明日ちがう屋根の下

夫婦世界一周3年半の旅!73の国と地域へ訪問!大まかな旅路→フィリピン留学→オーストラリアワーホリ→NZからアラスカへ渡り陸路でアルゼンチン最南端ウシュアイアへ→南アフリカから陸路でエチオピア→キルギスから陸路でヨーロッパ→中東→南アジア→東南アジア→中国→韓国→帰国!

メキシコ~見どころ満載!ピラミッドは大迫力!~

ティファナ(Tijuana)

歩いて国境を渡るのは好きだ。また、新しい国へと自分の足で踏み入れる瞬間がたまらない。このゲートを潜ると今までの当たり前が一気に変わることがある。それがメキシコ国境だ。

大国アメリカ合衆国と隣国のメキシコだが、わずか徒歩5分で国境を越えるだけで雰囲気はガラッと変わる。写真はメキシコ側の国境だが、入国審査で大渋滞。その周りにはたくさんの物売りたちがいる。恐らくアメリカ側の国境にはこのような景色はないはずだ。いくつ車のレーンがあるか分からないほどだ。トランプに代わってから更に入国審査が厳しくなっているのだろう。(2017年8月8日メキシコに入国)

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入国について

メキシコの入国で避けられないのが高い入国税だ。年々金額が上がっているらしいが、一人500ペソだった。(1ペソ6.1円 2017年8月~9月時点)あまりにも高すぎる。※出国税も500ペソだった。(9月11日時点)メキシコは大好きだが、この入出国税の高さには不満だ。※メキシコにアメリカから陸路で入国する際は滞在期間を聞かれ、72時間以内アメリカへ帰る場合は入金手続き無しで入国できる。72時間以上滞在する場合は税関のすぐ横にカウンターにて入金しなくてはならない。(クレジットカード使用可能)この手続きをすると180日間ビザ無しで滞在することができる。

税関のオフィスを出る時に、警官らしき男たちが肩からブラ~ンと長いタイプの銃を持っている。メキシコについてマフィア、麻薬戦争、誘拐・人質などの噂があり、怖いイメージが先行していたため少し身を引き締めた。ティファナの中心地までは歩いて20分くらいだったか。我々はエンセナダというティファナから南に100キロのところにAirbnbの宿を取っていたので、まずバスターミナルへ向かった。

ティファナ(Tijuana)→エンセナダ(Ensenada) 所要時間:約2時間(記憶の限り)運賃:200ペソ(1ペソ6.1円)/一人

バスは快適で治安も全く問題無し。

一文無しハプニング

バスの値段、時間をチェックした後にティファナ市街地へと向かった。バスターミナルから10分も歩くと市街地へと着くが、途中に激しくアンモニア臭がするところや古い家が並んでいるところなどあった。夜は治安が良くないのかもしれない。

しかし市街地に着くと、差ほどアメリカと大差ない街並みが見えた。

歩いてる人々を見る限り治安が悪いとは思えない。ティファナは治安が悪いと有名ではあるが、市街地はそんな気配は全くない。(昼しか見ていないため、夜は姿を変えるかもしれない)

新しい国に来て、必ず我々が最初にすること。現地の通貨をATMで引き出すことだ。そして前の国の通貨を極力残さないようにすることが節約に必要である。しかし、これが裏目に出た。早速、ATMに行くもエラーで引き出せない。3,4か所違う会社のATMで試してみたがどれもダメ。銀行の窓口でもダメ。財布の中は1ドルもなかったためほぼ無賃状態だ。ここで日本人経営のお土産屋さん「アステカ」のおばさまにお世話になることになった。

この「アステカ」は直近の訪問地サンフランシスコで友達に紹介してもらっていた。「アステカのかっちゃんさん」という人が友人の知合いの知合い(笑)ということだけ聞いていて、関係は遠いが同じ日本人としてティファナに寄るので顔だけ出そうと思っていたのだ。しかし、今回の訪問はATMでお金が下せない時の対処の仕方を聞くことに目的が変わっていた。アステカはお土産さんが並んでいるメイン通りにあり、売り場は階段を少し降りたところにあった。

レジのところに日本人らしきおばさまがいて、「かっちゃんさんはいらっしゃいますか?」と聞くが、休みとのことだ。ATMでお金が下せず困っていることを伝えると、対面のレストランのオーナーが何か知っているかもしれないということだが、手掛かりなし。そもそも、国際キャッシュカードの上限を超えていないはずなのに、なぜお金が下ろせないんや!!と困惑していた。我々はクレジットカードを3種類持っているため、カード決済でバスのチケットが買えるため、一文無しでも次の目的地エンセナダへは何とか行けるが、その先が不安だ。

ダメもとでOXXO(メキシコ全国チェーンのコンビニ)のATMで試みるが、お金は下せなかった。っとそのとき、アステカのおばさまがやってきて、「これ持ってきな」と20ドルを渡された。「いっいやそれは、、ちょっと・・・もらえないですよ。。。」と言いながら、二言目には「すみません!ありがとうございます!!!!」と言っていた。(笑)クレジットカードがあるので、何とかこの場は凌げるかもしれないが、正直、厳禁無しでは相当心細かった。おばさまは「いいから。いいから。気を付けて旅してね」と踵を返してしまった。名前を聞こうと、アステカに寄り訪ねると、おばさまはマサコさんというらしい。丁重にお礼をしてその場を去った。見ず知らずの旅人に20ドルを渡すことは普通はできないことだと思う。決して小さいお金ではない。またいつかお礼をしようと思う。

エンセナダ (Ensenada)

バスは、街中の信号の前に止まった。ターミナルではなかったが、どうやらここで降りるらしい。バスを降りてあたりを見渡すと、僕が以前に想像したようなメキシカンたちが街中にたくさんいる。コンガリ焼けた肌に、小さい背格好。女性はガッチリした人が多い。少しフィリピン人に近しい部分もある。昼間ということもあり、決して治安の悪い雰囲気はないがここはメキシコ。大事をとって、Airbnbの宿まではUBERで向かった。そのUBERさえもドライバーの名前、車両番号が一致しているかしっかり確認した。そう、我々の頭の中にはメキシコ=強盗という先入観が抜けてないのだ。

宿のアパートに着くと、Airbnbのホストが待っていた。ホストは白人だった。僕は勝手に彼をアメリカか西洋からの移住者でビジネスでエンセナダにいると思ってしまった。日本を出て1年半以上経っているのに、まだ先入観を持っているようだ。メキシカン=肌がコンガリ/小さい。。スペインの入植した地域で白人がいるのは当たり前なのだが、イメージというのは先行しやすいようだ。聞いてみると、ホストはメキシコ人でエンセナダ出身のようだ。旅をしながら一つ一つ先入観とのギャップを埋めていければいいと思う。

エンセナダはバハカリフォルニア(Baja California)半島にあり、アメリカから立地的にも近くアメリカンの観光客も多い。

結婚3周年記念日ということで、海岸線の海が見えるレストランでお祝い!セビチェ(Ceviche)など普段食べれない海鮮系を注文した。セビチェとご飯もの、ジュースを注文して約2,000円。それに追加で約10%のチップ。メキシコに来てガクンと物価が下がることを期待したが、バハカリフォルニア半島は観光地で且つアメリカに近いこともあり物価は高いようだ。

バハカリフォルニアの夕日は綺麗。食後に浜で夕焼けを楽しんだ。この水平線に太陽が沈むときに水平線上一帯がオレンジ色になるときが好きだ。この瞬間にいつも思い出す詩がる。「見えた。何が、永遠が。海に溶け合う太陽が」詩人アチュールランボーの詩の一部だ。詩に興味がある訳ではないが、日本にいたときに忙しいながら必ず毎週見ていたアナザースカイで、幻冬舎の社長の特集でハワイのシーンでこの詩が流れたときに、純粋にいいなと思ったのだ。

この夕日を見た翌日、次の目的地ラパス(La Paz)へ向かった。

(少し余談)母親大活躍!!!カード即日復旧!!!

エンセナダの宿に無事に着いたが、現金はアステカのマサコさんから頂戴した20ドルのみ。早くお金を下ろしたかったが、母親の連絡を待つしかない。不安を抱えながら一夜を明かした。人間お金が無いと不安になるものだ。いつもより早く目覚めて携帯をチェックすると、母親からメールが届いていた!どうやらカードは復旧したらしい!母親にカード利用分の前倒し入金をお願いし(もちろん我々のお金で)利用可能な状態に戻してもらうようにVISAへ連絡してもらったのだが、何と速攻で対応してくれたとのことだ!!聞いてみると、母親はVISAに「息子がメキシコで一文無しで困ってるのよ!!!」と対応を早くしてもらったらしい。(笑)我々の最強のバックオフィスと言えるだろう。旅は自分たちだけでしているのではない。実感した瞬間だった。更にいうと、カード枠が超えている場合は、クレジットカードの利用も本来は出来ないはずだ。しかし、我々はティファナでバスのチケットなど問題無く使えた。これは、限度額が超えていても、そこのカードを読み取る機器に限度額を読み取る機能が無いと関係無いらしい。。気付かないはずだ。。今後のために、限度額を上げてもらった。また、国境を越えたときに無一文にならないように、米ドルもいくらか準備しておくことにした。

お金が下せなかった理由は、カード利用限度額が超えてしまっていた。我々の管理が甘かったのだが、カード利用枠を既に超えていたらしい。数十万円ある利用枠を超える程使うことはまずないのだが、アメリカ入国審査用に全額払い戻し可能な高額なチケットを購入していたことを忘れていた。アメリカは入国時に出国用の航空チケットが無いと入国できない。我々は陸路でカナダから入国したため、提示を求められなかったので実際のところは分からない。※空路で入国する場合は必ず必要)

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ラパス(La Paz)

エンセナダからラパスまで約21時間だったか。一気に半島を南下した。メキシコ初の夜通しバスということで信頼性のあるバスを選んだつもりだ。

エンセナダ(Ensenada)→ラパス(La Paz) 所要時間:約21時間(記憶の限り)運賃:2,140ペソ(1ペソ6.1円)/一人

バス会社はABC。確かティファナ→エンセナダ間もこの会社だった。道中に2回ほど麻薬検査で軍人が機関銃を肩にかけたまま、麻薬犬と車内に入ってきた。

しかし恐ろしく高い。バスは超一等級で、シートもフカフカ、足置きもあり、リクライニングシートを倒すとベッドのようになる。我々には必要のないオプションだ・・カナダで85時間バスを経験しているんだ!そんな贅沢必要ないけん、もっと安くしてくれ!!!っと心の中で叫んだ。記憶の限りだが、その他Eliteというバス会社もあったが値段は変わらなかったと記憶している。

ラパスに着くと暑さに驚いた。今回もAirbnbで宿を予約していたので、速攻宿へ向かったが汗だくだ。暑さで頭が朦朧とするレベルだ。しかし、そんな我々を癒してくれるような素晴らしい宿が待っていた。

宿はヨーロッパ調のデザインでお洒落だ。(1泊2,000円ほど)ホストのクラウディアさんもフレンドリーで良い方だ。他のゲストにはイタリア人、ドイツ人、メキシコ人などがいて国際色も豊かだった。そして部屋にはエアコン!!ラパスでエアコンは必要不可欠。日中は38度くらいになる。4泊5日の滞在をしたが、日中は外を歩けないほどだった。そして、日本と異なる点は、午後4時くらいまで暑い!ラパスは実はダイビングとして有名らしく、ジンベイザメイルカ、アシカ、クジラ、その他海の珍しい生き物が見れるらしい。しかし、貧乏旅行者の我々はツアーは参加せず、宿から歩いて5分の海でのんびりした。水温はとても温かく気持ち良い。プクプク浮かんでお腹が減ったら近くのお店のタコスを食す。

食後はクーラーガンガンの部屋に戻りクールダウン。離れの部屋までの中庭もお気に入りだった。また、ここに泊りたい。

部屋で少し休憩し、夕日を見にまたお散歩。空はピンク色に変わり始め幻想的な雰囲気を醸し出してきた。何度も言うが、僕は夕日が大好きだ。ふと外を散歩したくなる。

のんびり歩いて海岸までやってきた。海岸沿いの歩道には多くの人が夕日を見にやってきていた。昼間は暑すぎて人は少ない。

ラパスはバハカリフォルニア半島東海岸に位置するが、地形は街を中心に右肩上がりしていて夕焼けを拝むことができる。最高だ。またあの詩が頭を過ぎる。素晴らしい。

じっくり夕焼けを堪能したあと宿にもどる。日が暮れても空は藍色に染まっている。こちらも素晴らしい。

ラパスの街並みは特別綺麗な訳ではないが、とてものんびりしているし、空は綺麗で思い出に残る場所となった。ダイビングなどで珍しい海の生物を見れると更に有意義なものになるだろう。

ラパスの夕焼けを堪能し満足した我々は、フェリーでラパスを後にした。

ラパス(La Paz)→トポロバンポ(Topolobampo)所要時間:約7~8時間(記憶の限り)運賃:1,290ペソ(1ペソ6.1円)/一人

フェリー会社:Bajaferries こちらも高額で痛い出費だった。船は客席もしっかりしていて快適だった。

こうして、バハカリフォルニア半島からいよいよメキシコ内陸へと突入した。

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ロス・モチス (Los Mochis)

バハカリフォルニア半島からメキシコ内陸部、トポロバンポへ渡るにあたり一つ懸念点があった。フェリーが夜10時に着くのだ。フェリーは1日1便14時30分発しかなく、夜10時着を余儀なくされた。更に言うと、トポロバンポは小さな港町で宿も少なかった。そこで我々を助けてくれたのが、Airbnbのホストだ。ロス・モチスはトポロバンポから車で30分くらいの距離なのだが、車で迎えに来てくれた!ガソリン代として100ペソ(1ペソ6.1円)だけ支払った。我々はまだメキシコに対して恐怖心を持っていたため、夜にタクシーに乗るのも気が引けていたためとても助かった!Airbnbは非常に旅を助けてくれる。

ホストの家は市街地(セントロ)から車で10分程離れたところで閑静な住宅街だった。ロス・モチスはチワワまでアクセスできるチワワ太平洋鉄道の始点だ。ここからチワワを目指す人も多いだろうが、我々はチワワは予定していなかったため街観光にとどまった。ロス・モチスはシナロア州の人口約23万人の小さな街だ。街中を歩いてみたところ観光客は我々以外に全く見なかった。そのためか、街ですれ違う人々は我々をなめまわすように見てくる。(笑)一度目が合うと、にこりともせずにジロっと見つめてきて、僕がHola!と挨拶すると、ようやくあちらも笑顔でHola~と返してくれる。相手の出方を探っているようだった。恐らく、彼らはなんで東洋人がこんな小さな街にいるのか不思議だったのだろう。しかしこちらが挨拶するとみな優しく返してくれる。この時の我々のスペイン語は壊滅的で、バスで宿へ帰るのも一苦労だった。取り敢えずバスが集まっているところで、地図を見せて、「ここに行くか?」と聞くが相手が何を言っているか全くわからない。ドライバーは別の乗り場を指して、あっちだと言っているのは分かるが、そこら中に乗り場があるため何回も聞いて回ること30分。バス停付近でたむろしているオジサンに「ここで待つんだ」と教えてもらい、何とか宿に帰ることができた。中南米の公共の交通機関は安い。ここでタクシーに乗らず、ローカルバスに乗ることは節約に大切だし現地の人とのささいな交流を楽しむこともできる。

一見普通のバスだが、中はカラフルに装飾されているバスもある。そして、バスにもよるが何個も大きなスピーカーが装着されていて運転手の好きな音楽が流れている。この時はかなりイケイケな音楽を爆音で流していて盛り上がっていた。だからローカルバスは好きだ。現地の人たちと僅かながら同じ空間に居ることができる。そして安い。正確な値段は忘れたが50円はしなかったと記憶している。

ロス・モチスでは次の目的地をどこにするか考えていた。夜行バスは強盗に遭う可能性があると過去の日本人の記事に記載されていたし、外務省の情報にも北部メキシコは特にマフィアが多いため、夜の移動は注意する必要があると書いていた。しかし、色々と調べた結果ロス・モチスの近郊にちょうど良く経由できるところがなかったため、結果グアダラハラというメキシコ第二の都市へ向かうことにした。たまたま宿の近くにTUFESA というバス会社があったためそこを利用した。(夜中2時頃発のバス)

※2017年8月~9月時点、メキシコのバスでネット予約できる会社はなかった。ネット予約できるのはメキシコ人及びメキシコ在住でメキシコ専用のクレジットカード所持者のみとなるようだ。

その他のバス会社も検討したが、バスターミナルは市街地(セントロ)にあり、夜中の移動を避けたかったためTUFESAに決めた。

ロス・モチス(Los Mochis)→グアダラハラ(Guadarajara)所要時間:約11時間 運賃:1,184ペソ(1ペソ6.1円)/一人

一つ気になった点があった。グアダラハラ行のバスは夜行がメインだったが、夜の10時発のバスだけ格安セールをしていた。なぜ?と勘繰る僕ら。夜10時のバスの次は24時や深夜2時。何が違うのだろう。メキシコのクレジットカードを持っていない僕らはバスの窓口でチケットを購入する必要があったのだが、A4サイズの張り紙でセール!と書いてあった。その時間が一番危ないのだろうか・・・300ペソくらい他の時間より安かったが、なぜか空席も多い。恐くて乗らなかった。僕らの拙いスペイン語で窓口で聞けることもなく、分からず終いであった。バスのランクが異なったのかもしれない。

夜中2時頃出発だったため、家の近くとはいえ結構ビビっていた。メキシコで初の深夜の移動ということもあって、強盗対策としてハンズアップ用お金の準備や、パスポート、クレジットカードをお腹に隠して乗車した。結果、ドキドキした僕らの気持ちとは裏腹に、何事もなくグアダラハラに着いた。バスは一等バスで乗り心地も抜群で、水やお菓子も乗車時に渡された。中米最初の国、メキシコということで慎重になり過ぎていたのかもしれない。一等バスを乗った限り、ターミナルは綺麗で清潔に保たれていて、乗客、係員ともにまともだ。スリに関しても注意すれば問題ないはずだ。我々は約900キロ南下し、ようやくメキシコ中腹へと入っていった。

グアダラハラ (Guadalajara)

グアダラハラは人口約160万人でメキシコシティに次ぐ、メキシコ第二の都市となっている。しかし、メキシコシティに比べると規模は小さく歩きやすい。

ここは「メキシコ独立の父」と呼ばれるミゲル・イダルゴ1810年独立戦争で進軍した土地として有名だ。イダルゴをモデルにした超特大壁画を飾る博物館もあるほどだ。これは、ハリスコ州庁舎(イダルゴが奴隷解放宣言をした場所)の中に描かれている。(この建物は無料で入場できる。入口で出身国や名前を書くのみ)

迫力満点の巨大壁画が印象的だ。その他庁舎の中を拝見することができる。一番大きいのは以下の「怒りのイダルゴ」※メキシコ美術の巨匠ホセ・クレメンテ・オロスコ(José Clemente Orozco)作。の壁画だが、その他会議所の天井のなどにも大きく描かれている。メキシコの独立の凄みが壁画から伝わってくるようだ。

ここハリスコ庁舎から徒歩圏内でユネスコ世界遺産となっている、オスピシオ・カバーニャス(Hospicio Cabañas)にも行ける。ここは、孤児院、複合病院だった場所でスペイン入植のラテンアメリカ圏で最大の規模とのことだ。(1791年設立)

※入場料は85ペソ(1ペソ6.1円)

この建物内もオロスコ作の天井画廊がいくつもある。

その中でもオロスコ最高傑作と言われている「炎の人」が高い天井に描かれている。

壁画はスペイン人と原住民の文化の衝突、メキシコ革命時の激しい衝突を描いている。アステカ時代からメキシコの独立までの様子を表現しているとのことだ。グアダラハラのメインの観光地として人気があるようだ。実際に迫力ある壁画に魅了された。

グアダラハラでの宿は、Airbnbの良い宿の空きがなかったため1日目は久しぶりのホステル泊。(1泊428ペソ。1ペソ6.1円)宿はいまいちだったが、日本人初の客ということで大いに歓迎された。

現在は、日本の国旗が飾られていることだろう。

ホステル滞在中に我々の大好きなAirbnbを探すと、1泊355ペソ(1ペソ6.1円)で見つかった。中心地からUBERで約10分で宿に着くが、そこでトラブル!宿に人がいないのだ。Airbnbで注意点がある。宿を探す時に「ホストの確認無しに予約」という選択ボタンがあるが注意が必要だ。今回は、ホストが旅行中で宿泊を受け付けていなかったらしいが、システムでは承認となっていた。家のお手伝いさんに問い合わせてホストに電話してもらい、何とホストの息子たちが旅行先から帰ってきてくれた!それも申し訳ないが、速攻の対応に我々は助かった。

メキシコ人の息子と婚約者のウクライナ人女性が宿に戻ってきて、翌日には芸術の街トラケパケ(Talaquepaque)観光にまで連れて行ってくれた!Airbnbのホストや家族がフレンドリーだと本当にお値段以上の価値だ!

車で連れて行ってもらい、ツアー状態だったので正確な場所や所要時間などは覚えていないが、1時間もかからなかったと思う。Tlaquepaqueは芸術の街で、僕はあまり芸術に馴染みがないため(全くないため)ヘンテコな銅像がたくさんある街といった印象でしかないが、ある店ではテキーラを試飲でき、通りでは民族衣装的な恰好で踊っている女性たちがいて、歌っている人もいてと楽しく過ごした。

Tlaquepaqueの中心を離れると(観光向けエリア)普通の街並みとなり、メルカド(市場)でお昼にした。屋台のおじちゃまが大声で歌いだしたり、スペイン語を教えてくれたりと面白い体験をした。

Airbnbの宿は清潔でお洒落な家で居心地が良く、4泊滞在した。オーナー夫婦は全く英語が話せずコミュニケーションが難しかったが、息子がフォローしてくれて快適に過ごせた。

グアダラハラはメキシコ第二の都市であるが、それほど大きい都市ではなく少し中心地から離れると閑静な住宅街が広がっていた。オーナーの息子から聞いた話しだが、今までに一度もグアダラハラで危ない話しを聞いたことが無いらしい。メキシコは麻薬戦争、強盗などの怖い噂をよく聞くが、やはりそれはメキシコ人でも縁の無いニュース上での話しなのかもしれない。

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グアナファト(Guanajuato)~メキシコ一番の景色~

グアダラハラからバスで約4~5時間(記憶の限り)でグアナフォト(Guanajuato)のバスターミナルに着いた。※グーグルマップ上には「Luxury Turistar ETN Guanajuato」と書いてあるが、実際は各バス会社総合のバスターミナルだ。

グアダラハラ(Guadarajara)→グアナフォト(Guanajuato)所要時間:約4~5時間 運賃:535ペソ(1ペソ6.1円)/一人

ターミナルの看板はなぜか、日本語が書いてある珍しい場所だ。大抵英語表記、加えて中国語、たまにアラビア語があるが、日本語は滅多に見ない。

市街地までのローカルバスもあったが、荷物が多いためUBERAirbnbの宿まで向かった。市街地まではバスターミナルから約8キロあり、山を中腹の整備された道を通り谷になっている市街地に入る。市街地に入るとまるで別世界!街の道路は石畳でクネクネしていてあらゆるところにトンネルがあり、迷路のようだ。

まず日本では見る事の無い街並みで、街はカラフルでエキゾチックな印象を受ける。街に入った瞬間に「来て良かった!」と思える街だ。 Airbnbの宿は、市街地からほんの徒歩2,3分の民家だった。今までAirbnbの宿はお金持ち系の家が多かったが、今回の宿は親子で住んでいる普通の民家だった。ホストの妹が日本人と結婚して、日本に住んでいるため日本にすごい興味を持っていて、トイレの壁には日本地図があった。親子で日本語を少し勉強しているようで、片言の日本語を親子で披露してくれた。もちろん日本を知らない外国人は今までに会ったことがない。でも興味を持ってくれていることは素直に嬉しい。歓迎されている気分になる。 我々はこの宿に3泊(1泊330ペソ(1ペソ6.1円))し、のんびり過ごした。ただ歩いているだけでも楽しいが、グアナフォトに来たら是非行って欲しいところがある。ピピラの丘(Monumento al Pipila Guanajuato)という銅像があり、

 

そこからグアナフォトの景色が一望できる!

セントロからケーブルカー(Funicular)も出ているようだが、健康な人であれば問題無く徒歩で行ける。この街はまさに迷路なので、行き止まりも多く民家に迷い込んでしまうこともあると思うが、現地の人に聞きながら歩くのもとても楽しい。基本的にみな優しいので気軽に声をかけてみよう。

※犬のウンチには気を付けよう。そこら中に落ちていてるので、数回は踏む可能性があるので気を付けよう。

こちらの階段を登ると丘に着く。そして、ピピラの丘に来たら是非夜景まで見て欲しい。昼下がり頃から登り始めて、日中の景色、夕焼け、夜景と全て美しい。我々が訪れた8月下旬は気候も良く丘でぼうっと眺めたり、写真を色んな角度で撮ったりと時間を潰していたがとても心地良かった。周りには観光客もたくさんいる。ここでメキシコで初めて日本人観光客も見た。そして、視界の裏の方で懐かしい賑やかな声が聞こえてきた。この声は???ぱっと身を振り返ると、中国人のおばちゃま達がキャっこら、キャっこらやってきた。お祭りのようだ。オーストラリアやカナダ、アメリカなどで正直鬱陶しいなと思ったこともあった彼らだが、メキシコに入りぱったり見なくなっていたので、久しぶりに見て少し懐かしさを感じた。やはり同じ北アジアとして顔つきも似ているし、ズングリむっくりで黒いメキシカンに囲まれて2週間くらいたち、盗難や強盗に気を張っていたのもあって、中国人たちのお祭りのような会話と、周りお構いなしに長時間写真撮影を楽しんでいる姿を見て、この街は安全そうやな。となぜか感じたものだ。(笑) グアナフォトで3泊4日、ピピラの丘からの景色を堪能した以外は街歩きをして時間を潰した。観光地なので物価は少し高めだが海外情緒溢れるこの街へ是非足を踏み入れてほしい。歩いてるだけで楽しい街、グアナフォト。また一つお気に入りの街が一つ増えた。

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メキシコシティ (México City)~日本語ペラペラの外国人たち~

グアナフォトからバスで約4~5時間。いよいと治安が悪いと言われるメキシコシティに着いた。一時はメキシコシティ訪問を止めて次の街へスキップしようとも考えていたが、メキシコシティはメキシコ独立宣言がされた歴史的な場所であり、近くにはテオティワカン遺跡のピラミッドもあり、国立人類学博物館もあり、スキップするには惜しすぎるということで訪問を決めた。

バスはTerminal Central de Autobuses del Norte(北バスターミナル)に着いた。下車してターミナル建物内に入ると多くの人々で賑わっていた。人々は四方八方に歩いていてそれぞれの目的地へ歩いていく。道の脇には3,4台の大きい椅子があり、靴磨きの職人たちがメキシカンサラリーマン的な人たちの靴をせっせと磨いている。日本でも靴磨きをしている人たちは見たことがある。東京駅北丸の内改札側出口付近にいつもいた気がするが、いくらでやっているのだろう。そんなことを考えながら、宿へどうやって行くか考える。今回は、生憎Airbnbの安くて良い宿を見つけることができず、この旅初の日本人宿に宿泊することにしたのだ。メキシコシティの地下鉄はスリが多いと噂を聞いていたため、今回もUBERにお世話になった。

今回4泊お世話になった日本人宿「サンフェルナンド館」はシティの中心のソカロから歩いていける距離にある立地も良かったし、宿も清潔で居心地が良かった。しかしドミトリー内にロッカーは無いため、日本人宿と言っても油断は禁物だ。従業員は全てメキシコ人でオーナーの家族?も住んでいる。宿の目の前は教会と公園がある。そこには、仕事がなさそうな人たちがたむろしていて、盗みを働く可能性がないとは言えない。そして、宿の前の通りには立ちんぼが3,4人立っている。僕には彼女たちが彼たちにも見えたが、可能性は否めない。同じ宿の日本人達は夜10時くらいに帰ってきてたので、複数で歩き警戒を怠らなければ大丈夫なのだろう。我々は念の為夜は宿から出ないようにした。

サンフェルナンド館 ドミトリー1泊200ペソ(1ペソ6.1円)洗濯機利用は別料金。

こちらは宿のオーナーのアドリアーノさん。日本人宿と書いたが、日本語ペラペラのメキシコ人が経営している宿で、宿泊客のほとんどが日本人のため日本人宿と書かせてもらった。アドリアーノさんは昔、京都に3年間行っていたようだが、本当に日本語が上手い。

この宿にはもう一人日本語ペラペラの外国人がいた!オーストラリア人のマーク(仮称)だ。写真投稿を拒否していたので写真で見せることができないが、高校生の頃から日本語を勉強しだして、2年半名古屋で日本の学校に通い、今は日本企業から法務系の英語⇔日本語の翻訳を請け負っている。フリーランスでネット上で仕事ができるため世界中を旅しながら仕事をしているとのことだ。日本企業が顧客ということもあり、マークは今も日本語を勉強し続けている。勉強を始めて26年が経つとのことだ!分厚い漢字辞典を持ち歩き勉強家のマーク。正直、日本人より日本語の事を知っていると思った。日本人独特の言い回しもほぼ100%マスターしている。発音も問題ない。顔を隠せばどこからどう見ても日本人そのものなはずだ。ここまで他言語をマスターできるというのは圧巻だ。彼はかれこれ10年以上旅しながら仕事しているらしい。今後はもう少し旅をしてから東京に拠点を置いて落ち着くかもしれないと言っていた。彼は40歳を過ぎているが、まだまだ日本語も含めて勉強したいことがたくさんあるらしい。中国語もしたいし、数年以内に南アメリカスペイン語留学したいと言っていた。彼の学ぶ姿勢を尊敬し見習いたいと思った。

日本人旅行者たち

宿には様々な日本人旅行者たちがいた。バケーションで来ている会社員のユッキーさん、ダイスケ君。長らく日本人と会話をしていない我々にとって初対面の接し方に躊躇してしまう我々だったが、自然に話しかけてくれてとてもフレンドリーだった。会社の有給で来ていると聞いた時、ふと昔を思い出していた。我々も何度か有給でネパールやトルコなど旅行をしたものだ。9連休という短い期間で弾丸の旅行で逆に疲れていたことを思い出した。そして体は海外、頭の中はずっと日本。仕事のことを考えていて、何か目の前の景色がテレビの向こう側のように感じていたことを思い出した。僕は仕事か旅かどちらかしかできない人種なのだ。彼らも旅好きで、人との出会いを大事にしていた。数日間と短い時間だったが、とても有意義な時間を過ごすことができた。 ところで彼らが被っているのはルチャ・リブレ(自由の戦いという意)」というメキシカンプロレスの被り物で、メキシコでとても有名らしい。ルチャリブレについて詳しい記事が書いてあるブログを見つけたので、興味がある方は見て欲しい。 http://search-ethnic.com/arena-mexico

こちらはユッキーさん。既に8ヵ月の世界旅行を終えていて旅は終盤とのことだ。我々が恐れていた南米コロンビアやその他周辺諸国を旅していて、「問題なかった」と聞いた時安心をした。彼はアメリカ大陸を北上していてメキシコの後アメリカを旅して帰国する予定だと言っていた。これから世界旅行者に何人会うだろうか。楽しみだ。

次はキョウさん。彼と話している時に職業が何となく読めた。話しが上手く、ゆっくり聞き取りやすい。学校の先生だ。キョウさんはサッカー部の顧問で元教え子がジュニアの日本代表らしい。世界中のワールドカップ、世界大会に行ったことがあるようだ。今回は、メキシコリーグのパチューカで活躍している本田圭佑選手を観戦に行っていた。見事2人で写真を撮っていた!来年のロシアワールドカップも必ず行くらしい。我々も来年の夏ころはヨーロッパにいるはずなので、もしかしたらロシアで会えるかもしれない。キョウさんはこの後、帰国のため空港へ向かった。日本へ帰国する友を見送るとき、いつも切なくなる。旅の終わりを感じるからだ。我々もいづれは帰国するがどんな気分なのだろうか。

写真は無いが同年代でマクラメ(Macrame)で生計を立てているフーミンさんや音楽とITを組合わせた研究をしている方もいて、会話は弾んだ。フーミンさんはメキシコ、グアテマラで石の買い付けにやってきていた。

国立人類学博物館

サンフェルナンド館から南西に約5キロ行ったところにある。メキシコシティに来る前は安全面を取って、地下鉄は乗らないようにしようと話していた我々だが、アドリアーノさんや周りの日本人の旅行者から問題ないと話しを聞いたため初の地下鉄を試してみた。

そしたら何のこっちゃない。とても便利で分かり易い。危険な気配はまるでない。(日中しか乗車していない)スリはいるのだろうけど、こちらが注意すればなんてことはないはずだ。ただ、通勤ラッシュなどはスリの危険性は増すのかもしれないので十分注意は必要だとは思う。通勤ラッシュには乗ってないので分からないが、メキシコシティの人口を考えると大混雑は予想される。 メキシコシティ 地下鉄:5ペソ/1乗車(乗換可能) 博物館は大きな公園の敷地内にあり、地下鉄の駅から2、30分歩いた記憶がある。その日はちょうどメキシコシティラソンが催されていて、あたりは賑わっていた。

 

入場料:70ペソ (1ペソ6.1円)

展示は反時計回りになっていて、1階だけで12展示ある。展示は以下の通り。

  1. 先住民文化
  2. 人類の起源
  3. アメリカの起源
  4. 先古典期
  5. テオティワカン
  6. トルテカ
  7. アステカ
  8. オアハカ
  9. メキシコ湾岸
  10. マヤ
  11. 西部メキシコ
  12. 北部メキシコ

2階には先住民についての展示が多くあったと記憶しているが、1階がメインなので時間が無い方は1階を集中的に観た方がいいと思う。 それでは印象に残った展示の写真です。(展示の順序関係なしです)

多くの展示の中でも中央奥の最重要展示となっているのが、アステカ室内の太陽の石(アステカカレンダー)だ。1521年スペイン人侵略者コステルによって、アステカ帝国は滅亡した。この後、アステカの首都だったテノチティトランは金銀を奪われた後、破壊され、その上にメキシコシティ遺構の上に植民地の首都(メキシコシティ)が建設された。アステカ帝国の生贄の儀式など、彼らの信仰を気味悪く思ったスペイン人入植者たちは、片っ端からアステカのモノを破壊し、この太陽の石は湖?に沈められた。1790年12月17日に発見された後、メキシコシティの大聖堂の外にずっと置かれていたが、1885年?に回収され現在は博物館の最重要展示として飾られている。太陽の石の左側にこの経緯が分かるムービーを見ることができるので、行ったら是非見て欲しい。(詳細は残念ながら忘れてしまった) アステカ帝国滅亡から500年弱。この博物館には多くのアステカの遺品が残っている。24トン、直径3.75メートルにもなる太陽の石はその中でも博物館のシンボルとして飾られている。これを目の前に歴史を感じられずにはいられない。是非、生で観て感じて欲しい。

テオティワカン遺跡

メキシコシティのメインイベント、テオティワカン遺跡!この遺跡が見たいためメキシコシティに来たのだ。 遺跡はメキシコシティから北東にバスで約1時間の位置にある。

バスはTerminal Central de Autobuses del Norte(北バスターミナル)から出ている。詳しく覚えていないが毎時間出ていたと思う。北バスターミナルまでは地下鉄で5ペソ(1ペソ6.1円)。治安も問題無い。

Terminal Central de Autobuses del Norte→テオティワカン遺跡入口前 所要時間:約1時間 運賃(往復):100ペソ(1ペソ6.1円)/一人

※チケットはバスターミナルに入り左側奥に窓口がある。

テオティワカン遺跡 基礎知識~

テオティワカン紀元前2世紀頃からテオティワカンにより造られた都市で、350年から650年の最盛期には人口20万人を要する大都市だった。しかし、7世紀末に突如姿を消し、廃墟になった。その原因は諸説あり、飢饉、内紛などがあげられている。マヤ文明との交流も遺跡から分かっているらしい。廃墟になった後に、アステカ族がこの土地を発見し、とても人間業とは思えない壮大なスケールのピラミッドを見て、神の仕業だと思った。テオティワカンというのもアステカ族が名付けたとのことだ。因みにアステカ族が16世紀初頭にスペイン人入植者コルテスに壊滅され、この遺跡の歴史は幕を閉じた。 テオティワカン遺跡は広い。エントランスは何個かある。我々が入場したのは、南西に位置するエントランスだった。遺跡の敷地内に入り真直ぐ見ると一つピラミッドが見えた!直進し取り敢えず一つ目のピラミッドに登ってみた。そのピラミッドはケツアルコアトルの神殿だ。すると左手にどでかいピラミッドが見えた!

遠くからでも大きく見える。間違いない太陽のピラミッドだ。(Pyramid of the Sun)引き寄せられるように我々は歩みよった。

高さ65m、幅が225m、階段が248段という超巨大ピラミッドだ。よくもまあこんな巨大ピラミッドを造ったものだ。圧巻だ。登る前に昼食と頂きでのんびりするために、水とお菓子を買っておいた。(遺跡内に食べるところは無いため、遺跡を出る必要がある。ピラミッドの位置から歩いて10分くらいだったか、遺跡を出たところにレストランが並んでいた。) お腹も満たされ、さあ登頂開始!

急な階段のため手すりを持って登るのが無難。

降りる方はもっと危険なので手すりを使って慎重に下りよう。

頂上はこんな感じだ。平坦っぽくなっているので神殿があったと推定されているらしい。

頂上では皆写真撮影で盛り上がっている。写真撮る時に皆メキシコ系の人たち(その他外国人もしていたかもしれない)「タラー!!!」と叫んでいた。日本で言う「ジャジャーン」か?(笑)我々も言わなきゃいけない空気になったので、「タララララ~」と叫んで写真を撮ってもらった。頂上から月のピラミッド(Moon of the Pyramid)が一望できる。また、テオティワカン遺跡周囲の地理が一望できる。メキシコシティからバスで約1時間離れている場所のため、あたりは緑に囲まれている。それはジャングルといった感じではなく、写真の奥の方に見えるとおりポツポツ木が生えている感じだ。

太陽のピラミッドを下りて、次は月のピラミッドへ向かった。この大通りは全長4キロに及ぶテオティワカンを南北に貫いている。太陽のピラミッドからは約1キロぐらいだっただろうか。この道は「死者の道」と言われている。

月のピラミッドは高さ42m、底辺150m×130mテオティワカン遺跡で2番目に大きいピラミッドだ。

太陽のピラミッドよりは急な階段ではなかったと記憶している。

月のピラミッドは保存状態が太陽のピラミッドよりも悪く、最後まで上に登れない。月のピラミッドの周りには祭壇が多くあり、宗教行事(生贄も含むのだろう)は主に月のピラミッドの方で行われていたと推察されている。

月のピラミッドの近くに、テオティワカン族の廃墟も見学できる。

テオティワカン遺跡は壮大なピラミッドに圧巻されるだけではなく、歴史を感じられる素晴らしい場所だ。是非、メキシコに行く際は足を運んで欲しい。可能であれば事前に国立人類学博物館で予習していくと、より充実すると思う。

メキシコ独立広場

メキシコシティはメキシコ独立の場所。大きなソカロ(広場)があり、その周りにカテドラル(大聖堂)、宮殿、歴史的な建物が周囲にある。1810年9月16日(独立記念日となった。イダルゴが独立運動を開始した日)にイダルゴが勃発させた独立運動から11年(イダルゴは1811年に処刑されている)。念願の独立を果たした場所だ。何か屋台で食べ物を買って、広場で腰を下ろして歴史的な場所でのんびりしてはどうだろうか。我々はフェルナンド館(日本人宿)から昼間に歩いてきたが、治安面は何も問題なかった。

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プエブラ (Puebla)

メキシコシティ(Mexico city)→プエブラ(Pebla)所要時間:約3,4時間(記憶の限り)運賃:190ペソ(1ペソ6.1円)/人

プエブラに来た理由。僕が調べたあるネットの記事で「カラフルな街並みで綺麗!!」との見出しでメキシコ観光でお勧め1位に入っていたからだ。でも、1日街歩きした感じ確かにカラフルなところもあったけど正直に、なぜ1位なのか分からないくらい普通だった。伝統的なデザインのプエブラ刺繍が有名とのことで、街中を歩いているとその花模様を見ることができた。プエブラ刺繍の生産地はチクラという小さな村らしいが、そこに行けばカラフルな街並みを楽しめたのかしれない。

この街も例外なくメキシコの街並みに倣って、中心部にカテドラルにソカロ(教会前の大きな広場)がある。この街は原住民がもともと住んでいなかったエリアで、スペイン人が一から開発した街ということで、他の街よりもきれいに保存されているらしい。しかし、それは街並みが綺麗という印象ではなく、原住民の住居が無かった分、従来の建物を壊さずに一から街開発ができたため、区画整理がうまくいったということかもしれない。世界遺産にもなっている街ということだが、我々にはあまり良さが分からなかった。 歩いていて気付いたが、プエブラプエブラ地域の人々のショッピングの街のよな印象を受けた。メルカド(市場)は大きく、近隣の通りには海に遠い街なのに魚がズラっと何件ものお店の前に並んでいる。雑貨屋さんも多い。そして子供向けのお店もズラっと並んでいる。メキシコどこの都市も子供が多い印象だ。出生率は日本の何倍なのだろうか。そんなことを考えながら歩いていると、ふっとバーが見えた。「La Pasita」時間潰しにはお酒が一番。オーストラリアのワーホリを終えて以来(3カ月間)、節約からフラっと酒屋に行くことなんて一度もなかったが、取り敢えず値段チェックに中に入った。

かなりの老舗らしく創業100年を超えているらしい。

値段はさすがメキシコ。ワンショット25ペソ(1ペソ6.1円)と割安。

PasistaとAmontillado de Naranja(Naranjaはオレンジのスペイン語)を注文。

周りの人と「サルー(乾杯)」。甘~いお酒だったけど、まずまずの味だった。久しぶりのビール以外のお酒に少し気持ちよくなり、外をブラブラ散歩して宿に戻った。

スペイン語の重要性を痛感

この宿のオーナー夫婦がちょうど我々の一つ上だったのだが、ほとんど英語を話せなかった。「日本人は英語が話せない」そんなレッテルを世界の人々から貼られていると思っていたが、メキシコ人も同じだ。もしくは更に話せないかもしれない。「英語が義務教育に入っていない」ということを、先に書いたメキシコのロス・モチスのAirbnbのオーナーが言っていたことを思い出していた。英語を習いたい人は学校とは別に塾のような形で習うらしい。メキシコも広いし地域によって異なると思うが話せない人が大半を占めるはずだ。 2人と会話がまっっっったくできない。我々はメキシコ入国してから、始めてのスペイン語を旅行しながらサバイバルで覚えてきているが、それは「バナナ1個下さい。いくらですか。ありがとう。さようなら」くらいのレベルに過ぎない。そんな我々にでも、2人は朝ごはんを一緒に食べようと誘ってくれてパンをご馳走してくれた!しかし、案の定何も会話にならない。2人の簡単な質問も理解できないし、理解できないと言うこともできなかった。(焦)グーグル翻訳を使いながら会話を始めたら、面倒だが何とかコミュニケーションが取れたがやはりギコチナイ。途中でお互い疲れて黙々と食べるしかなくなってしまった。この時スペイン語の重要性を再認識した。少しでも日常会話が話せるようにならないと、せっかく相手が興味を持ってくれていても共通言語がないと辛い。グーグル翻訳やジェスチャーでは限界がある。短期で学校に行くことも少し考え始めた。

オアハカ(Oaxaca)~日本人宿「たなばた」での出会い~


オアハカ(もしくはオアハカ・デ・ファレス。先住民初の大統領になった国民的英雄ベニート・ファレスに因んでいる)はオアハカ州の州都で人口約50万人以上いるらしい。オアハカ州先住民族比率は約40%とメキシコ全体の15%に比べかなり高い比率だという。(Wikipedia参照) 我々は今回初の日本人宿「たなばた」に2泊することにした。理由は、カナダ、ホワイトホースのクロンダイクというカヌーレンタル店の社長に教えてもらったからだ。 「数年前にチャリダーがお客さんにいて、メキシコで奥さん見つけて宿やってるよ」 このことをメキシコに来て思い出して、社長に詳しく聞いたのだ。カナダの僻地で出会ったカヌー店の社長のことを知っている人がメキシコにいる。また、あの壮絶なカヌー旅の経験者と話しができると思うと行くしかない!ということで迷わずお世話になることにした。 プエブラからオアハカまではAU(アウ)というADO(アデオ)の廉価版を利用した。

プエブラ(Puebla)→オアハカ(Oaxaca) 所要時間:約5時間 運賃:416ペソ(1ペソ6.1円)/一人 

ADOに乗るとオアハカ中心部に近いバスターミナルに着くのだが、AUは中心地から離れていて、約3キロ歩いたと記憶している。夕方5時頃着いて明るい時間だったので頑張って歩いた。バスターミナルは中心部から離れているため、雑多としていて原住民の人が多く見受けられたが、中心部に近づくにつれて街は洗練されていき、観光客もちらほら見えてきて今までのメキシコと何ら変わりない景色が見えてきた。我々だけの感覚かもしれないが、街に原住民が多いと外国感、旅感が出て好きだ。ソカロ(中心地の広場)に近づくにつれて、必ず大聖堂(カテドラル)、教会(イグレシア)、建築物などスペイン系のコロニアル建築で溢れている。

これを見た瞬間に、またか。といった感覚になってしまうのはスペインが嫌いなわけではなく、見飽きてしまったことと、原住民色が強く残っていると征服されても独自の文化を守っている、頑張っているなと思えてくるからだ。これらの厳かな大聖堂や建築物は、マヤ文明時に建築されたピラミッドを破壊し、その石を利用して建てられているというのだ。美しい厳かなコロニアル建築の下には先住民たちの遺構が眠っているのと考えいると悲しくなる。そして、その教会にはたくさんの先住民の末裔たちが毎日祈りに来ているのだ。それを見るといつも不思議な気分になっていた。スペイン人の徹底的なカトリック教の洗脳があったのだろう。 オアハカの名物料理に「モレ(Mole)」というカレーのような料理がある。モレは7,8種類?あり、我々はMole rojo(赤)、Mole negro(黒)を食べてみたがそれなりに美味しかった。(トルティーヤも必ずセットでついてくる)

その他に、オアハカチーズが有名なようだ。

~元チャリダーのオーナー~

セントロを抜けて、1キロくらい歩いただろうか。「たなばた」に着いた。宿に入るなり、オーナーの黒田さんが出迎えてくれた。坊主で足に大きな入れ墨が入っていて一見怖い印象を持たれそうだが、目が輝いていて「いらっしゃいませ」とにこっと笑っている顔を見ると、一瞬で優しい人と分かった。 「カヌーの社長の紹介で来ました!」 オーナーも懐かしがっていて、いっときカヌーの話しをした。我々が3、4日間雨で寒くて本気で死ぬかもしれないと思ったと伝えると、オーナーは全く逆で終始楽しかったらしい。カヌーの上で料理して酒を飲み、漕がずに寝たり、更に立ちションまでしていたらしい。(笑) 「漕ぐの疲れて、カヌーでよく寝てたよ~。そしたらカヌーが木の葉のようにゆらゆら揺れて気持ちかった~ははは」さすが、アラスカから旅してきたチャリダーだ。肝が据わりまくっている。 僕も笑っていると、別のことを思いだした。 「カナダ北部でバスから3回くらい、デカイ熊見ましたよ!!チャリで危なくなかったですか?」すると、黒田さんは、「毎日のように熊見てたよ。テントを荷物から数十メートル離して熊はこない」 このことは、我々もカナダ、ユーコン川でカヌー中に熊対策で同じことをしていたので状況は想像できる。でも、ウニョウニョと気味の悪いくらい針葉樹が広がる土地で一人でテント泊するのは正直不気味だと思う。白夜に近く夜が短いとは言え、勇気がいることは間違いない。すごいことだと思う。 僕も昔チャリダー世界一周を夢見ていたので、いろいろと質問があった。アラスカからずっとバスで旅してきてアラスカ、カナダ、アメリカは広大な大地でキャンプ場も多く、熊などの恐れはあるがテント泊はし易そうなイメージがあった。しかし、メキシコに入ってからは、強盗などの恐れがある中でどこで宿泊していたのだろうか。 ホテルや教会の敷地内で宿泊していたらしい。因みに川で身体と衣類を洗い、上半身半裸でチャリに乗り、衣類は自転車に干しながら走っていたらしい。(笑)すごい人がいるものだ。もしくはチャリダーはみな、これぐらいワイルドでないと出来ないのかもしれない。 実はオーナーはもともと、バックパッカーで8ヵ月くらいアメリカ大陸を旅していた。しかし途中で旅に飽きてしまい、一度帰国してチャリ旅を始めたとのことだ。そして、旅の途中グアテマラで今の奥さんと出会い恋に落ちて、現在メキシコ、オアハカで宿を経営している。素晴らしい人生だなと正直に思った。

~住むところを探す旅をしている夫婦~

宿の宿泊客の中に、我々と同じ夫婦で世界一周をしている人たちもいた。火ノ川さん夫婦は北海道出身で2016年末頃出国して、オーストラリアを旅した後南米から北上してきている。旅の理由はいろいろとあると思うが、彼らは「住むところを探す旅」をしているとのことだ。世界中を旅しながら二人が気に入った場所に住みたいと言っていた。我々も日本を出て長いが、ここに住みたい!!と心から思ったところは残念ながらまだない。そもそも、そう簡単に見つかるものではないと思うけど、心を開放してゆっくり旅をしているとビビっと来るところがあるのかもしれない。火ノ川さん夫婦が将来どこに住み着くのか、我々も楽しみだ。彼らの旅も長いとのことなので、旅中にまた出会えることを願っている。

サルサダンス 日本チャンピオン~

この宿にはサルサダンス日本チャンピオンチームがいた。サルサダンスについて全く知識がなかったが、サルサ音楽に合わせて2人(男性、女性)で踊るものらしい。男性はルイカルさん、女性はゆういさんという名前だ。ルイカルさんと初対面で名前の先入観もあって、日本語を流暢に話す外国人かと思ったが、生粋の日本人らしい。日本名はたくまさんだ。彼らは日本チャンピオンで、2017年12月初旬にあるニューヨークでの世界大会のために特訓でメキシコ・オアハカに来ている。メキシコ人の先生にレッスンを受けているらしい。我々がオアハカに滞在した時には既に1ヵ月経過しているということだたので、約4ヶ月の修行ということだ。(我々がオアハカに滞在したのは9月頭だった)世界大会のために、遠く離れたラテンの国で特訓している。2人は吉祥寺で先生としてサルサも教えているらしい。日本を出る前はサラリーマンをしていたので、僕の周りには会社勤めがほとんどだった。でも旅をしていると色々な職業の人に出会うので面白い。今までの当たり前が当たり前ではないような気がしてくる。ルイカルさんは我々の一つ上で31歳。自分のやりたいことで生計を立てている。羨ましいしとても凄いことだ。12月のNYでの世界大会での活躍を応援している。 他の宿泊客にはNYで大学院に通っている人、メキシコで1年留学している人、東大卒でボストンで駐在員として働いている人など多種多様な人たちが一緒だった。全員日本人で2夜連続で遅くまで飲んで語り合ったのは良い思い出だ。 原住民の色濃く残る街、オアハカ。中心地は厳かなコロニアル建築やお洒落なカフェ、レストランがあると同時に、そのすぐ近くには市場や現地の人たちのお店がズラっと並び、土着の人たちの暮らしが見えてくる。また、オアハカ近辺には2つの世界遺産がある。モンテ・アルバンの古代遺跡、オアハカ中部渓谷ヤグルとミトラの先史時代洞窟だ。先住民文化が色濃く残るオアハカに是非訪れて欲しい。

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サン クリストバル ・デ・ラス・カサス (San Cristóbal de las Casas)

オアハカからバスで約10時間30分。我々は夜行バスでサンクリストバル・デ・ラス・カサス(以下:サンクリ)へ向かった。 オアハカ(Oaxaca)→サンクリトバル・デ・ラス・カサス(San Cristbal de las Casas) 所要時間:約10時間30分 運賃:406ペソ(1ペソ6.1円)/一人 

バス会社はADOを利用した。チケットはオアハカのセントロに売り場があり直接購入した。

サンクリチアパス州の街で標高約2,100メートルに位置し、我々が滞在した9月は雨量が他の月よりも多いが、気温は最高20度超と非常に過ごしやすかった。実際に我々のメキシコ滞在した街の中で1週間と最長になった。

日本人宿「カサカサ」での出会い

バスはセントロ(中心地)から少し離れたターミナルに着いたが、今回は日本人宿「カサ・カサ」(Casa Kasa)のサービスでターミナルからのタクシー代を出してくれるというサービスがあるので、タクシー代の50ペソ(1ペソ6.1円)は後に宿から頂戴した。※50ペソだったかどうかは定かではない。 ターミナルから確か2、3キロ程北西に行くとカサ・カサに着いた。乗車時間はほんの5分くらいだっただろうか。カサ・カサはセントロ(中心地)から徒歩10分くらい離れていて先住民が住んでいるエリアのすぐ近くにあり、とてものんびりしている場所だ。ここの宿に来るのをとても楽しみにしていた。オーナーは元ビートボックスのアスリート、宿には龍ちゃんという「マクラメ(Macrame)」の先生がいるということを、オアハカの宿「たなばた」のオーナーや過去に宿泊していた火ノ川さん夫婦が教えてくれていたからだ。僕はビートボックス、奥さんはマクラメを習おうと思っていた。 結果カサ・カサに2泊お世話になった。

「カサ・カサ」(Casa Kasa) 個室(ダブルベッド)200ペソ(1ペソ6.1円)/泊 (ドミトリーは100ペソ(1ペソ6.1円)/泊)

ベルを鳴らし初めに接客してくれたのは、MACRAMEの龍ちゃんだった。龍ちゃんは「龍ちゃんカフェ」もやっていて早速いただいた。(5ペソor10ペソ(1ペソ6.1円))コーヒーはサンクリの色々なお店から仕入れているらしく、何種類からか選ぶことができる。龍ちゃんは既に2,3年世界中を旅していてユーラシア大陸、アフリカ大陸、南米、中米を旅していて、メキシコからアメリカに入る航空券も買っていたらしい。しかし、カサ・カサでオーナーのタケシさんに出会って、アメリカ行きのチケットを破り捨てて、カサ・カサに長期滞在することにした。タケシさんのもとでビジネスのイロハを習いたいというのがチケットを破り捨てた理由だそうだ。タケシさんに出会うのが楽しみになってきた。 コーヒーを飲んだ後、早速龍ちゃんとマクラメセットの購入に出掛けた。買い物に龍ちゃんと姿かたちがそっくりな眼鏡をかけたインテリ青年もついてきた。「こんにちわ」あまりに自然な日本語だったため、日本人かと思ったが生粋の韓国人だった。彼はソンミンと名乗った。スラっと背が高い好青年だ。(もちろん龍ちゃんも好青年だが)どうやら、慶応義塾大学を卒業したばかりで、就職前に旅をしている最中にカサ・カサで落ち着いたらしい。龍ちゃんと同じくオーナーのタケシさんに惹かれたようだ。オーナーはどんなカリスマ的な人なのだろう。 まず、マクラメ用の石選びに出掛けた。カサ・カサから徒歩5分程で市場に着いて、何件かお店に入り石の選定をした。奥さんは青色の石、僕はアンバーを購入。市場は中心地からも徒歩7,8分と近いところにあり、現地民で溢れている。これはサンクリの面白いところの一つだ。中心地には洗練されたお洒落なレストラン、バー、ケーキ屋、お土産屋さんが溢れ、世界中の人々がビジネスをしにやってきている。(アフリカ系は少ないように見えた)その華やかな中心地から数分歩けば、もう先住民色で溢れている。背が小さく、肌は黒く、服装も民族系だ。チャムラ族とその他別の民族もいて、民族により服装が異なるらしい。歩いていて面白い。 宿に戻るなり、早速、龍ちゃん先生にマクラメを習い始めた。

まずはコインで練習を始めた。コインが出来上がると次はアンバーの石でチャレンジ!龍ちゃんに手取足取り教えてもらいながら、何時間もかけてようやく完成!(マクラメ体験は全て無料)

マクラメに集中していたら、オーナーのタケシさんが登場した。パッと見、日本人には見えない。目のホリが深く、目も大きく、ガタイ、姿勢が良く、声は大きくハキハキとしている。見た瞬間に貫録を感じる。そんな人だ。そして面白い。話していると龍ちゃん、ソンミン君がオーナーに魅了されて長期滞在している理由が分かってきた。10年以上海外でストリートミュージシャンとして生きてきて、自分の実力一本で生計を立ててきているのだ。魅力があるのはある意味当然なのかもしれない。そんなタケシさんにビートボックスを少し習ったが、、、難しくて2日程で断念した。(笑) タケシさんの話しはどれも興味深く、マクラメの休憩中に色々な話しを聞かせてもらった。我々は3泊目から、サンクリに来る前から予約していたAirbbnbの家に移ったが、その後も遊びに来させてもらった。カサ・カサは本当にアットホームで人を引き寄せる力のある宿だった。奥さんのカオリさんが作る「カオリ食堂」に夜ご飯を食べにいったり(とても美味しい)、娘さんのモモちゃんの顔を見に行ったり、龍ちゃん、ソンミン君にマクラメを習ったりと宿は変わっても毎日にように遊びに行かせてもらった。以前宿泊していた火ノ川さん夫婦もオアハカからもう一度、マクラメを習いにサンクリに戻ってきた。その夜にみんなで円卓を囲んでご飯を食べて、お酒を飲んで、なんか一時的な家族のような雰囲気になり、心が和んだ。オーナー夫婦に可愛い娘さん、マクラメの先生龍ちゃんに弟子のソンミン君。温かいメンバーのこの宿は、サンクリに来たら必ず泊って欲しい宿だ。オーナー夫婦の人望が厚く、サンクリで働いている日本人の人たちや、近所のメキシコ人がよく遊びに来る。とても居心地が良い空気がそこにはある。また、我々もサンクリに戻りたい。本気でそう思った。

Airbnbで最高の宿

Airbnbには当たり外れがある。何をもって当たり外れとするか。オーナーの愛想が良いか、清潔か、経済的か、セキュリティが高いか、キッチンが使いやすいか、部屋以外で寛げるスペースがあるか、Wi-Fiは早いか、別のゲストがフレンドリーか、などなど様々な要素がある。この宿には全てが揃っていた。

アルゼンチンの旅人

オーナー(代理)のマティアスはアルゼンチンからの旅人で、3年かけてアルゼンチンからヒッチハイクと歩きでサンクリまでやってきた。トランペットでストリートで稼ぎながら旅をしている。サンクリではレストランで演奏もしているらしい。2018年1月頃には、サンクリを離れまた3年かけて地元に戻り、家族に会ってから今度はヨーロッパをまた歩きとヒッチハイクで旅するらしい。まさに人生が旅だ。現在、35歳。話していると年齢に関してあまり抵抗がないように思えた。旅したいときに旅して、落ち着きたくなったら住みたい場所に落ち着く。そんな感じだろうか。彼と接していると、意を決して会社を辞めて、約3年の旅に出た我々の決断が大したことのないように感じられる。これだから、色々な人たちと話しをするのは興味深い。

アメリカ、ドイツが嫌い!なオーストリア

フラットメートのオーストリア人のウーリッチは、大のアメリカ嫌いで、アメリカ政府、アメリカ人の人柄に対して強く批判していた。アメリカ人は自分たちが世界で一番の国だと威張っている雰囲気がある」とのことだ。また、ドイツ人に対しての良い印象を持っていないようだ。「ドイツ人は仕切りたがるボスキャラが多い」らしい。 この旅で色々な人に会ってきたが、アメリカ、ドイツを好んでいない人は何人か会った。旅で本当に多くのドイツ人に会ってきた。確かに中には絡みにくい人も、無礼な人もいたが実際はどうだろう。個人差があるが、少なからず国民性というのはやはりあるのだろうか。 彼はヴィンヤード(ワインのためのブドウ畑)の品質管理と冬はスイスでスキーインストラクターとして働いている。今回は、30年前に2年間働いていたメキシコへの旅行の後、メキシコ北部のヴィンヤードに仕事に行くらしい。彼の写真をお見せしたいのだが、不運にも目をつぶっていたり、社会の窓が開いていたりと良い写真がなく公開できなかった。(笑)別れ際にフェイスブックを教えて欲しいと言うと、フェイスブックなんてクソだ」とのことで、メールアドレスを交換した。アメリカが心底嫌いなのだろうか。。色々な人がいるものだ。

大学の教授のブラジル人、チャムラ族の村へ

フラットメートにマルコというブラジルの大学教授がいた。地理の教授らしく、サンクリの大学に招待されて数ヶ月講義をしているとのことだ。(ブラジルはポルトガル語の国だが、マルコはスペイン語も話せる)残念ながらマルコは英語がほとんど話せないため、ウーリッチに翻訳してもらったり、スペイン語で身振り手振りでコミュニケーションを取っていた。メキシコ人やブラジル人、もしくはラテン系の人たちに多い気質かもしれないが、言葉が通じなくても飲みに誘ってくれたり、観光に誘ってくれたりする。言葉が通じない「気まずさ」というのは、日本人や欧米人と比べると、ラテン系の人たちはあまり無いのかもしれない。我々旅人としては、とても嬉しいことだ。いきなりスペイン語がうまくなることなんて無いのだから。多言語習得には時間を要する。英語で既に実証済だ。 マルコとチャムラ族の村に観光に行った。

サンクリ→チャムラ(Chamula)所要時間:約45分(記憶の限り)運賃:18ペソ(1ペソ6.1円)/人 コレクティーボ(乗合バス)

チャムラ村はチャムラ族が住んでいる先住民の村だ。男性、女性ともに黒い羽毛のような素材でできている衣裳を着ている。男性は上着、女性はスカートとして着用していた。先住民の人たちは身長こそ低いが、ガッチリしていて強そうだ。

中には別の生地のスカートを履いている女性もいたが、別の民族の村から来たのかもしれない。花柄の模様を来ている人たちは、別の民族ということは聞いた。

チャムラ族の刺繍はとても可愛らしい。チャムラ村の刺繍はサンクリの市場にも数多く並んでいる。

村の中心地の広場には可愛らしい色合いの教会がある。かなり古い歴史がある教会なのだが、中に入ると今まで見てきた教会とは全く異なる雰囲気が漂っていた。教会内は撮影禁止のため写真は無いが、同じカトリック教でも民族色が強く、カトリック教の教会というよりもチャムラ族の宗教にカトリック教が融合したといった雰囲気だ。人々はお祈り用の草を床にびっしり置いて、その上でお祈りしている。数えきれない程の蝋燭が教会内に広がり、熱心に信仰している民族の人たちの雰囲気に圧倒されてしまう。確かに写真なんか取れる雰囲気ではない。16世紀初頭にスペイン人に征服されて、カトリック教に改宗を強制された先住民の人たちが、少しでも彼らの文化を残そうとした結果がこの教会なのかもしれない。十字架やカトリック教の銅像が無ければ、全く別物に見えるはずだ。

グアテマラへ入国

2017年9月11日、我々はサンクリからミニバンでグアテマラの国境を越えた。約1ヵ月と長期滞在となったメキシコ。オーストラリア、NZ、アメリカ、カナダと約1年経済発展している西洋人中心の国を旅行してきて、「原住民」の存在を目にすることがなかったが、メキシコは違った。スペイン人の征服後に混血が多く、北部から南部まで街で見かける人たちは、西洋人の雰囲気を残している人は少なく感じた。特に南部オアハカサンクリストバルラスカサスでは原住民色が強く存在感の大きさも感じた。マヤの人々、その他周辺の民族たちの存在が大きかったことが旅していて感じたことだ。グアテマラは国土のほとんどがマヤ文明の支配地域だ。国境を越える時、とてもワクワクしていた。

サンクリ→パナハッチェル(Panajachel グアテマラ)所要時間:約11時間(記憶の限り) 運賃:300ペソ(1ペソ6.1円)/人 ミニバン(約10人乗り) ※出国税500ペソ(1ペソ6.1円)/人

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