明日ちがう屋根の下

夫婦世界一周3年半の旅!73の国と地域へ訪問!大まかな旅路→フィリピン留学→オーストラリアワーホリ→NZからアラスカへ渡り陸路でアルゼンチン最南端ウシュアイアへ→南アフリカから陸路でエチオピア→キルギスから陸路でヨーロッパ→中東→南アジア→東南アジア→中国→韓国→帰国!

自然体でいられるということがこんなに楽なんて知らなかった。【ミャンマー、ヤンゴン】

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バングラディッシュから必死の思いで辿り着いたミャンマー初めての朝は、寝不足で大変だった。食中毒の薬が強すぎたのか、身体に合わなかったのか、頭皮とお尻まわりがただれて痒くて、ろくに眠れなかった。

 

夜中に起きては、水シャワーを浴びて痒みを抑えようとしたが、あまり効果はなかった。しかし、今日は日本から旧友がやってくる。朝一人、夜一人と2人も合流するのだから、楽しみでたまらない。何せ3年3ヵ月振りに再会するのだから。

 

何とも嬉しい日で、夜はパーッとビール三昧といきたいところだが、食中毒の薬を飲むからお酒が飲めないなんて。熱もまだ少しあるし・・・このタイミングで熱に食中毒なんて最悪かもしれないが、バングラディッシュからの珍道中を思い出すと、一生の記憶として頭に焼き付けられて離れないだろう。待て待て、思い出話しにするにはまだ早い。ロストラゲッジしたバックパックがいまだ見つかっていないのだから・・・

 

そもそも、南アジアを旅して食中毒にならない方が珍しいとも思う。バックパッカーで旅をして、出来る限り安く食費を抑えようと屋台メシを続けていれば尚更だ。南アジア(インドやバングラディッシュなど)を旅したときは、既に約3年間で約60ヶ国を旅してきた後だったから「免疫が付いている」と勝手に思っていたが、そんなことはない。3年そこらで免疫が強くなるなんてことはあまりないのだろう。

 

さて、友を迎えに空港に行くので、少し早めに宿をチェックアウトして、朝のヤンゴンの街を歩いていると、さっきまでだるかった身体が嘘かのように軽くなってきた。

 

ミャンマー最大都市のヤンゴンではあるが、街は清潔で騒音もあまりなく、人々も穏やかだ。歩いていてとても気持ちが良い。人々の見た目は多少の違いはあるけれど、僕たちと似たりよったりで誰も見てこない。バス停まで1キロくらいは外を歩き、街ですれ違う人、屋台のおばちゃん、人力車の人たちも、ほとんど客引きをしてこないではないか。

 

なんだか、とても不思議な気分に感じた。アジアに帰ってきたんだなぁとしんみり思う。なんだかすごい心地よい気分だ。正直、僕たちは長旅で疲れてもいた。どこに行っても「外人」として見られるし、全然違う人種や文化に触れるのにも疲れていたのかもしれない。宿を一歩でればそこは全くの異国であり、食生活も宗教も全然ちがい、何かやすらぎを感じないでいた。

 

もちろん、その全く異なる文化を肌で体感することが、旅の大きな醍醐味の一つなのだけど、あまりにも長い間その状態にいると、自分たちに似たものを探し始めるのかもしれない。ミャンマー日本がすごい似ているとは言えないけど、長いあいだ日本とは全く異なる文化圏を歩いてきたから、ミャンマーにとても親近感を感じたのだと思う。

全く気を張らずに外を歩けることが、とても新鮮に思えたし快適だった。

 

僕の言う「似ている」というのは、人の見かけや街の雰囲気だけではない。何気なく歩く歩道でもそれは感じられるし、むしろそこが僕の中でけっこう大きなことである。

 

それは、歩いているときの「道の譲り方」である。

 

これについて、賛否両論あるかもしれないけど、僕にとってはとても大切なことだと思っている。だって宿を一歩出れば、無数の人とすれ違うときに、いちいち気にしていられない。

 

ミャンマー人は日本人と同じような道の譲り方をする。これは、僕にとってとても親近感が湧くのだ。僕の経験則でしか語れないが、例えば欧米人(特に若いひとたち)の多くは道の真ん中を歩く。しかも彼らのほとんどが鳩胸なため、ぱっと見、横柄に見える時が多い。

 

この件について、欧米系の友達と街を歩いたときに分かったことだが、彼らはそれが当たり前で何の悪意も無い(と思う)。お互いが道の真ん中を歩き、すれ違いぎりぎりで何もなかったかのように肩を反らせて当たらないようにするのだから不思議だ。僕は彼らが肩をぶつけてトラブルにならないかヒヤヒヤしていたが、友人は何もなかったかのように振舞っていた・・そんな接近するなら、もっと前の段階で少し道の端を歩けばよいのに・・

 

 

これは文化の違いだと思うが、僕は旅中ずっと慣れなかった。彼らと道をすれ違う時にいつも道を端にずれてあげて、堂々と道の真ん中を歩かれるのも癪だし、かと言って彼らと同じようにすれ違いぎりぎりで肩を反らすのもヒヤヒヤするではないか。(笑)

 

しかし、この真反対の国民もいる。これはこれで厄介だった。それは紳士の国と言われるイギリス人だ。

 

道を譲るとき、列に並ぶとき、バスに乗るとき、とにかくすべて丁寧すぎるのだ。それを聞くと日本人と似ているのでは?と思うかもしれないが、ある意味似ていて、ある意味似ていない。彼らは譲るときにアイコンタクトをばっちりしてくる。こういうのは、空気のように、水が流れるように、自然にするのが一番だと思うからやっぱり居心地が悪くなる。こんな些細なことで神経質になるのは、僕だけだろうか?(笑)

 

 何気ないことではあるけれど、毎日のことだから僕にとっては大切なこと。ミャンマー滞在が長くなりそうだ。バス停までの小一時間で、僕らはそう確信していた。

 

この日は、無事に日本からはるばるやってきた旧友二人と合流して、楽しい一日を過ごしたのだった。