明日ちがう屋根の下

夫婦世界一周3年半の旅!73の国と地域へ訪問!大まかな旅路→フィリピン留学→オーストラリアワーホリ→NZからアラスカへ渡り陸路でアルゼンチン最南端ウシュアイアへ→南アフリカから陸路でエチオピア→キルギスから陸路でヨーロッパ→中東→南アジア→東南アジア→中国→韓国→帰国!

アラスカ~夢の実現!ここからアメリカ大陸を縦断スタート~

世界一周の旅を始めて2週間、南極に近い国NZから一気に北極に近いアラスカまでやってきた。飛行機乗り継ぎ2回(オークランド→LA→デンバー→アンカレッジ)37時間(飛行時間は合計21時間)と長旅を経て、アンカレッジ空港に着いた時の感動もひとしおだった。

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アンカレッジ

6月2日午後4時頃、アンカレッジ空港に着いた。ここは我々のアメリカ大陸縦断の最初の地だ。ここから、陸路でアメリカ大陸、最南端のアルゼンチン、ウシュアイアまで向かう。約5年前からここに立つことを想像していては、ワクワクしていたが、今がその時だ!空港から出るなり一人感動に浸っていた。しかし隣を見ると、奥さんは淡々としている。(笑)人のロマンはさまざまだ。僕は世界旅行の概念は世界一周である。大陸を北から南まで陸路で土地を感じながら人、土地、気候、文化の違いをスキップせずに味わいたい。奥さんにその拘りはないようだ。因みに、今まで会った人の中に自転車旅行以外で、この拘りを持っている人に会ったことがない。つまり、私はマイノリティーということです。。でもこれは譲ることの出来ない旅の信念だ!

アンカレッジはアラスカ州の南に位置し、人口約25万人のアラスカ州最大の都市である。(州都はジュノー)

アンカレッジのダウンタウンまでは空港からバスで20分くらい。我々の宿は、韓国人経営の宿で綺麗なプライベートルームで60米ドル(二人分)。NZに比べても高すぎだ。北米も1日1万円予算の我々は、アラスカの物価はかなり堪えた。アラスカでこれがしたい!っというのは正直なかった。アラスカの大地を踏んでみたかったし、どんな人が住んでいるか、どんな風景なのか、純粋に好奇心だった。訪問前に後付けのようにアラスカ観光について調べたが、流氷ツアーはあまりにも高かった。鉄道好きの私は、アラスカ鉄道にも乗りたかったが、そちらも予算上諦めた。アラスカという大地を感じるだけで、あとは陸路で素通り。それはあまりに味気のない旅ではないか。そこで、カナダのホワイトホースまでの陸路の道中にディナリ国立公園があるので、そこでムース(ヘラジカ)、熊を見に行くことにした。ディナリ国立公園の記事に移る前に、少しアンカレッジの写真と旅の出会いについて少しだけ。

アラスカの道路はでかい。ひとブロックが大きすぎて歩くのは大変。地図で見るとすぐそこでも歩くと距離がある。そして、街のすぐそこに山脈が連なっている。

こちらはダウンタウン。アラスカ最大の都市だが、都市部の規模は小さい。一つ一つの建屋が大きいので歩くと距離はあるが、ほんの田舎町だ。

ダウンタウンのすぐそこに、アンカレッジ駅があり、アラスカ鉄道の車を発見。今回は見送り。因みにこの電車で流氷ツアーの拠点、ホイッティア、スワードまで行ける。

アンカレッジでの出会い

アフリカ系アメリカ人(フロリダ出身):彼は我々が2泊した宿の従業員で、携帯会社のエンジニアとしも働いており、掛け持ちしているらしい。彼はアメリカ南東部フロリダ出身で、フロリダの暑さを嫌気がさしアンカレッジに移住したとのことだ。大学で日本の文化を勉強したらしく、日本に興味があったのか気さくに話しかけてくれて、アラスカについて色々と教えてくれた。奇遇にも彼はディナリでバスのドライバーを1年していたらしく、熊を間近で見れることも多いと聞いて、ディナリへ行くのが待ち遠しくなった。彼は、フロリダの暑い環境で育ったが、アンカレッジの厳寒の地に既に慣れて気に入っているようだ。冬は最低気温-20度になることもしばしばあるという。フロリダの夏はそんなに耐えられないほど暑いのだろうか。アメリカ南部は人種差別が激しいと聞いたことがあるが、黒人には居づらい場所なのだろうか。どうしてもアメリカで黒人を見ると差別のことを想像してしまう。また、全く話しがそれるが、彼の英語は非常に分かり易かった。フィリピンでアメリカ英語をみっちり習ったからだろうか。オーストラリア人、イギリス人、ニュージーランド人に比べて群を抜いて分かり易かった。彼とは写真を撮り、連絡先を交換したかったがタイミングが合わず。

ディナリ国立公園(旧マッキンリー)

我々が調べた限り、最安値のヴァン(アラスカユーコントレイル)にて、6時間かけてディナリ国立公園エントランスまでやってきた。(1人75ドル、フェアバンクス行きと一緒に買えば更にお得。バスは90ドル。アラスカ鉄道は160ドル前後)道路は、日本のような高速道路ではなく、針葉樹林の間を果てしなく続きそうな一本道であった。ヴァンと聞くと、マイクロバスのようなシートが固くて座り心地の悪いイメージを持っていたが、米フォードのヴァンでバスより快適だ。それと一番良かった点は、運転手がフレンドリーなのと他の乗客との相乗りとなり会話を楽しむことができることだ。外国人に興味津々な我々にとってはもってこいだ。相手の言っていることが分からなかった時に、落ち込んだりもするのだが。このヴァンでは、モンテネグロ人、ウクライナ人、ブルガリア人、アメリカ(コロラド州)人が一緒だった。モンテネグロブルガリアの人を見たのは初だ。モンテネグロと聞くと、咄嗟に旧ユーゴを思い浮かべ、大変な国なのかなと想像してしまう。ブルガリア人の一人は超社交的でブルガリアヨーグルトが日本で人気だと言うと、大喜びだった。実際に、ブルガリアではヨーグルトがそこら中で食べ、飲みできるらしい。しかも物価が安いとのことだから、ヨーグルト好きの僕には尚更行くのが待ち遠しい。我々以外は皆大学生くらいの顔立ちで、ディナリのレストランやホテルで数ヶ月働くとのことだ。そして、ディナリの各バス停に順々に降りていく。笑顔でお互い、良い旅を!と挨拶して別れを告げていく。ちょっとしたコミュニケーションも我々にとっては、大切な旅の思い出だ。

こちらが、11人乗りヴァン。11人フルになると快適とは言えないだろう。

車窓からディナリが見えてきた。6,190mの北米最大の山で迫力がある。

国立公園内へのシャトルバス

ディナリ国立公園、エントランスWildness Access Center(以下:WAC)到着。ここが公園内行のバス発着所である。

行先は、Wonder Lake、Kantishna、Toklat riverと下の写真には無いが、Wilson Visitor Centerもある。我々は一番ショートコースのToklat Riverを予約。WACから53マイル(85キロ)地点で折り返し。※予約は右記から→Doyon limited aramark Dinali national park concession venture 若しくは、WACの窓口にて。

シャトルバスの乗り心地は普通だが、ドライバーが詳しくガイドしてくれる。ツアーではなく、シャトルバスにも関わらず、6時間半の往復の間、ずっと説明をしてくれていた。ツアーは3倍くらいの値段がして、お昼付きらしいが、お弁当さえ持参すれば質は高い。

ディナリ国立公園は、公園エントランスから約15km中に入ると、バス以外立ち入り禁止となる。その先は完全な自然の世界となり、人工物が無くなる。(バスの折り返し地点などの一部施設を除いて)NZ程の美しさは無いが、大自然を感じることができる。

この日、生憎の雨で動物たちはいつもより少なかったようだ。下の写真はカリブ(トナカイ)の群れ。遠目ながら。

ドールシープも遠目で見る事ができた。熊や他の捕食動物から避けるために、崖に住んでいる。

この日、メインであったムースと熊を見ることができなかったことがショックではあったが、ワイルドライフの中に足を踏み込めて満足ではあった。

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ハイキング

WACの周りにたくさんトハイキングコースがあり、片道1時間弱のものから4,5時間のコースまであるようだ。我々は、Toklat River往復以外の時間をハイキングにあてた。熊は危険なので、ムースを遠目で見れることを願いながら、歩いていると、運よく現れた。これが最初のハイキングだったので、その後ムースを探しに、WAC近辺のコースをいろいろ散策したがムースに会えたのはこれが最初で最後だった。ホステルで出会ったジョンは間近でムースを見たと興奮して話していたので、運が良いと近くで見れる可能性もある。※ムースも危険な動物なので、決して近寄ってはいけないようです。

アラスカ鉄道は国立公園内を通るようだ。しかし、宿で知り合った旅人に聞いたが、アンカレッジからディナリまでの景色は特段すごくなかったらしい。やはり、アラスカ鉄道を乗るならアンカレッジからスワード(流氷ツアーの発着所)がいいのだろう。

ディナリの天気は変わりやすい。天気予報が雨でも晴れ間が広がった。なので天気予報が雨でもそんなに心配しなくてもいいと思う。事実、係員の人もこれがいつものディナリの天気だと言っていた。

ディナリでの出会い

ディナリでも素晴らしい出会いがあった。中部アフリカのブルンジ出身で、今はベルギーに移住しているエスポワ君だ。フランス語が母語だが、英語、ブルンジ語ともう一言語話せるとのことだ。歳は29歳で我々の一つ下。言語は訓練だと言っていた。会話する時に考えてから話している段階では、訓練が足りていないと言っていた。このことは以前、豪で同僚だったベネゼエラ人にも言われたことを思い出させた。豪に来てほんの2か月しか経っていない彼に、多言語を習得する才能があるんだね。と話すと、言語は訓練であり彼は特別に才能がある訳ではないと。豪に来る前から映画を観ながら特訓したらしい。エスポワ君と話しながら、改めて英語習得には根気強く使い続けるのが必要だと気付かされた。個人差はもちろんあるだろうけれど、やってるかやってないか。これが言語習得の可否を分ける路であるはずだ。とにかくやり続けようと思う。彼は、片足が悪く、足を引きずって歩いている。それでも彼は旅がしたいのだ。彼も世界中を旅したいと言っていた。人種も生まれた国も全然違う人と、言葉を通じて分かり合い、世界を知りたいという同じ夢を持っている人との話しは、とても楽しかった。ベルギーに行くときに、また会って旅行記を語り合いたいものだ。

この宿でのもう一つの出会いは、シンガポール人のワンさん夫婦だ。写真がブレブレで申し訳ない。彼らからも影響を受けた。旦那さんの方は140ヶ国旅行したらしい。旅は学びだと強調していた。学ぶために毎年2,3カ月旅しているとのことだ。我々も旅の価値観がワンさんと一緒のため、共感でき話しが咲いた。しかし、パワフルな人だった。やると決めたことは何でもやり遂げそうだ。そんなワンさんでも我々がこれから2年旅をすると知ると、ため息をついていた。彼らには長期旅行の厳しさが分かるのだ。そんなワンさんから旅のアドバイスをもらった。我々が一世一代の決断で日本を出ていることを聞いた上で、「危険な目にあったり、体調が悪くなったときに無理をせずに、無理に旅を続けずに帰国して、体調を整えてから旅を再出発すればいい。そんことで予算が足りなくなれば、また貯金すればいい。健康であれば、いつでも旅はやり直せるよ。健康が一番大切なんだ」そして、こんなことも言っていた。「赤ちゃんができても旅はできる。以前、オランダ人夫婦が乳母車を押しながら、世界中を旅をしているのを見たよ。3人だけど、飛行機やバスなどは赤ちゃんの交通費はかからないからね」赤ちゃんと一緒に長期旅行は結構無理があるが、要は、身体は資本であり、旅の手段はいろいろあるということだ。我々は、この旅が一生で一度のチャンスであり、全ての大陸を旅し、ユーラシア大陸の横断し、日本に帰国するまでは無理してでも続けたいと思っていたが、ワンさんのアドバイスは間違いないと思った。旅中に危険信号がなった時は、予算云々ではなく、健康と安全を最優先に考え、決断し、必要であれば、旅を中断するしかない。140ヶ国行ったワンさんからのアドバイスはすごく説得力があった。シンガポールに会いに行き、旅の報告をするのが既に楽しみである。そのためにも、無茶はしない。

フェアバンクス

ディナリからヴァンで3時間ほどでフェアバンクス市街地に着く。路は、何にもない針葉樹海を一本の大通りだけが敷かれているといった感じだ。ドライバーも変化の無い路で眠くなるのか、大声で話しかてくる。残念ながら、イングランドから移住してきているドライバーの英語は我々の英語が初心者に戻ったのかと言えるくらい、聞き取りが難しく、たまり分かる単語で反応することしかできなかったが...英語は話す人によってここまで違ってくるのである。(苦笑)そして、宿についた。Billie's Backpackers Hostelだ。ネットで調べて値段と評判が良かったので予約した。4人部屋のドミトリーで一人1泊30$。決して安くはないが、アラスカではこの値段はホステルで最低価格であった。

フェアバンクスは、白夜に位置する地域であり、本当に夜が無い。以下の写真は、夜中1時半ころだ。

夏のアラスカは旅を2倍楽しむことができる。そう。アラスカの夏は短い。そして、冬の日照時間は4時間ほどだ。観光客向けに営業している会社は、夏の間、たいてい朝早くから夜中まで営業している。日照時間が長い夏に1年分稼ぐ必要があるのだ。これは、我々観光客にはありがたい。体力さえあれば、一日中外出できる。アラスカは決して治安がいいとは言えないらしいが、この明るさでは、犯罪率も下がるだろう。ただ、我々のような貧乏旅行者で、外食が出来ず、レンタカーが無い場合は、2倍楽しむとまでは行かないが。

フェアバンクスでの出会い

フェアバンクスは、正直ただのヴァンの乗り継ぎに過ぎなかったが、たまたま、次の目的地であるカナダのホワイトホースまでの交通手段のヴァンが、3日後にしかスケジュールされていなかったので滞在したのだが、それが大きく功を奏した。

この宿はドミトリーとキャンプサイトがあり、多様な人々の宿となっていた。この写真はメキシコ人のエルマン。彼は、アメリカ大陸縦断中で、アラスカの北の方から出発しこの宿で2泊ほどしていた。彼は以前、南米最南端の都市ウシュアイアからエクアドルくらいまで自転車で走ったらしく、今回は、北米最北端からエクアドルまで向かうとのことだ。とてもいい笑顔で自転車は本当に楽しいと話していた。我々もウシュアイアをバスで目指していると言うと、自転車の方が気持ちい良いのに。ともったいなさそうに話してくる。奥さんと二人で自転車は難しいよと言うと、意外にすんなり納得してくれた。話しを聞くと、彼も奥さんを自転車旅を誘ったらしいが、アウトドアは好きなんだが、自転車には興味を示さないらしい。逆に、我々が夫婦で世界一周を2年することに、素晴らしいと言ってくれた。夫婦で同じ夢を持っていることを羨ましく思っているようだった。そして、メキシコを8月頃旅行すると伝えると、家族や親せきが住んでるところに寄るときは、助けてあげられるかもしれないからメキシコに入る時に連絡が欲しいといってくれた。本当にお世話になるかは分からないが、たまたま宿で会っただけにも関わらず、ここまで助けようとしてくれることを嬉しく思った。彼は、8月初旬にメキシコに入る予定らしい。メキシコで会えることを期待したい!

この宿で、日本人のチャリダー(チャリで旅をする人の通称)にあった。タイミングが無く、写真を撮ることができなかったが、彼も石田ゆうすけさんの本に影響され、3年で世界一周を挑戦中とのことだ。これは驚いた。やはり本の影響力はでかい。僕も同じ本を読んだことを伝え、話しは一気に盛り上がった。彼は日本を出たばかり、旅が始まったばかりだった。これから、1年半かけて南米ウシュアイアまで行くらしい。我々は、7ヵ月かけてウシュアイアまで行く。手段は違っても、同じ目的地に行く。何か感慨深い。

そして、以下の写真が、ルームメイトのスーザン(一番左)、ダニ(左から2番目)だ。2人はとても親切で、我々の滞在を楽しくさせてくれた。スーザンはアメリカ北部から旅行で、ダニは、カナダからアラスカ大学で流氷の動きについて研究のために来ているとのことだ。特にスーザンは、いつも気に掛けてくれてママ的存在だ。そして、元心理療法士だったらしく、質問が多様で、話しがすごくうまい。会話は途切れることなく、我々の旅の内容、7月初旬にナイアガラの滝を見て、バーモントの友人宅へ行くことまでスムーズに話が流れた。すると、たまたま友人宅とそんなに離れていない場所に住んでいるらしく、「家によっていきなよ」とスムーズにアメリカ最初の目的地が決まった。旅の出会いで、目的地が決まっていく。旅の醍醐味の他ならない。素晴らしい出会いである。

この宿は、オーナーもスタッフも皆、フレンドリーで楽しくて仕方なかった。フェアバンクスに訪問する際は、是非、Billie's Backpackers Hostelに泊まって欲しい。温かいスタッフと、多種多様なゲストがあなたの旅を深くするに違いない。我々は6月9日早朝、ヴァンでカナダのドーソンシティへと向かった。その途中でTOKという町で2人のカップチャリダーが乗ってきた。イギリス人とスイス人のカップルでアメリカ大陸縦断中で、彼らもウシュアイアを目指しているらしい。これまた驚いた。しかもカップルでだ。もう、アラスカは鉄人のオンパレードだ。彼氏のイギリス人の方が、膝を痛めて、休養が必要らしくTOKからホワイトホースまではヴァンで移動して、膝の休養中にユーコン川をカヌーするらしい。我々と同じプランだ。ふむ、アラスカでの出会いは必然的なのかもしれない。

TOKから北東に進み、トップ・オブ・ザ・ハイウェイを走り始めると、アスファルトから砂利道に変わり、アラスカの荒野にジグザグ路を揺れながらひたすら走っていく。景色は変わらず、山に針葉樹だ。カナダとのボーダー手前に、チキンという昔の金採掘の時代に作られた村があった。キャンプサイトもあり、ここにも特殊な旅人やヒッピーがいるのだろう。チャリダーもいたに違いない。ここの自転車旅はそうとうにきついはずだ。

このチキンという村を出ると、ようやく国境に着いた。

アラスカはたったの7泊8日の旅となったが、観光というよりも同じ旅行者や宿のスタッフとの交流がメインとなった。人と交流する旅。例え、十分に観光できなかったとしても、アラスカに来た価値は十分にあった。そして、これから7カ月で最南端ウシュアイアまでに変わる景色、出会う人々を想像するとワクワクしてくる。我々はこの国境を越え、6月9日にカナダへと入国した。陸路で国境を越えることが何か清々しかった。

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