明日ちがう屋根の下

夫婦世界一周3年半の旅!73の国と地域へ訪問!大まかな旅路→フィリピン留学→オーストラリアワーホリ→NZからアラスカへ渡り陸路でアルゼンチン最南端ウシュアイアへ→南アフリカから陸路でエチオピア→キルギスから陸路でヨーロッパ→中東→南アジア→東南アジア→中国→韓国→帰国!

癒しの国ミャンマーに到着した時、僕らはボロボロだった・・・

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 2019年7月30日に世界一周から無事に帰国して、紆余曲折あったけど、僕たちは2019年11月から縁あって広島に移住して、早くも約半年が経過した。

 

無事に興味のある仕事も見つかり、これから忙しくなると思っていたら、コロナで緊急自粛宣言が出て家に籠る日々が続いている。そんなとき、今はやりのZOOMで親友家族とオンライン飲み会をしていると「世界一周で移住したい国とかあった?」と聞かれた時に咄嗟に口から出たのは、ミャンマーミャンマーの話しをしていると頭の中はミャンマーにタイムスリップして、とてもミャンマーが恋しくなった。

 

因みに奥さんはキルギス中央アジアの国)と答えた。今回は、ミャンマーについて書こうと思うけど、今後、時間があるときにキルギスの記事も書いてみたいと思う。

 

ミャンマーに行ったのは2019年の3月8日から3月29日の22日間。ミャンマーへの入国は本来50米ドルかかるのだが、2018年10月から試行期間で日本人に対してビザを免除してくれている。滞在期間は30日なので、ぼくたちはビザ無し試行期間をけっこう有意義に使えたと思う。

 

ミャンマーという国は東南アジアの一番西にあり、タイとインド、バングラディッシュの間にある。そして北部は中国に隣接している。他民族国家ではあるが、ビルマ人が大半を占めるので、昔はビルマという国名だった。

 

僕たち夫婦は、ミャンマーに行く前は南アジアのインド、ネパール、ブータンバングラデシュを旅行していて、インドの東部の街インパールを通って陸路でミャンマーに入国したいと考えていたが、どうやら2ヶ国間の国境は旅人は通れそうにない。ミャンマー北西部はイスラム教のロヒンギャという少数派が迫害されている場所ということもあり、旅行者が通れる場所ではないらしい。

 

インパールというと大東亜戦争の時に日本軍が連合国から中国軍への武器や兵站の補給路を断とうと、進軍した場所である。作戦は大失敗に終わり、多くの日本軍が犠牲になった場所だ。

 

長く旅をしていると、必然的に日本の歴史について知りたくなるし、特に大東亜戦争となると自分たちの祖父母が生きていた時代であることもあり、できればミャンマーへ向かう途中で行ってみたかったのだ。

 

それと世界一周と言うからには、できる限り陸路で旅をして、風景を見てみたかったので、残念だけど仕方なし。飛行機でバングラデシュの首都ダッカから、インドのコルカタ、タイのバンコクを経由してミャンマー最大都市ヤンゴンへ向かったのであった。

 

乗換は多いけど、飛行機の移動だし大して大変ではなさそうに思えたけど、ヤンゴンに着いた時に僕らは身心ともにボロボロとなっていた・・・

 

夜のフライトでバングラデシュからインドのコルカタ、タイのバンコク経由でミャンマーの最大都市ヤンゴンに入ったのだが、それまでにいくつものトラブルが僕らを襲い掛かった。

 

当日は夕方の便だったので、時間に余裕を持って空港に向かう予定だったが、ポストカード(世界各国から家族に送っていた)の投函にすごい時間を食ってしまった。何件か市場を回るが、ポストカードが一枚も見当たらない。今までにも色々な国でポストカードを出してきたけど、特に発展途上の国ではポストカード自体がほとんど売っていない国も多い。

 

今回もどうようで、文房具店や本屋に行っても見当たらず、結局、少し分厚い用紙の手紙を買って、ポストカードのサイズにカッターで切ってもらった。いつもそうなのだが、ポストカードを買う時はその国の象徴的なイメージが入っているポストカードを買いたくて、なさそうだとは分かっていても諦めきれず、何店かまわってしまい時間を費やしてしまうのだ。

 

ポストカードの次は、切手だが時間が無いので空港に行く途中で郵便局で出すことにした。急いで投宿していたゲストハウスに戻り、ポストカードに数日間だがすごい濃ゆかったこの国について手紙を書いた。3泊4日と短い間だったけど、バングラデシュ人はとっても温かく接してくれて、僕たちを楽しませてくれたので手紙の内容には全く困らなかった。

 

そして、タクシーで空港へと向かう途中に郵便局に寄ってもらい、ポストカードを出した。意外にもさほど時間はかからなかったが、空港に着いた時、時間はだいぶ押していた。タクシーを降りて早歩きでエントランスに向かうと、まさかの長蛇の列・・・

 

直感的に素直に並んでいると間に合わないと思い、エントランスでパスポートのチェックをしている警備員に事情を説明して、先に通して欲しいと伝えると、僕に右手の指をスリスリこすって見せてお金を要求してきた。最終日には現地のお金を残さない僕たちは、数百円しか持っていなかったが、ここはバングラデシュ。物価は日本より相当安い。これでも大丈夫だろうと財布を出すと、警備員は「あとでくれ」と呟き、僕らを通してくれた。賄賂を公衆の面前でもらえないのは、当然のことだよな・・・苦笑しながらも僕らは無事にチェックインを終わらせた。

 

チェックインもしたし、賄賂は良かったのだろうか(笑)バングラデシュでは良い想い出しかないので、普段どケチな我々も、数百円の賄賂ぐらい惜しくない。警備員が起点を利かせてくれたおかげで、余裕を持って飛行機を待てるわけだし・・

 

っとそのとき、その警備員がそろっと現れた(笑)おーようやく見つけてくれたか!わざと財布を出す振りをすると、警備員は焦って「まだだ!」と声を押し殺す(笑)

「こっちへこい」と手招きして人気がないところに僕を連れて行こうとするが、どこに行っても人がいる・・・これじゃ賄賂渡せん・・・警備員はやれやれといった顔付きで「もういいよ」と言わんばかりの表情で去っていったのだった・・・何か申し訳ないが、仕方ない。最後までバングラデシュ人は僕たちに想い出を残してくれたのだった。

 

賄賂の予定だったお金で最後の少し腹ごしらえをして、ようやく飛行機に乗り込んだ。ダッカからコルカタまではたったの45分の旅。気楽にしていると、機内でとんでもないことが起こった!!

 

最初は数匹の蚊が機内に飛んでいただけだったのだが、どこから湧いてきたのかあっと言う間に視界中に蚊がいるではないか!!もう数えられないくらい。少なく見積もっても数千匹はいる。いや万は超えているのではないか・・・いくらバングラデシュとインド間の飛行機だとはいえ、これはあんまりだ。CA達は笑っている!ちなみにこの飛行機はインドの会社だ。何が起こってもおかしくないインドの会社なら、不可能を可能にするだろう(笑)

 

このカオス的な状況で、さすがに数名の乗客がCAにクレームを入れだしたあとに、CA達は電撃ラケット(テニスラケットのような形で、ネットの部分に電気が走っている)を振り回しながら通路を歩いている。もうカオスそのもの。視界中蚊だらけの中、機内食を運んできたときには、目を疑った・・・世界を73ヶ国回ったが不思議な国はインドがダントツだった。インド恐るべし・・・因みに2位はチャイナ。

 

機内にいた約1時間、終始僕らは蚊を殺していたのだった。幸い刺されることはなかったのだが。。

 

コルカタの空港で2時間ほど待機して、バンコク行のフライトに乗ったがこれも同じインドの航空会社。次は何が起きるのだろうか・・怯えながらも心の片隅では、またへんてこなことが起きるではないかとワクワクもしていた。

 

しかし、こっちの期待とは裏腹に飛行機は何も問題なくバンコクに到着した。しかし、あれは何だったのだろうか。蚊が飛行機内で大量発生するなんて、前代未聞のハプニングだったのではなかろうか。その航空会社で調べてみると、、、数年前に同じようなことが起きていた・・安かろう悪かろうとはまさにこのことだ。最安値には気をつけようと心に刻んだ。

 

そして、悲劇は始まってしまった・・・

 

バンコクの空港に着いたのは夜中の1時頃。バンコクからヤンゴン行きのフライトはこの日の夕方。夫婦ともにタイ料理は大好物なので、トランジットしている間にタイ料理を満喫しようとだいぶ前から計画をしていたのだが、、、まさかのロストラゲッジ!!

 

眠い目を擦りながらベルトコンベヤを血眼に見続けたが、僕のバックパックは見当たらない・・・・インド人め・・・・この時はさすがに怒りを覚えた・・・

 

蚊の大量発生までは許せたけど、ロストラゲッジは許せん!!!バックパックの中には旅の思い出が詰まった写真が10万枚以上入っているんだ!!

 

空港の係員に一縷ののぞみを持ってロストラゲッジの確認をしてもらうが、夜中ということもあってか荷物の所在は分からない。仕方ないので朝まで待つしかない。適当に椅子を見つけて、寝袋を出そうとすると、、ロストラゲッジしたバックパックの中だと気付く。インド人め・・・

 

固い椅子に横になると、新たなる悲劇が僕を襲った。凄まじい悪寒と吐き気が一気にきた!出る・・・トイレは間に合わない!ゴミ箱はどこだ・・・・・フロアに大量にぶちまけてしまった。。。そのあと、トイレに駆け込み残りを出すが、一向に気分は良くならない。タクシーで病院に行こうとも考えたが、奥さんはすやすや寝袋で寝ているし、何せロストラゲッジしたバックパックが心配だ。

 

少しでも身体を休めようと固い椅子の上で何度も寝がえりを打ちながら、寝ようと努力したが、ほとんど寝れずに2,3時間が経った。熱もかなり上がってきているようだった。意識が朦朧とするなかでロストラゲッジのカウンターでバックパックの所在を確認するが見当たらないという。諦めはつかないが、今はそれどころではない。病院へ直行して薬もらわないと、ヤンゴン行きの飛行機に乗れない!それだけは避けたい。ヤンゴンでは友達たちが日本から来るのだ。絶対に送れるわけにはいかない。

 

タクシーで病院に直行して、診断してもらうと案の定食中毒だった。そして意外だったのは、奥さんはインフルエンザだった!!(焦)

 

実は前日の朝、バングラデシュで微熱を出していたのだが、すっかり良くなっていたのだが、せっかく病院に来たし(保険も出るし)念の為医者に診てもらったのだが。。。見てもらって良かった・・・

 

お医者さんには、夕方の便でヤンゴンに行くことを伝え、超特急で処方して欲しいと伝えると1時間の点滴で退院できた。薬もたんまりもらって、病院を出るが身体が鉛のように重い・・・この病院で数日入院したいとどれだけ思ったことだろうか(笑)

 

そして遂に、3月8日の夜ヤンゴンに辿り着いた。何かすごく長い道のりだったような気がした。しかし、まだまだ気を許せない。バックパックは無いし、身体はボロボロだ。空港から市内までのバスに乗り、ゲストハウスに着くなりバタンキュー。

 

バックパックが無いから着替えも無いが、何とかヤンゴンにいることに嬉しさを感じていた。夜中に何度も目覚めた。頭皮がやたらと痒い・・・鏡で頭皮を見ると真っ赤にかぶれている。薬の副作用のようだ・・・

 

身心ボロボロの中で、ミャンマーの旅が始まったのである。しかし、こんな状態の僕をミャンマーは癒していくのであった。