を買ってUBER(個人タクシー)を始めるんだ。アメリカはVISA無しで90日間滞在できる。90日以内にメキシコに行ってすぐに戻ってくればいくらでも滞在できる。みんなやってるから大丈夫だ。VISAは働きながら取ればいいさ」・・・勝手に僕の進路を決めだして、何か納得している様子だ。妙に説得力があり、そんな方法もあるのかと関心して聞いていると、コロっと話しは変わって、「いやまて、ドバイはどうだ?ドバイに行け。」僕がロスで働きたいと言ったことはもう忘れているらしい。ドバイには仕事がたくさんあるらしく、日本人はまだ少なく価値が高いとのことだ。「専攻はなんだ?」僕が経営学科と言うと、「ドバイで車のセールスマネージャーなら行けそうだな。お前の英語力なら大丈夫だ」勝手に職種まで決められ呆れていたが、英語を褒められて少し嬉しい気分になっていると、「ドバイの従業員は、周辺国のアラブ系やアジア系の人ばかりで英語のレベルは低いから、お前の英語力でも大丈夫だ。アメリカの会社ではお前の英語は不十分だ。」と付け加えられた・・・まて、ドバイでは働きたくないし、勝手に俺の進路決めるな!!と心で思いつつ、「いやアメリカで働いたいんだ」と言うと、彼はそれを聞いてなかったのか、旅の期間を聞いてきた。2年と言うと、「遅い、今ドバイに行け。それと今いくつだ?」30歳とこたえると、「まだ若いから大丈夫だ。今行くんだ」何と勝手なやつだ。さっきも言ったけど、世界中を見て回ることが今一番やりたいと少し強調して言うと、「旅は後でいいだろう?世界中の情報はグーグルで見ればいい」これを聞いて「ハッッ!?」と僕。お前だって年に2,3カ月は旅しているっていってたやないか・・・日本に川があるのも知らなかったくせに・・・何と、強引で勝手なやつなんだ。こんなやつ今までかつて見たことがない。しかし話し方は丁寧で愛想も良かったので、イラつくというよりも笑うしかなかった。改めて、今回の旅への強い思いを語った後、彼は少し納得した様子でこうでてきた。「分かった。夏が終わるまで旅をしていい。夏が終わったらドバイに行け。夏のドバイは暑すぎる」ズッコケそうになったが、あぐらをかいて話していたため無理だった。本当に面白いやつだ。ホワイトホースからトロントまでのバスの中で、ちょうどパウロ・コエーリョの「アルケミスト」を読んだばかりだったので、ほんの少しだけこれが「オーメン(兆し)」かもしれないと思ってしまったが、決してドバイに行きたい訳ではないので、却下した。(笑)しかし、真剣?なのかアドバイスをくれたことには、お礼を言って別の話題へと切り替えた。ヨルダンに行くときは彼が案内してくれるらしい。本当なのか話し半分に聞いていた。でもAirbnbのホストとしてゲストに対する配慮は素晴らしく、とても居心地の良い滞在となった。

友人との再会

トロントに寄ったのは、友人2人に会うためだった。大学時代の後輩とフィリピン留学時の友人だ。大学時代の後輩とはかれこれ10年振りくらいだった。

彼女も会社を辞めて、フィリピンのセブに数ヶ月留学し、トロントでワーホリ中だった。ローカルのコーヒー店でバリバリと働いている。ほんの数か月前まで我々もオーストラリアのパースで働いていたので、英語環境で働くのは大変ということが良く分かるが、とても充実してそうな印象だった。

続いて韓国人のフィリピン留学時の友人にも再会できた。

我々は韓国人も韓国料理も大好きだ。ランチは韓国料理で!!と前々からお願いしていた。(笑)彼女とは約1年振りの再会となった。彼女はもともとアメリカにインターンシップで行く予定だったが、ビザが下りずカナダにビジネスの専門学校に通うことになったとのことだ。トロントは住みやすく、移住しても良いと言っていた。確かにトロントは都会だがこじんまりとしている。街も綺麗で、人も穏やかな印象だった。また、我々が滞在したオーストラリアのシドニー、パースと同じくらいインターナショナルだ。トロントは世界各国からの移住者が多く、カナダの都市というよりも地球に住む全ての人の都市といった方がいいかもしれない。

先にも書いたが、7月1日はカナダの建国記念日(150周年)で3日まで休日だった。街中はイベントもいくつか催されていて賑やかだった。

世界中の人々が共に暮らすトロント。街中を歩いているとどこの国か分からなくなる。我々が滞在したエリアは中東、インド系の人々が多くいるエリアだった。治安も悪い印象は受けず、暮らしやすそうな印象であった。

そして、NBAもカナダ唯一のチーム、トロント・ラプターズがある。大のNBA好きである僕は会場だけでもとエア・カナダ・センターを訪れた。ここに10数年前までヴィンス・カーターがいたと思うと、胸が熱くなった。しかし、ローカルの人に聞くところ、トロントはアイスホッケーとベースボールの方が人気で、NBAはその次らしい。早くNBAの熱狂的な街に暮らしたいものだ。

ナイアガラ滝は期待通りの迫力

カナダ最後の観光地がここナイアガラ滝だ。この滝が流れているナイアガラ川を渡るとアメリカ合衆国となる。ご用達のグレイハウンドバスでトロントからナイアガラ滝付近のバス停まで約2時間。運賃は一人約20ドル。バス停から滝までは約2、3キロありバックパックとともに歩くのはきつい。グレイハウンドのバス停の目の前に、ナイアガラの滝までのバスが通っていて、結構高かったと記憶している。

滝の近くに行くと、ゴオオオオと大量の水が滝壺に流れ落ちる音が聞こえてきて迫力がある。ここまで来たら是非ボートクルーズに乗って欲しい。チケットはウェブでも、現地でも購入可能。ウェブではこちらのサイトから予約可能だ。

https://www.niagaracruises.com/niagara-falls-schedule-pricing/

チケットは20分のクルーズで滝壺まで近づく25.95ドルのものから、40分のクルーズで花火も観れる39.95ドル、昼も夜も乗れる55.9ドルのものまである。このボートは時期によってスケジュールが異なるので事前にチェックしよう。

April 1 - May 12                   9:00am - 6:00pm (Daytime Only) 

May 13 - September 4         8:30 am - 8:30 pm (Day and Evening)

September 5 - October 31   8:30 am - 7:30 pm (Daytime Only)

November 1 - 30                  10:00am - 4:00pm (Daytime Only)

船の上では、水しぶきがかなりかかるので、カメラは事前に防水装備をしておこう。

虹もかかって滝の迫力と虹の綺麗さが合わさり、魅了されてしまう。

この日、我々はナイアガラの滝で宿を取っていなく、夜行バス(グレイハウンド)で次の目的地バーモント州へ向かった。カナダには27日の滞在となり、その内17日がキャンプとバスの中というハードな旅であったが、記憶に刻まれた忘れられない旅となったのは間違いない。そして、次はアメリカ。引続き物価の高い国でバックパッカーの我々には決して楽な旅にはならないことは想像に難くないが、この国でも我々も待っている友人たちがいる。陸路で国境を越えるワクワク感を感じながら、夜ナイアガラを出発した。

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