明日ちがう屋根の下

夫婦世界一周3年半の旅!73の国と地域へ訪問!大まかな旅路→フィリピン留学→オーストラリアワーホリ→NZからアラスカへ渡り陸路でアルゼンチン最南端ウシュアイアへ→南アフリカから陸路でエチオピア→キルギスから陸路でヨーロッパ→中東→南アジア→東南アジア→中国→韓国→帰国!

アメリカ合衆国~多くの人にお世話になりながら~

ナイアガラの滝の余韻が残ったまま、グレイハウンドバスに乗込みアメリカへと向かった。ナイアガラ川が国境となっているため、橋を渡ると入国だ。橋を渡るなり我々は税関へ通された。

大統領が代わって以来、入国審査が厳しくなっているということで、ダミーチケットアメリカ入国の際には、出国用の航空券のチケットが必要とされている。しかし我々は既にアラスカで入国しているため、再入国となること、かつ陸路ということで航空券のチケットが入国に必要かどうかは定かではなかった)も印刷し準備をしていた。税関で眼つきの鋭い白人からジロっと見られ、「どこに行くんだ?」バーモントに行きますと答えると、ジャパニーズがなぜバーモントに行くのか以外だったらしく「ホワーイ?」と訝しげに聞いてきた。友達に会いに行くと言うと、税関は何も言わずにスタンプを押した。ほんと、日本の税関も含めて無愛想な税関が多い。しかし、我々は日本人だったためか、出国用の航空券を提示することもなく通過できた。こうして入国した我々は、スーザンとの待ち合わせであるアルバニーへ向かった。

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バーモント ~アメリカのママ スーザンとの再会~

ナイアガラから約11時間でニューヨーク州アルバニーというニューヨーク州東部の街に着いた。

バスを降りるなり、ターミナルから出るとスーザンが両手をあげて大はしゃぎで歓迎してくれた!スーザンの家はバーモント州だが、我々の乗継の煩わしさを考慮してくれてアルバニーまではるばる車で迎えに来てくれたのだ。たった1ヵ月ぶりの再会だが、もともとは赤の他人だ。旅中で出会って、旅中に再会する。そしてまた新しい街を知ることができる。

車に乗込み、我々はスーザンの家があるバーモント州へ向かった。車内でお互いの旅の話しをして大いに盛り上がった。スーザンはとても話し上手で話しが途切れることはあまりない。約2時間ほどでスーザン家に着いた。バーモント州南部ホワイティンガムというエリアでマサチューセッツ州のすぐ近くだ。山間部で緑が多くとても綺麗な地域だ。スーザンの家は人口密度の低いこの街でも特に人里離れた場所にあった。森の中にポツンと家がある感じで自然に囲まれていて二人は喜んだ!というのも、ユーコン川でのカヌーで自然を満喫していたため、都会トロントで人工物に囲まれて少し窮屈を感じていたため我々は自然を恋しく思っていたのだ。

スーザンは生まれはフロリダ州で、今はバーモント州に住んでいる。ここでは心理カウンセラーとして30年以上働いていて3年前に定年したらしい。今は自然に囲まれた家で一人でのんびり暮らしているようだ。自然に囲まれているので人工音が全くしない。我々はそんなスーザン家で6日間お世話になった。

我々はとてもラッキーだった。スーザンが定年していて仕事をしていないため、6日間ほぼつきっきり我々の相手をしてくれた。普通の観光でローカルの人に6日間つきっきりで相手してもらえることなど滅多にないだろう。家の近くでトレッキングをしたり、

ファーマーズマーケットに行ったり、

景色が良いところで写真撮影したり、

知人のヤードセールに連れていってくれたり。(アメリカでは要らなくなったものを庭でフリーマーケットを開くことが普通らしい。オーストラリアでもたまに見た。)今回はこの家の住人が亡くなったとのことで、家全体がフリーマーケットのようになっていた。亡くなった人のものをフリーマーケットに出すのは日本には無い文化だと思う。でも、大切な遺品は家族が保管して、その他不要なものはヤードセールに出すというのは、捨てるより良いのかもしれない。アメリカではセカンドハンド(中古品)に対して抵抗は無いし、新品を購入するよりはるかに安い。

街中の博物館にも訪れた。バーモント州は1777年に共和国として独立し、北アメリカで文書化された最初の憲法で最初に奴隷制度を廃止したらしい。その後、14州目の州としてアメリカ合衆国に加盟した。

Brattleboro(ブラトルボロ)というニューハンプシャー州との州境でスーザンの友達とのランチ。この街の良さを説明する適切な写真がなくて写真で説明しにくいが、レトロ調で歩いていて落ち着く街だった。

スーザンが所有する土地は広く、裏庭には自然が広がっている。木々を掻き分けながらトレッキングを楽しんだ。

スーザン家にはマイロという猫がいる。スーザンに良く懐いていて寝るときも一緒のようだ。我々にも慣れてきてくっついてきて可愛いのだが、猫アレルギーの僕は目の痒みとクシャミ鼻水が止まらず大変だった(笑)でも可愛いので触りたくなる。

家では新しいゲームにはまった!バックギャモンだ。ここで初めて知ったゲームだが世界的にも有名なのだろうか。このゲームに3人ではまって連日楽しんだ。初めはスーザンの圧勝が続いたが徐々に我々もうまくなり、最後は白熱の勝負が続いた。

5泊6日、我々はほとんどの時間を共にして濃い時間を過ごした。今までにアメリカ人と深く話したことがなかったので、アメリカの歴史や現状について少し理解が進んだ。そして出発日。恒例の写真撮影をしてスーザン家を後にした。アルバニーのグレイハウンドバスターミナルまでスーザンに車で送ってもらい、また会いに来ると約束しお別れした。とても良い出会いだった。将来子供ができたら、子供を連れて会いに来たいものだ。自然溢れるバーモントでの生活は子供の教育にも良いはずだ。

ニューヨーク マンハッタン

アルバニーからニューヨークマンハッタンまではバスで3時間程度が公式時間だったが、運悪くバスのエンジン故障か何かで別のバスへの乗換が必要となったため、合計で4時間以上はかかった。

ラテン系の超テンション高い女性が髪止めでオジサンをフンニャーオ!?

バスの中で超テンションの高いイカレタラテン系(スペイン語らしく言葉を話していた)のネエちゃんがいた。乗車した時から前後に座るオジサマ達とビールを飲んでいたのは知っていたが、彼女のテンションだけ異常に高かった。(米では公共の場での飲酒は厳禁だが、紙袋に隠して持ち入って飲んでいた)そのネエちゃんは隣の優等生そうな眼鏡をかけた学生のイヤフォンの片方を取り耳にあて、その音楽に合わせて踊りだした。眼鏡ちゃんは顔を引き攣らせながら笑っている。その踊りは5分、10分で終わることはなく、なんとバスの故障でバイパスで乗換えるまで約2時間続いたのだ。踊りは激しいが歌声は小さい。最低限のマナーはあるのかもしれない。(笑)前後のネエちゃんの連れのオジサマ達はネエちゃんを止める様子もなく、たまに手を握り合ったりほっぺにキスしたりと楽しんでいた。周りの我々(他の乗客含む)は彼女のテンションの高さに迷惑というよりも、ぶっ飛び過ぎたネエちゃんを珍しく見ていた。ネエちゃんは激しく頭を振って踊っている時に髪止めが隣の列のオジサン(普通の乗客)の方に飛んでいった。オジサンが足元に落ちた髪止めを拾ってネエちゃんに渡すと、ネエちゃんはなんとその髪止めをワニの口のようにして、オジサンを摘まむマネを何度もしだしたのだ。(笑)「フンニャーオ、フンミャーオ!!!」と文字で説明をするのは困難だが、そんな感じだ。(笑)この瞬間に周りの乗客がどよめいた!みんな大笑いしたいところだが、イカれたネエちゃんに僕も含めて、皆絡まれたくないので顔を隠して声を潜めて笑った。(奥さんは爆睡していて気付かなかった)その後、ネエちゃんはまた踊り出した。今思ってもあのテンションは普通ではなかった。お酒飲むだけであそこまでバスでテンションが上がるだろうか。もしかしたら、ドラッグをしていたのかもしれない。。。

元同僚との再会

NYに来た理由は元同僚に会うためだった。人に会う旅は今回の旅のテーマでもある。正直NY観光には興味がなかった。それは、我々のようなバックパッカーにNYは余りにも高すぎるからだ。

無事に同僚たちと合流できてディナーを一緒にし、短い時間だったが有意義な時間を過ごすことができた。部署で日本人は彼ら2人だけで、他はアメリカ人だけらしい。我々もオーストラリアで10ヵ月英語環境で働いていたが主にレストランの厨房での仕事だったため、オフィスで英語環境で働いている彼らの話しに興味があったのだ。2人も英語で苦労しているとは言っていたが、気持ちがすごい分かった。レストランでも難しい時があるので、オフィスなら尚更だ。アメリカ勤務希望の僕にとって2人と話せたのはすごい刺激的だった。大変なことも多いだろうけど、海外で働くことで得られる経験値は計り知れないはずだ。

マンハッタン観光

マンハッタンを歩いていると、自分が本当にどこの国にいるか分からなくなる。全人種が集結しているようだ。出身地、人種なんて関係なく自分が地球人なんだなと思えてくる。もちろん、オーストラリアでシドニーにいるときも超国際都市で本当にさまざま人種がいたが、アフリカ系の人は少なかったしアジア人の比率が高いためNYまで人種のるつぼではなかった。

しかし、そんなマンハッタンでも地域により人種にバラツキがある。もちろん中華街に行くと中国人ばかりだし、ファスドフード店(店員、客含め)、ごみ収集やその他簡易的な仕事はアフリカ系の人が多い。ホームレスのような人もアフリカ系の人が多いように見えた。オーストラリアでは歴史上アフリカから奴隷が連れていかれなかったため、アフリカ系の人口は少ない。(オーストラリアのアフリカ系は自分の意思で移住している)そのためか、オーストラリアのホームレスのような人は西洋系かアボリジニーのような人たちだった。こういったところからも歴史が伺える。

我々が滞在したニュージャージー州のジャージーというエリアでは、インド系、中米系の人たちがとても多くいた。因みに日本人の駐在員はロングアイランド島エリアに住むことが多いらしい。混沌としたマンハッタンとは打って変わって、ロングアイランド島は閑静で綺麗だった。

バックパッカーの我々はお金がかからずに行けるところだけをピックアップした。

タイムズスクエア

セントラルパーク

1980年12月8日にジョンレノンが銃殺されたダコタ・ハウスだ。このマンションはウェスト72ストリートの一番セントラルパーク寄りにある。そこからセントラルパークに入るとジョンレノンの記念碑やストロベリーフィールズという場所がある。

そこから、斜め上に公園を横切るとメトロポリタン美術館に着く。我々は入場していないが、美術に興味がある人はセントラルパークを散歩して訪れるのもいいかもしれない。

ブルックリン橋も観光名所の一つだ。歩いてブルックリンまで行くことができ、橋の上からマンハッタンのメガロポリスを一望できる。遠目だが自由の女神も見ることができる。

グランド・ゼロ 2001年9月11日のあの大惨事の跡地だ。今でも当時のことを覚えている。塾から帰ると母親がテレビの前に仁王立ちで立って唖然としていて、何事かと思ったらテレビはワールドトレードセンターからモクモクと黒い煙が出ている映像を映していた。僕が2009年に訪れた時は、まだこのモニュメントはなかったが今は跡地はメモリアルパークとしての残っている。淵には犠牲者の名前が刻まれている。名前の中には日本人の名前も多く確認できた。とても悲しいことだ。

現在のワールドトレードセンターはすぐ横にある。

ブルックリン橋からの夜景が綺麗と言われているが、夜出歩くのを避けている我々は滞在先から歩いていける夜景ポイントで撮影をした。

日曜日の夜だったため、他の日よりもライトアップが少ないかもしれない。

NYでの滞在は6泊7日とゆっくり観光することができた。宿はAirbnbで狭く快適とは言えなかったが、1泊4,000円以下と格安だった。カウチサーフィンという手もあったが、今までに宿泊経験が無い我々はホストからのレビューもないため、数件申請したが承認されなかった。(カウチサーフィンは費用がかからない反面、全て自己責任なのでホストと宿泊者両方にリスクがあるため、宿泊する際にホストからのレビューが多く信頼がないと承認されにくい傾向にある。)これから旅を始める人は日本で何回か試してから海外で利用するのがいいかもしれない。我々も今後利用するために、どこかの国で試す必要があるだろう。

オーランド ~ケネディー宇宙センター観光~

NYからオランドまでのバスはGotoBus.comというサイトから検索し、Star Lineという中国のバス会社を利用した。公式時間で19時間で実際は少し遅れて20時間ほどかかった。バス停は中華街のキャナルストリートにある。

一人90$でグレイハウンドのWebで早期購入によるチケットの89$とほとんど一緒の金額だが、客層は8割中国人と2割アフリカ系といったところだ。乗り心地はグレイハウンドと同等レベルだ。グレイハウンドは早めにバスを予約しないと値段が上がるので、グレイハウンドで予約を取り損ねた際に利用してもいいかもしれない。個人的にはグレイハウンドの方が居心地が良い。

1ドルくれ!?結果、逆に3ドルもらう?

バスはオーランドの中華系のモールが終着駅だった。

長旅で疲れていて早く、Airbnbの宿に行きたいところだがバスは1時間以上遅れたため乗る予定だったバスに乗れなかった。ここからが大変だった!我々は節約のため携帯のSIMカードも購入していなく、まずWIFI探しから始めた。結局ウェンディーズでバスの時間を調べる次のバスは2時間後。ウェンディーズで無駄に時間を費やしバス停へ行くと、浅黒い小柄な男が2人いた。パット見て違法入国のメキシコ人かと想像したのは、ドナルドトランプがメキシコの国境に壁を作ると言っていたことを思い出したからだ。彼らは我々を見ると興味津々に話しかけてきた。彼らの内の一人はメキシコからで、一人はグアテマラから仕事で来ていた。中華レストランで働いているらしい。するとグアテマラ人の方からいきなり、「1ドルくれ」と間髪入れずに言われた。あまりに唐突で一瞬理解できなかったら、もう一度「1ドルくれないか」と言ってきた。お金持ってないよと笑いながら返すと、隣のメキシカンがグアテマランに強めに何か言っている。スペイン語で何を言っているか分からなかったが、「みっともないから金くれなんて言うな!!」といった雰囲気だった。アメリカに出稼ぎでメキシコ人が多く来ているというのはニュースで聞いていたが、中華系レストランなので収入が良くないのだろうか。オーストラリアでは国が定める最低時給が約17.5ドルに対して中華系は10ドル以下もざらにあると聞いていたため、アメリカでも同じようなケースは考えられる。ロクに給料をもらっていないのかもしれない。

考えすぎかもしれないが、少し可哀そうに思えてしまった。そうこうしている内に、バスが来て乗込むと細かいお金が無くてドライバーから乗車を拒否された。(アメリカのバスはお釣りが貰えないことが多いため、乗車前に運賃をピッタリ準備する必要があるのだ)2時間待ったバスで次のバスはいつ来るか分からない。10ドルを何とかくずしてもらって何としても乗りたい。ドライバーは乗客に「誰か10ドルくずせる人?」と聞いてくれたが、誰も持っていない。困った。するとメキシカンが来て、「どうしたんだ?」細かいお金が無いと説明すると、ポケットからクシャクシャの1ドル札を取り出して二人分の3ドルを出してくれた。分からないが彼らにとって3ドルは決して安くないはずだ。結果、彼のお陰でバスに乗れたのだが、申し訳無い気持ちでいっぱいだった。というのも、アラスカ、ニューヨーク滞在時もバスはお釣りを出さないシステムだったので薄々オーランドでも同じとは思っていたのだ。しかし、アラスカでは小銭を持っていないと無料にしてもらっていたので、心のどこかで今回も押し通せば見逃してくれると思っていて、バス乗車用に小銭にくずすことを怠った。今回の件で反省し、今後は事前に準備しようと思った。

ケネディー宇宙センター観光

今回オーランドに来たのは、ディズニーでもユニバーサルスタジオのためでもない。ケネディー宇宙センター(以下:KSC)に来るためだった。色々調べた結果、KSCは車、タクシー、ツアーバスで行く方法しかなく自力で行く方法が無かったため、TakeToursというウェブサイトを見つけて申込んだ。(バス、KSC入場料込みで一人94ドル)このツアーはホテル送迎となっていて我々は最寄りの送迎場所となっているシェラトンホテルまで行きバスに乗った。バスは2階建てのハイグレードのバスで快適だった。距離は80キロほどで直接行けばそんなに時間はかからないはずだが、このバスはホテル送迎のためいくつものホテルを経由して乗客を集めながらKSCに向かったため、2時間以上はかかったと記憶している。ようやくケネディー宇宙センタービジターコンプレックス(以下:KSCVC)に着いた。ロケットの発射台の方は、このKSCVCから別のバス(有料)で見学ツアーがある。

KSCVCのエントランスの手前左側にインフォメーションセンターのような所があり、そこのモニターでスケジュールを画面をタッチしながら立てることができる。調べずに入るとどこで何が何時にやっているか分からないので、予め予定を立ててから入場するようにしよう。

我々はまず元宇宙飛行士のトークショーを聞きに行った。

元宇宙飛行士の生の話しに少しだけ宇宙を身近に感じることができた。準備期間の大変さや、飛行前の心境、実際の作業内容など興味深い内容ばかりだった。

KSCVC内はテーマパークのようになっていて、宇宙シャトルの離陸体験(シャトルの模型に乗り、映像を見ながら発射までを体験する)ができたり、宇宙飛行船の実寸大の模型を見たり、

コックピットを覗いてみたり、

その他、宇宙の成り立ちから説明してくれるコーナーがあったり、とても勉強になる施設である。あるアトラクションで宇宙飛行士数人のコメントが映像で流されたのだが、その内容がとても心に残っている。

「宇宙を探求することは、我々人類がどこから来たのかを知るきっかけとなるんだ。」

そもそも宇宙とはなんだ?本当に無からビッグバンアタックで誕生したのか。。そして今も広がっていると言われても、話しが超越しすぎてて途方に暮れる。その謎めいた宇宙に対して、純粋に「知りたい」という好奇心を宇宙飛行士たちは、NASAの人たちは持っているのだろう。宇宙の謎が解明される日はいつ来るのだろうか。KSCVCを訪れてから、宇宙に対して興味が湧いてきた。

フラグスタッフ

オーランドからグレイハウンドのバスでジョージア州アトランタテキサス州ダラス、ニューメキシコ州アルバカーキなどを経由して48時間半かけてやってきた(一人147.4ドル(16,509円 1ドル112円換算))。カナダで85時間バスの旅を経験していたため、余裕かと思っていたがやはり丸2日間ほとんど座りっぱなしというのはきついものだ。フラグスタッフの街の少し外れたバスターミナルで下車し、オーランドで覚えたUBERを利用して快適にAirbnbの家に着いた。今回のホストはサウジアラビア人とアメリカ人のカップルだった。(1泊5,766円)ここのホストもゲストへの気配りが素晴らしく、とても居心地の良い4日間となった。ホストの名前が特徴的だ。「モ」だ。いくら何でも短すぎる。理由を聞くとみんなが覚えやすいようにと「モ」にしたらしい。(英語名)逆に呼びにくいが確かに覚えやすいから悪くないかもしれない。(笑)

日本人が世界のどこにも属さない特殊な人種!?

同じAirbnbの宿に我々の部屋の他にもう一部屋ゲスト用の部屋があり、サンフランシスコ在住の西洋系アメリカンの女性が滞在していた。歳は40歳過ぎといったところか。少し絡みにくそうな雰囲気を持つ女性であったが、同じ屋根の下で生活をして何も話さないもの気まずいため話しかけてみた。すると意外におしゃべりで話しは盛り上がった。彼女はフラグスタッフには仕事で来ていたが、過去に世界中を旅をした経験があるとのことだ。日本も例外ではなく東京、関東エリア、その他の地域にも行ったことがあるらしい。そこで日本はどうだった?と聞くと、「世界中の色々な国に旅行したけど、日本は特別だったわ」何か特別の意味合いが喜んでいる様子ではなかったため、寺や城など西洋には無い建築物が特別だったのかと思い訪ねてみると、「違うわ。日本人が世界中のどこの国にも属さない特殊な人種ってことよ。」・・・何があったの?と興味深く聞くと、「日本で道に迷ったときに、誰一人助けてくれなかったのよ。世界中を旅して、そんなこと一度もなかったのに。」どんな国でも立ち止まって道を確認していると、100%誰かが助けてくれたらしい。僕は彼女に、日本人は英語が話せないから助けたくても助けられなかったか、東京だったらみんな忙しくて助ける時間がなかったんだと思うと伝えると、「それだけが理由じゃないわ。東京以外にも行ったけど一緒だったわ。本当驚いたわよ!」と返された。今までに会った外国人で日本に行ったことある人の100%が満足そうに話してくれたので、今回の話しは以外だった。その人の人柄や、ただ単に場所が悪かったり、タイミングが悪かったのかもしれない。彼女は続けて、東京の定食屋でも不可解なことが起こったらしい。それは、彼女は海苔弁当を注文する時に、海苔が嫌いなため海苔を抜くようにお願いしたらしい。その時、定員さんが彼女の顔を見て『海苔弁当で海苔を抜くってどういうことや~!!』と言わんばかりの顔で口を開けて驚いたらしい。海苔弁当で海苔を抜く方も悪いかもしれないが、そこは外国人なので大目に見て欲しいところだ。(笑)余談だが、現在我々も様々な国を旅行しているが、特に中米諸国では言葉が通じないのにも関わらず、みんな助けてくれる。一瞬でも携帯見て迷った素振りをすると必ず誰かが声をかけてくれる。面倒見の良い人はホステルまで一緒にタクシーに乗って送ってくれたりもした。車の荷台に乗せてくれて、バスターミナルまで送ってもらったこともある。それを考えると、日本は外国人に距離を置く国柄なのかもしれない。それは言葉が通じないから、間違った英語を話したら恥だとか、色々理由はあるかもしれないが人によっては本当に無関心なのかもしれない。今回の彼女との話しで、今後、旅している時も含めて困っている人がいたら率先して助けてあげようと思った。旅をしていて思う事だが、外国人(今まで旅した全ての国で共通する)は人助けに躊躇いがない。見ていて気持ちが良いくらいだ。もちろん、国によっては接客が最低なところや、ポイ捨てが当たり前の国などもあり、悪いところも多々見るのだが、良いところは見習っていきたいと思う。

グランドキャニオン

僕はグランドキャニオンが2回目だ。2009年に卒業旅行でアメリカを周遊しているときに来たのだ。前回の写真を見返していたら、全く同じ出で立ちだったので笑えた。前回はラスベガスからHISのツアーを利用して来た時、グランドキャニオン国立公園の滞在時間が1時間しかなくグランドキャニオンの周りをちょろっと歩いて終わったので、今回はトレッキングがしたかった。グランドキャニオンで滞在するほど予算が取れない我々はアリゾナシャトルという会社を利用した。(レンタカーも考えたが、国際免許証が無く借りれなかった。1社レンタカー会社に電話してみたが日本語の免許証は無効との事だ。基準は、アメリカンポリスが字を読めるかどうかにかかっている。従って、スペイン語やその他ヨーロッパ言語で英語に単語が似ている言語は有効とのことだ。因みにロシア語は異なり過ぎて無効らしい)

フラグスタッフ(アムトラックステーション駅)⇔グランドキャニオン国立公園 乗車時間:1時間45分 費用:70ドル/人※フラグスタッフのアムトラックステーションからは始発が7時45分発で9時30分に国立公園に到着する。帰りは18時15分国立公園発で20時15分にアムトラックステーションに着くスケジュールだ。

今回我々が選んだトレッキングコースは、Bright Angel Trailhead(ブライト・エンジェル・トライルヘッド)だ。

我々は時間の都合から一番短い距離の「3 Mile Resthouse」を選んだ。(結果、雨で1.5マイルで引き返した)

道中、ミュール(ラバ)隊と遭遇!10頭以上はいたと思う。山道で重い荷物を運べる優れモノだ。

ブライト・エンジェル・トレイルヘッドのスタート地点が2,091メートルで1.5マイルのレストハウス(休憩所)地点が1,743メートルなので約350メートル下ったことになる。登山と違うところは、初めに下って後に登ることだ。天気は生憎の雨で霧が出てしまっていたが、天気は変わりやすく晴れたり、止んだりの繰り返しだった。雨が降り気温が下がったため、懸念していた熱中症になることがなかったが、もし炎天下の中トレッキングする場合は注意が必要だ。結果、我々は雨で3マイルを諦め、1.5マイルに変更したが帰り道は結構しんどかった。

トレッキングの後も雨が度々降ったが、16時以降くらいだったか段々晴れてきた。そのタイミングでRim Trail(リムトレイル)を歩き写真スポットを探した。※グランドキャニオンの淵に沿って、歩けるように歩道が整備されている。快晴まではいかなかったが夕方には晴れ間が広がり絶景となった。

もし次回来る機会があれば、谷の下まで下ってキャンプを楽しみたいものだ。フラグスタッフのAirbnbのホストのモ(サウジアラビア人)は以前谷の下で8日間キャンプをしたらしい。サンフランシスコ在住のアメリカンは、谷の下でカヌーが最高よ!と大絶賛していた。時間と費用に余裕がある人は、淵からグランドキャニオンを覗くだけでなく谷の下まで行ってみた方がいいだろう。グランドキャニオンの下でカヌーなんてしたら最高だと思う。

セドナ~パワースポットを求めて~

セドナは原住民インディアンが神聖視したとされ、儀式を執り行っていたようだ。その中でも4か所から特にエネルギーを感じたらしくそれを4大ボルテックスと呼ばれるようになったらしい。今回我々は、この大地からエネルギーが放出していると言われるボルテックスでパワーを感じようとセドナへ向かった。シャトルはグランドキャニオンの時と同じアリゾナシャトル

フラグスタッフ(アムトラックステーション駅)⇔Sedona Uptown Center(中心地) 乗車時間:45分 費用:86ドル/人※上記は公式の時間で、道路工事中もあり中心地まで1時間くらいかかった。帰りは16時50分のスケジュールしかなく、日帰りでは十分にボルテックスを回れないので注意。フルで回りたい人は何泊かするか、レンタカーで行くことをお勧めする。

運よく乗客が我々だけだったので、中心地から離れたABSOLUTE BIKES(今回依頼したレンタルバイク店)まで送ってくれた。

ABSOLUTE BIKES 82.95ドル(マウンテンバイク2台 終日レンタル)

事前にウェブで予約していたので、受取はスムーズ。ルートは一番遠い、ボイントンキャニオン→エアポート・メサ→カテドラル・ロック→ベル・ロック、そしてレンタルバイク店へ戻るプランを立てていた。ボイントンキャニオンとカテドラルロックでトレッキングをして、その他は自転車で近くまで行って少し見れればいいなと思っていた。制限時間はたったの7時間半。早速ペダルを漕ぎ出そうとすると、口髭がもみ上げまでもっさり繋がっているアメリカンから、「どこへいくんだい?」と興味深そうに聞いてきた。僕はルートを説明すると、「ボイントンキャニオンは1日じゃ無理だぜ。車でも時間がかかるところだ。」と早々に腰を折られた。確かにそうだ。冷静に考えるとグーグルマップで検索した23キロ1時間25分というのは、坂道は計算されてないのだ。はあ。しかも僕だけならいいが奥さんも一緒だ。急ぐこともできない。ボイントンキャニオンを諦めるか?しかも炎天下。この日は猛烈に暑かった。少し迷った。ボイントンキャニオンを諦めて、カテドラル・ロックをメインにするかどうか・・・せっかくセドナまではるばる来たんだ。一番遠いボイントンキャニオンをメインにしてその他は、時間が無理なら諦めよう。ボイントンは男性エネルギーと女性エネルギーの両方のパワーが宿るとのことだ!行くしかない!!いわゆる、何とかなるやろ作戦だ。出発や!!!

しかし、

アメリカン髭モジャ君の言う通り、ボイントンキャニオンまでの道のりは想像以上に厳しかった。

23キロの道のり全てがアップダウン・・・そして、猛烈に暑い。約3時間かかっただろうか。着いた時は既に12時を大きく回っていた。

奥さんが大丈夫か気に掛けていたが、僕もかなり体力を消耗していた。駐車場にテーブルとベンチがあり昼食。時計は13時を回ろうとしていた・・・時間ないやんけ。。。シャトルが16時50分にレンタルバイク店に来るため、逆算するとトレッキングの時間は1時間もない!行けるところまで行くしかない!!

赤い岩に土、そしてメインの岩は大きくて見上げてしまう。

サボテンも所々に生えている。

1時間の猶予では、景色が良い岩の上まで行けず途中で引き返すこととなってしまった。仕方ないので、巨大な赤い岩の麓で岩に手を当てて瞑想してみた。残念ながら特に何も感じなかったが、原住民の人たちがここボイントンキャニオンを人類発祥の地として神聖視したというのは、巨大な赤い岩を目の前にして何となく理解できるような気がした。

トレッキングを終えて、少し休憩してボイントンキャニオンを後にした。しかし、暑い。ボイントンキャニオンは自転車で来るところではないようだ。(笑)道中は中心地以外、お店も少なく日陰も少ない。頭がだんだんクラクラしてきた。帰りに道にベル・ロックの麓まで行ければ行きたかったが、そんな余裕は2人ともなく眺めながら通りすぎた。

結論、セドナの大地を自転車で走り、珍しい赤い岩の景色を見れたのは満足だった。しかし、パワースポットを感じれたかというと、、そうでもない。(笑)限られた時間で4大ボルテックスを自転車で回るのは相当難しい。世界一周を自転車でしているような、どこでも宿泊できて時間のある人以外は、断然レンタカーで回る方がいい。(笑)この日の夜から2日ほど頭痛で大変だった。日光に当たり過ぎたのだ。(焦)

サンフランシスコ ~旧友との再会~

セドナの炎天下で頭痛が治らないまま、グレイハウンドバスでサンフランシスコへ向かった。サンフランシスコへ向かう理由はただ一つ、中学の同級生に会うことだ!同級生が結婚でアメリカに渡った時に、世界一周中にアメリカで会おうと約束していたのだ。それから約5年が経ち、いよいよこの時が来た。

フラグスタッフからは、サンフランシスコ直通よりも以下経路の方が断然安かったため少し遠回りすることになった。

フラグスタッフ→フェニックス 所要時間:2時間45分 運賃:19ドル/一人

フェニックス→ロスアンゼルス 所要時間:8時間 運賃:33ドル/一人

ロスアンゼルス→サンフランシスコ 所要時間:9時間30分 運賃:26.5ドル/一人

フェニックスからロサンゼルスへ向かうバスは西へ真直ぐだ。夕焼けに向かってバスは直進した。

友人に会える楽しみと、2012年に母校の東京会で渋谷の居酒屋でアメリカで会おうと約束したことを思い出していた。あれから5年かあ。何かしみじみしていた。バスは夜中ロサンゼルスのバスターミナルに着いた。バスターミナルには今まであまり見なかったアジア人がけっこういた。メキシカン系も多い。地域により人種もまちまちだが、オーランド、アトランタのバスターミナルはアフリカに来たと錯覚するくらい黒人で占めていた。全国を通して白人はあまり見る事はなかった。ここでも貧富の差が垣間見えた。無意識に人種をチェックしているのは、僕だけだろうか。基本的に、単一民族国家の日本人だからだろうか。僕は人々の顔を見て、どこから来たのか想像するのが好きだ。バスは北へ真直ぐ夜道を走っていき、ようやくお昼前にサンフランシスコに到着した。

そして、同級生のさおりちゃんと合流!!5年振りの再会に感動もひとしおだった。彼女とは小、中学校と一緒だったのだが、中学の時には世界水泳に出場、その後北京五輪にも出場している大物だ。大学はアメリカの大学を出ている。僕が尊敬する人の一人だ。さっそく車に入ると、後部席に可愛い赤ちゃんが眠っていた。大物も今は1児のママだ。

家に向かう途中にアメリカで流行っているハンバーガー屋さんに行った時だ。さおりちゃんが注文している時に感動したことがあった。英語の発音がネイティヴのようだった。さすがオリンピック選手は英語も凄い!話しを聞いてみると、彼女も日本人発音をなおしたく、発音が違ったら修正してもらうように友達に伝えていたらしい。同じ英語学習者として思うが、これは簡単ではない。僕は発音がかなり苦手な方で、今でもジャパニーズイングリッシュになっているが、伝わればいいとなかば諦めぎみだった。フィリピン留学の時に校長先生から、言語は運動神経だと教えられていたことを思い出した。訓練が大事なのである。元五輪選手から習うことは多そうだ。

サンフランシスコでの滞在は当初3,4泊だったが、結果10泊させてもらうことになった。旦那さんもとても優しい人で、居心地良く過ごさせてもらった。またさおりちゃんの友人、萩原さん宅にもお世話になったのだ。アメリカで生活する2家族の家に数日間ご一緒させてもらったが、とても大事なことに気付かされたことがある。それは、家族と共に過ごす時間をとても大切にしていることだ。アメリカでは家族を最優先にすることが普通とNYで元同僚と会った時にも聞いていたが、その通りだった。個人差は大いにあるのだろうけど、アメリカ社会は仕事とプライベートのバランスを取る雰囲気ができているのだろう。家族を大切にするのは当たり前だし、どこの国も変わらないと思うが、共に過ごす時間を比べると日本とはかなり差が出るのではないだろうか。次の仕事がどのような内容になるかは、まだ分からないが軸を見失わないようにしたいと思った。バランスが大事なのだ。

これから1年以上の旅で多くの忘れられない場所ができると思うが、サンフランシスコは確実に一番の思い出の場所になると思う。さおりちゃん一家、萩原さん一家、そしてここで出会ったみんな。この記事を書きながら思い出していると、自然と微笑ましくなってしまう。また必ず訪れたいと思う。

サンフランシスコ観光

~日本人街~

今までフィリピン、オーストラリア、ニュージーランド、アラスカ、カナダと旅行してきて中華街、韓国街はあっても日本人街はなかった。アメリカ西海岸。海を渡れば日本だ。カリフォルニアは日本の文化がかなり浸透しているのだ。日本人街には世界中の人種の顔ぶれがあり、世界中の人から愛されているようだった。旅中に日本食が恋しくなることは多々ある。そんな時、作りたくても調味料が手に入らないとなかなか日本の味を再現できないのだ。ここのスーパーには何でも日本の食材がある。さおりちゃん家で毎日日本食を楽しんだ。日本人街(Japan Town)はサンフランシスコの中心地から差ほど離れてない場所にある。

~ゴールデンゲートブリッジ周辺~

萩原家の自転車を借りてサンフランシスコサイクリングを楽しんだ!サンフランシスコはとにかく急勾配の坂が多い自転車には大変な地形だ。(写真では緩やかに見えるがかなり急勾配)

サンフランシスコの北西からランズエンドに向けて登り始めた。サンフランシスコは地形上、霧が高い確率でかかっている。

ランズエンドの丘から、ちょうど良く晴れてきた。

ようやくゴールデンゲートブリッジに辿り着いたのはいいが、また濃霧になってしまった。

無事に晴れてきてよかった。

脱獄不可能と言われたアルカトラズ島はゴールデンゲートブリッジから良く見える。今は観光地となっている。

フィッシャーマンズワーフ(ピア39)

サンフランシスコはかなり大きい。北西のランズエンドの麓からピア39まで15、6キロある。疲れ果てた我々は帰りはバスにした。アメリカの良いところは自転車をバスのフロント部分に乗せることができる。(2台まで)非常に便利だ。因みに電車にも自転車と一緒に乗車できる。(日本では輪行バッグに入れる必要がある)

~IT企業巡り~

サンフランシスコから南行くと、世界の名だたるIT企業がある。フェイスブックの本社。

サンフランシスコでの思い出に「いいね」をしたい。

オフィスビルディングはカラフルだった。

グーグル本社。

 

ツイッター本社はダウンタウンにある。

スタンフォード大学

2017年に公表された世界大学ランキングでカリフォルニア工科大学と同率3位となっているらしい。大学とは思えない敷地の広さと厳かな建物。構内はとても綺麗で、自然もありお弁当を作ってピクニックも楽しめる。

ツインピークス(Twin Peaks)~

ここはサンフランシスコの夜景が見れるスポットだ。サンフランシスコの中心にあるツインピークスまでは車で行ける。サンフランシスコの夜景を一望できるスポットとして有名だ。

出国、メキシコへ

サンフランシスコの滞在はとても濃密なものとなった。サンフランシスコを離れる時さおりちゃんをはじめ、ここで出会った皆さんの優しさに感謝の気持ちでいっぱいだった。満足感で満たされながら、我々はメキシコに入国すべくお馴染みのグレイハウンドバスで南下した。

サンフランシスコ→ロスアンゼルス 所要時間:8時間45分 運賃:25.5ドル/一人

ロスアンゼルス→サンイシドロ(San Ysidro)(メキシコ、ティファナ(Tijuana)との国境の街) 所要時間:3時間5分 運賃:16ドル/一人

朝一サンイシドロで下車し、徒歩でメキシコの国境へと向かった。奇遇にも8月8日、結婚記念日がメキシコ入国日となった。これからどんな出会いがあるのか、どんな景色に出会えるのか。治安は大丈夫なのか。色々な感情が交錯しながらラテンアメリカへと足を踏み入れた。

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