明日ちがう屋根の下

夫婦世界一周3年半の旅!73の国と地域へ訪問!大まかな旅路→フィリピン留学→オーストラリアワーホリ→NZからアラスカへ渡り陸路でアルゼンチン最南端ウシュアイアへ→南アフリカから陸路でエチオピア→キルギスから陸路でヨーロッパ→中東→南アジア→東南アジア→中国→韓国→帰国!

グアテマラ~マヤの末裔たちの国。ティカル遺跡は必見~

※写真はマヤ文明のティカル遺跡

2017年9月11日、サンクリストバルラスカサスからミニバン(約10人乗り)でグアテマラへ出発した。お昼過ぎには国境の町La Mesilla(ラ メシジャ)に着き、この旅二度目、歩いて国境を渡った。世界一周7か国目。グアテマラへ入国だ。

※メキシコ出国において大きな誤算があった。国税が500ペソ(1ペソ6.1円)/人もしたことだ。ネットで調べた限り出国税についての記載がなかったため、無いものとばかり思っていた。二人で1,000ペソは大きな痛手となった。。メキシコ政府には入、出国税で一人1,000ペソ払ったことになる。メキシコは本当に良い国だったが、この高さだけはいただけない。

[quads id=3]

途上国の国境は危ないとよく聞くが、この国境は人も少なく穏やかであった。

税関は小さく、受付に2人係員がいるだけだ。そしてこの税関がぼったくろうとしてきた!グアテマラに入国税は無いのだが、25ケツアール(1ケツアール約15.25円)を払えと言うのだ!ネットの情報には中米諸国では悪徳税関が、言葉の分からない旅人から金をちょろまかそうとすることがあると書いてあったため、「1¢も持ってないです」と言うと、「出国するときに払えよ」と通してくれた。本当に必要な入国税なら、通されるはずがない。このお金は税関の懐に入るもの。絶対に払ってはいけない。

ともかく無事にグアテマラに入国した。国境でちょっとした達成感を感じる。また新しい国にきたのだ。グアテマラからは別のミニバン(同じ会社)に乗換、アティトラン湖へと山道を進んでいった。

世界一周ブログランキングに参加しました。宜しければクリックお願いします。

にほんブログ村 旅行ブログ 世界一周へ
にほんブログ村

グアテマラの基本情報~

国名:グアテマラ共和国(Republic of Guatemala) 国名の由来は諸説あるがナワトゥル語で「森林の大地」を意味する「グアテマヤン」が由来する。

国旗の由来:太平洋、大西洋に囲まれているため両側は青。白は国の純粋さを象徴し、中央に国鳥ケツアール(通貨の呼び名もケツアール)、文書は独立記念日の1821年9月15日が記載されている。

首都:グアテマラシティ

人口:1,658万人

言語:スペイン語公用語)、マヤ系言語22言語、シンカ語、ガリフナ後(アフリカ系民族)

民族:マヤ系民族:約50% メスティソ(先住民とスペイン人の混血)+欧州系:約30% その他(シンカ族、ガリフナ族):約20%

宗教:マヤ族の信仰、カトリックプロテスタント

1492年にコロンブスアメリカ大陸発見後、1524年にスペイン人ペドロ・デ・アルバラードによって征服された。1821年にスペイン植民地から独立を果たしグアテマラ共和国が設立。その後不安定な情勢は続き、1960年からは内戦が勃発し1996年に内戦が終わった。

グアテマラと聞いて何を想像するだろうか?中米のどこかの国。と曖昧な人も多いと思う。国境は西から北にかけてメキシコ、北東にベリーズ、東に上からホンジュラスエルサルバドルと4か国に隣接する国だ。

主要産業はコーヒー、バナナ、砂糖、カルダモン(スパイス)や繊維産業が有名とのことだ。世界一美しいと言われるアティトラン湖やアンティグア、ティカル遺跡など観光産業もある。

アティトラン湖(Lake Atitlan)~世界一美しいと言われる湖とは本当か~

8万4千年前の火山の噴火によって形成されたカルデラ湖で、3つの火山に囲まれている。湖周辺にはマヤの末裔たちが住んでいる町や村もある。標高は1,562メートルと高い位置にあり、年間を通して最高気温が20度前半から後半と過ごしやすい。我々が訪れた9月半ばは雨季だったため、毎日雲に覆われていて世界一美しいと言われている、「美しさ」を感じることは残念ながらできなかった。我々が旅行してきた中で一番美しかった湖はニュージーランドのテカポ湖だ。湖に限らず今まで7か国で一番美しかった場所である。(ニュージーランドクイーンズタウンが2位)ここが世界一と言われている理由は快晴の時に来てみないと分からないかもしれない。しかし、サン・ペドロ・ラ・ラグナ(San Pedro La Laguna)ではマヤ系民族の暮らしを垣間見ることができて、異なった雰囲気を感じることができたので良かった。

パナハッチェル(Panajachel)~アティトラン湖の中心地~

9月11日、日が暮れた後に我々のミニバンはパナハッチェルに着いた。我々の宿はAirbnbで約2,200円/泊。グアテマラにしては高いが、パナハッチェルはアメリカ人の観光客が多く物価は高く設定してある。

ここはアティトラン湖のハブ的な役割をしている。我々はメキシコから来たが、その他の街からでもアティトラン湖を訪れる際はバスでパナハッチェル行きに乗ることになる。ここからボート(コレクティーボ)で各村々へと観光できる。街は原住民色はあまり強くなく、観光地化していて見応えが無い。パナハッチェル必要最低限の滞在にして、湖周辺の村々へと観光するのが得策だ。

1件日本人ブログの情報で「Crossrosds Cafe」という良いコーヒー店があるということで、行ってみた。

オーナーのニューヨーク出身のアメリカン(名前はマイクかジョンだったと記憶している)のテンションが高い。日本から来たというと喜んで、「日本人めちゃくちゃ来てるよ!」とメッセージカード(寄せ書きのようなノート)を見せてくれた。オーナーの勢いは止まらず、「ちょっとこっちに来てよ。見せたいものがあるんだ!」とお店の入り口右側にある隠し扉のような扉を開けて、中へ通してくれた。コーヒー豆を見せてくれたり、焙煎機の前で写真を撮ったり、とても陽気な人だった。

僕ら(特に奥さん)コーヒーは大好きだ。今まで旅した国々でコーヒーを飲んできた。(もちろん日本でも)ここのコーヒーは特別美味しいとは思わなかった。それなりに美味しい。(ごめんマイクorジョン)でも、さすがアメリカンといった接客でお替りをオーナーからいれてくれるし、オーナーの今までのストーリーをまとめた写真付きの本を見せてくれて、説明してくれて、最高の接客だった。値段は高めだったが良い気分にさせてくれた。

帰り際に、「オーナーから折り紙作れる?」作れますよと言うと、「馬の折り紙を作ってくれよ!作ってくれたら、スペシャルなお礼をするよ!」と満面の笑みで依頼された。奥さんも作ったことはなかったが、スペシャルなお礼があるならやってみよう!ということで快く引き受けた。

しかし、馬の折り紙は簡単ではなかった。YOUTUBEで検索して奮闘する奥さん。出来上がったのは、馬には見えなくは無いといった感じだ。(笑)翌日、馬の折り紙を持ってカフェに行った。僕らは勝手にお礼はチーズケーキとかチョコレートケーキじゃないかと期待していた。しかし、その期待とは裏腹に店に入ると愛想の悪いアメリカンっぽいおば様がいた。笑顔一つない。。「オーナーいますか?」おば様は、やはり愛想の無い顔で「彼は病気で今日は休みよ」「オーナーに馬の折り紙頼まれて持ってきました。伝えといてくれますか?」オッケーとは言っていたが、何か呆れている表情だった。もしかしたら、オーナーは以前に何度もこの手の依頼を客に依頼していて、またか。。といった感じだったのかもしれない。おば様はオーナーの奥様だった。愛想の悪さからちゃんと渡してくれるか心配だったので、名前を聞くと、それを察したのか紙切れをくれて名前を書かせてくれた。これでちゃんと伝わるわよ。と言わんばかりだ。オーナーの喜ぶ顔と、スペシャルなお礼を期待していただけに、何か損した気分になり店を出た。やれやれ、何か疲れた。結果、このカフェは僕らにとっては良い店ではなくなった。縁とはこんなものかもしれない。

僕らはパナハッチェルに2泊した。アティトラン湖の後はティカル遺跡の最寄り街であるフローレス(Flores)に向かうため、バスの予約を済ませておいた。用事を済ませた僕らは次の目的地、サン・ペドロ・ラ・ラグナ(San Pedro La Laguna)への行き方を調べていた。ネットの情報を見ると、ボート乗り場に行けば簡単に湖を渡れそうな感じではあったが、メキシコ以南ネットの情報だけでは不安があったからチョコラテカフェのおばちゃまに聞いてみた。

「ボート乗り場に行けばコレクティーボがあるけん、それに乗れば30分くらいで行けるわよ」ネットの情報と同じだ。簡単そうだなと思っていると、おばちゃまが続けて、

「あっでも道中の客引きには気をつけるんよ。彼らの中には強盗がいて、湖に落とされて荷物全部取られるわよ」ここはグアテマラだ。1996年に内戦が終わったばかりの国だ。治安は良くないのかもしれない。我々はこのカフェに来る前に湖近辺の繁華街を歩いていたときに10回は例の客引きにボートのツアーを誘われては断っていたのだ。明日は気をつけよう。客引きは無視して、ボート乗り場に行くのだ。

翌日荷物をまとめて10分くらい歩いて湖まで客引きを完全無視して行った。2人で50キロくらいの荷物を持ちながら湖の近くでサン・ペドロ・ラ・ラグナ行のボートを探すが、10隻以上のボートがありどれがどれだか分からない。客引きそうではない人達(子連れや老人を中心)に「サン・ペドロ・ラ・ラグナに行きたい」と訪ねたが、みんな早口で何を言っているのか分からない。どうやら目の前にぷかぷか浮いているボートは違うことと、右側に真直ぐ行く必要があることが分かった。右往左往していると、若者の少しだけ英語を話せる兄ちゃんたちが「どこいくんだ?」客引きに見えなくもなかったが、仕方なく行先を伝えると「あっちだ、ついてきな」と手招きしている。強盗かもしれない。。。昨日のカフェのおばちゃまから言われたことが頭から離れずついていかないと、客引きのような兄ちゃんたちは不思議な顔をしていて見ている。「ごめん。自分で探すよ」と伝えて、湖の沿って取り敢えず右側に歩いて段差になっているコンクリートに座った。暑いし、荷物も重いし打ちひしがれていた。近くに座っていたおじいちゃんに尋ねると、また早口で何を言っているか分からない。湖に来てから2時間くらい経っただろうか。客引きは信じられないし、周りは何を言っているか分からない。もう出す手がない。頭を冷やすために、お昼にした。

重い荷物をドカっと置いて、ガッチリしたグアテマラ人のおばちゃまにポヨ(チキン)とコカ・コーラを注文。その屋台に食べながらあたりを見渡すと、おや?右斜めに別のボート乗り場のようなものが見える。会計の時に、むっちりしたおばちゃまに「サン・ペドロ・ラ・ラグナに行きたい」と伝えると、「そこから乗れるよボーイ」と指をさした。おばちゃまが強盗とぐるのはずがない。その方向に歩きだすと、日陰にヘソ出してゴロっと横になっていた兄ちゃんたちが「ボート?」もう疑うのに着かれた僕らは、行先を伝えて兄ちゃんたちに着いていくとボート乗り場に辿り着いた。

ちゃんと運賃も書いてある。そう、こういう看板を探していた。そこには別のラテン系の女子たちがボートを待っていた。もう疑う余地はなかった。30分程待って出発。2,3村経由して、目的地サン・ペドロ・ラ・ラグナに着いた!!

サン・ペドロ・ラ・ラグナ(San Pedro La Laguna)~マヤの末裔が多く残る村~

後で気づいたことだが、僕らのボートは何故かメインのボート乗り場ではなかった。街から外れたところだ。ボートから降りるとトゥクトゥク(バイクと乗車席をミックスさせたタクシー)が待っていた。値段を聞くと確か20~30ケツアール(1ケツアール約15.25円)だったので諦め重い荷物を持って、Airbnbの家へ歩いた。結構急な坂をゆっくり登り、途中の売店ペプシを購入(2,3ケツアール)。コカ・コーラより若干安い。ペプシを二人で代わりばんこで飲みながら、中心地を抜けて宿へ向かう。歩いていてわかる。ここは原住民(マヤ系民族)の村だ。通りすがる人たちはみな民族衣装を着ている。中心地から今度は急勾配を下り湖畔へ。少し迷ったが、宿に着いた。

少し中に入り組んだ家だが、静かでいいところだ。(宿の通路からの景色)Airbnb(民泊サイト)1,525円/泊

この宿はオーナーは住んでいない。1階に現地の人が住んでいて、オーナーの西洋人から管理を任せれていた。現地でのやり取りは現地の人とやりとりして、何かあればオーナーへメールでやりとりした。(実際に3泊の予定が2泊になり返金をオーナーに依頼した)

この宿も今までの旅で上位に入る良いところだった。僕らが滞在した2階エリアは貸し切りだ。他のゲストがいないのは少し寂しいが、やっぱり何も気を使わなくていいのは楽だ。キッチンの使う時間もシャワーもトイレも専用。洗濯物だって自由に干せる。そして、静寂に包まれた立地。夜は遠くから太鼓の音やなんやら音楽が聞こえてくる。日常的なことかもしれないし、グアテマラ独立記念日(9月15日)に向けて子供達が練習していたのかもしれない。癒される空間であった。

僕らが新しい街に来て必ずすること。それはメルカド(市場)に行くことだ。メルカドに行けば現地の物価が分かる。現地で何が主に売られているかが分かる。市場のおばちゃま達の態度も分かる。(笑)残念ながら市場のおばちゃまはだいたい態度は悪い。(経験上、肉屋のオバハンの態度はたまにひどい。買わないと怒られる)ここの市場でも2,3人に不愉快にさせられた。

我々が滞在したのは運よく国の独立記念日と被った。(9月13日~15日に滞在。独立記念日は15日

パナハッチェルでも学生たちが2日連続で演奏しながら街中を行進していたが、サン・ペドロ・ラ・ラグナでも14日、15日と行進していた。パナハッチェルと違うところは、行進しているのは民族衣装の人たちだ。一体感に何か圧倒された。カラフルなマヤの衣裳。異国にきたと感じた。15日正午に花火があるとカフェの店員から聞いていたが、我々のスペイン語では詳しく分からず、色々と探したが爆竹の音が聞こえた程度で花火は見れなかった。そもそも正午に花火を上げるのか?爆竹の事だったのかもしれない。(笑)

サン・ペドロ・ラ・ラグナは情緒溢れる街並みだった。我々が宿泊した湖畔は、欧米人(多くはアメリカン)がビジネスでレストランやカフェなどを開いているようで真新しいものはないが、中心地の周りは原住民の町そのものだった。

たまたま入ったカフェの姉ちゃんに聞いたが、この村はアメリカン、イスラエル人も多くいるらしい。アジア人はほとんど見ないと言っていた。たまに我々のような放浪者が来る程度なのだろう。別の旅人から聞いたが、ヒッピーも多いらしい。因みにスペイン語学校もある。

雨が多い中、晴れている間に隣の村まで歩いて行ったみた。中心地から歩くとすぐに自然が広がる。

サン・フアン・ラ・ラグナ(San Juan La Laguna)

特別何かが見たかった訳ではない、隣の村まで数十分のお散歩を楽しんだ。本当にのどかなところだった。時間の流れはゆっくりだ。

お昼ご飯を食べて帰りはトゥクトゥクで楽チン。運ちゃんも独立記念日を楽しみにしているようだった。

サン・ペドロ・ラ・ラグナでのんびりした後、一度パナハッチェルに帰りティカルの最寄りの街となるフローレスへと向かった。

パナハッチェル(Panajachel)→フローレス(Flores)※グアテマラシティ(Guatemala city)で乗換 

所要時間:パナハッチェル→グアテマラシティ:15時発20時着 約5時間(記憶の限り) グアテマラシティフローレス:夜9時半発で翌朝着(日が昇っていたので6時は過ぎているはず

運賃:405ケツアール(1ケツアール約15.25円)/人 ※値引前は一人415ケツアール

※パナハッチェル→グアテマラシティはミニバン。グアテマラシティフローレスは大型バス。(写真はフローレス行きバス)

Linea Dorada今回、パナハッチェルのツアー会社で予約した。

[quads id=3]

フローレス(Flores)~客引きにぼったくられたり、盗難にあったり~

バスはセントラルバスステーション(Terminal Central de Buses)に朝6時から7時頃に着いた。

あまりバスで眠れない僕は疲労がたっぷり残ったままバスの外へでると、オジサン軍団が待ち構えていた。

「ティカル今から行くぞジャパニーズ!!!」

「ジャパニーズホテル良いのあるぞ!!!」

「こっちのティカルのツアーが安くていいぞ!!!」

うわぁぁぁぁぁぁぁ。。。何やこいつらぁぁぁ~!7,8人はいただろうか。勢いが凄まじい。少しだけスペイン語を覚えていた僕は、「ホテル予約してるし、疲れてるからこれから寝るよ」と両手でお休みマークを見せた。すると客引きたちは、「ははは、ジャパニーズめ~」と言いながら去って行った。手荷物のバックパックをバスの運ちゃんから受け取りターミナルの中へ歩いていると、2人の客引きがしつこく食い下がってきた。ティカルのツアーにどうしても連れていきたいらしい。彼らのオフィスはターミナル入ってすぐ左にしっかり構えてあった。変な会社ではないのだろう。値段は150ケツアール(1ケツアール約15.25円)/人。比較しないと相場が分からない。だいたいこういう待ち伏せの輩はいつも高い。考えとくと伝え名刺をもらい出口に向かうと、今度はその客引きの男が別の男を連れてきて、「ホテルはどこだ?タクシーで送るぞ」本当にウザい。。バスの疲れもあって早く宿には行きたい。値段も30ケツアールから20ケツアールに値引してきた。「分かった分かった。いいから連れて行ってくれ」バスを降りてから完全にあっちのペースで流れるようにタクシーに乗ってしまった。タクシーのおっちゃんもツアー会社をしているらしく、ティカルのツアーを150ケツアールよりも安い値段を提示してきた。「こっちの方がいいぞ。オフィス寄ってくか?」お前もツアー会社か!もう疲れ果ててたから、断ってホテルに送ってもらった。息をつく暇もなくホテルに来てしまった。これが間違いだった。全く冷静になれななかった。ホテルに着くなり、食料ボックスがないことに気付いた!!やってもうた。バスの棚に置き忘れた。。自分のせいだが、本当にあの客引きたちに腹が立った。クソ。。眠い中、そして暑い中3キロほど歩いてバスターミナルへ向かった。

ターミナルの前でまた別のオッサンから「ティカル行くか?」行くかボケ!!!と苛立ったが、我慢してバスに忘れ物をしたと伝えると、親切にバスの係員に確認してくれている。(スペイン語の話せない僕らは彼にある程度お願いすることが賢明だと考えた)

そのオッサンは、バスは清掃するため車庫に入っているからそこまで送ってくれると言う。またこのパターンか。ぼったくられると思ったが、車庫がどこにあるか分からないし、暑い中彷徨うのも正直嫌だった。オッサンは早く乗れよと急かす。すると、何とさっきのウザいツアー会社のオッサンまで現れた。またアイツだ。ぼったくられると咄嗟に思った。車代がいくらか聞くと、50ケツアール(1ケツアール約15.25円)という。。さっきのホテルまでのタクシーが20ケツアールだ。50って。。。どこにバスの車庫があるか聞くと、遠くだ!歩いては行けないと。結局30まで値下げして車に乗ると、2分で着いた。(笑)もう何なんやこいつらは。しかし、車庫は歩いて行ったら絶対に分からない場所だった。ドアはしまっていて、何の看板もない。もし自力で行って周りの人に聞いても知らなかったかもしれない。

悪徳ビジネスのオッサン達に中に通してもらって、忘れ物を問い合わせると無事に見つかった。中身をささっと確認すると問題なさそうだった。そこを後にして、車庫を出ると、悪いオッサン達が「明日ティカルのツアー参加したらホテルまでタダで送ってやるよ」もう笑うしかなかった。完全に無視して、悔しくも30ケツアール渡してその場を去った。「気が変わったら電話しろよ」とオッサン。僕らは完全無視。オッサンズが去った後、ようやく冷静になり、もう一度食料ボックスを確認すると、僕のステンレスマグカップとパナハッチェルで買ったコーヒーが無くなっている!!すぐに車庫に戻って、さっきの兄ちゃんに確認すると知らないと言う。。。そんな訳があるはずがない。盗んだのだ。奥さんのステンレスのマグカップとその他香辛料や油などは残っていた。恐らく焦っていて奥さんの方のマグカップは気付かなかっただけだろう。人のステンレスマグカップなんて普通盗むか?呆れたが、忘れた僕が悪い。確実にマグカップはそこらへんの市場に早々に並ぶだろう。大した損失ではないが、ドッと疲れた。大人しく歩いてホテルに帰った。

ホテルはAirbnbで予約した。グアテマラに入ってからAirbnbの質が落ちてきた。ホステル、ホテルもAirbnbを利用しているため、ただ単にBooking.comHostel worldなどの予約サイトの一つになっている。現地の家に泊る民泊としてのAirbnbグアテマラではなかった。(安い価格しか見てないため、高い宿は現地の家に民泊できるかもしれない。圧倒的にホストの数はアメリカ、メキシコより少ない)

Hotel Maya Colonial 部屋:プライベートダブル 宿泊費:1,550円/人  ホットシャワー無し

決して綺麗ではないが、最安値で立地も悪くないため我慢した。従業員の兄ちゃん達は親切でよく対応してくれたが、やはりもう少し綺麗な方が良い。ティカルのツアーで終日いなかったり、外出が多かったので結果コストを抑えられて良かったと思う。

ティカル遺跡のツアー会社について

結論、悪徳ツアー会社の一人150ケツアール(1ケツアール約15.25円)に比べて50安い100ケツアール(英語ガイド付き)まで値下げしてくれた。(正規価格は130~150だったと思う)ガイド無しだと2、30ケツアール安かったと思う。

会社名:San Juan(サン・フアン)所在地:フローレス島(Isla de Flores)Calle Surの通り沿い。お土産屋さんの近く。

フローレスからリオデュルセ行のバスもこの会社にお願いしたが、それは話しが違い騙された感がある。(詳細は後ほど)

ティカル遺跡~マヤ最大のピラミッド~

僕はここに来るのを凄く楽しみにしていた。なぜか。僕を世界旅行に導いた自転車世界一周石田ゆうすけさんの本「行かずに死ねるか」を読んで、石田さんが大絶賛していたからだ。前夜は小学生の修学旅行の前日のようにウキウキしていた。ツアーのミニバンは日の出前にホテルに迎えにきた。フローレスから約1時間~1時間半(記憶の限り)でティカルのエントランスに着いた。

ティカルの入場チケットは事前購入が必要とネットには掲載されていたので、前日に宿の近くの銀行(BANRURAL)で購入したが、エントランスにもチケット窓口があった。ティカル遺跡入場料:150ケツアール(1ケツアール約15.25円)/人

ここのゲートで他のツアー会社やガイドたちを待ち、揃ったら一斉に中に入っていく。20分程ジャングルを進むとレストラン(カフェのような軽食)があり、その前でミニバンから降りてしばし朝食を摂る。その後、ガイドと一緒にいよいよ遺跡内へ入った。ガイドはグアテマラ人でスペイン語、英語を話す。元々のツアーは8人弱くらいだったが、後ろのツアーグループのガイドと我々のガイドが話し合い、英語グループとスペイン語グループで分けてくれた。運よく我々は4人グループとなった!少ない方が声も聞き取りやすいし質問もしやすい!

以下の木は「セイバの木(聖なる木)」マヤの世界では天上界と地上界を繋ぐと言われている。何十メートルあるのだろうか。かなり大きい木だ。マヤの人たちはセイバの木の下で大切なことを決めたり、祝い事をしていた。ネット上ではグアテマラのマヤ系民族は現在約50%と書いてあったが、ガイドは約65%がマヤ系(マヤを信仰している人々)だと言っていた。今でもマヤの末裔たちはこの木の前で儀式をするとのことだ。確かにこの木は他の木と異なり威厳がある。

これが最初に訪れたピラミッドだ。現在発掘されているティカルの遺跡は全体のほんの20%しかないらしい。マヤ文明の最大の都市だったティカルは9世紀初頭に衰退し始め、9世紀中にこつ然と姿を消したらしい。ガイドによると人口増加が大きな原因とのことだ。最盛期には15万人もの人口となり、食料不足に陥った。ジャングルで水の確保も難しかった。そして内紛が勃発して、ティカルを去りティカルのマヤ人たちは四方に散らばり中南米に影響を残していった。

因みにピラミッドは20年のサイクルで造られた。(マヤカレンダーの1カトゥンに基づく)ピラミッドは太陽の向きによって造られ、この写真は東に位置し、太陽の沈む西側にもう一つピラミッドが建てられている。北にはパレス(住居があり)南には催事用の建物がある。

西側のピラミッドは発掘されていなく、緑で生い茂った丘のように見える。

この後、更にジャングルへと入っていく。木も特徴的だ。葉っぱもかなり大きい。

まさかのデジカメ故障!

ジャングルにはたくさんの動物がいるが、中でも凄まじく大きく太い声で脅かしてくる動物がいる。

ホエザルだ。(Howler Monkey)ガイドはハウレルモンキーと発音していた。この猿が凄い。何も知らずにガイド無しで来ると、恐らく猛獣か何かと勘違いしてビビるに違いない。「ゴーゴーゴーゴー!!!!!」と物凄い勢いで吠えまくっている。我々も珍しさに興奮して写真を撮りまくっていたのだが、そこでズームにして写真を撮った後に電源をオフにしようとすると、愛用のデジカメのレンズが閉まらなくなってしまった。。レンズエラーと出ていたので、一時休まさせれば直るだろうと思ったが一向に直らず。。結果、パナマキヤノン修理センターで修理する羽目となってしまった。

ティカル遺跡最大のピラミッド~4号神殿~

その後更にジャングルを進んでいくと、ティカル最大のピラミッド4号神殿に辿り着いた。

高さ65メートルの巨大神殿だ。記憶が曖昧だが10分~15分くらいで登頂できたと思う。(階段が整備されている)4号神殿から1号~3号神殿を拝見できる。それ以外は見渡す限りジャングルだ。眺めは悪くない。世界地図の無い古代の人たちは、この景色を見て何を思ったのだろうか。地平線の先に何があるのか。そもそもピラミッドを立てる前はジャングルの中で何も見渡すこともできなかったはずだ。外の世界を見たい。純粋な好奇心が高いピラミッドを造らせたのかもしれない。

しばらく歩くとグラン・プラサ(大広場)に着く。こちらは2号神殿。登ることができる。

そして1号神殿。ガイドと記念撮影。子供の名前を日本語にしているくらい親日の人だった。そして、マヤ文明の血を引いていることを誇りに思っていたのが印象的だった。

左側は祭壇。因みにティカルというのはマヤ語であり、「エコー(反響)」という意味だ。下の写真に1号神殿が見えるが、対面に2号神殿があり、真ん中で手に空洞を空けて、拍手するように叩くと見事にパン、パンと反響する。音が跳ね返ってくるまで若干時間差があるので、初めはガイドがした時には、動物の鳴き声かと思ったほどだ。

右側はパレス(居住地)だ。

ここでツアーは終了。とても有意義な時間を過ごせた。ツアー後は自由行動。帰りのバスに乗り遅れなければ大丈夫。ジャングルの中歩き回ったので体力消耗していたが、4号神殿をもう一度登り見納めをして、ティカル遺跡を後にした。

ティカル遺跡内で発見した動物たち

キツツキ(pajaro carpintero)

コホリタ(Cojolita)

Howler Monkey(ホエザル)

ティカル遺跡観光が終わり、休む間もなく翌日早朝にリビングストンに行くために、バスでリオ・デュルセ(Río Dulce)に向かった。

Flores to Rio Dulce  バス会社:記憶なし 所要時間:約5時間 費用:115ケツアール/人

※朝7時頃出発して昼12時頃に着いたと思います。かなり曖昧です。

バスはツアー会社から1等バスと言われていたが、間違いなく2等だった。150ケツアールから115ケツアールに値引したのだが、吹っ掛けられていたのだとバスを見て分かった。ツアー会社の兄ちゃんはバスターミナルまで車で送ってくれるなど待遇は良かったが。。笑 バスはチキンバス(中米の名物バス)と何ら変わらなかった。道中で客がいると乗せるため、何度も止まる、物売りが入ってくる、カトリックの聖書を読む人が入ってくるなど賑やかだ。エアコンは壊れていて、天井の非常口を開けていた。(中南米では差ほど珍しくない)しかし、我々はこういうのが嫌いではないため、結果現地の人たちの生活が見れて良かった。

リビングストンに行くためには、リオ・デュルセでボートに乗る必要がある。

Rio Dulce to Livingston  所要時間:1時間半 費用:125ケツアール/人 スケジュール:朝9時半、昼2時半のみ※往復券は200ケツアール(当日のみ有効)

バスは街の西側辺りで下車。ターミナルとかではなく、混沌とした街の中だった。そして蒸し暑い。排気ガスが多い。通りにはごみも多いと疲弊した。不思議だが、現在アルゼンチン、ウシュアイア(世界最南端の街)で記事を書いているが、街はそこそこ綺麗で歩きやすいのだが、あの混沌としていて蒸し暑くイライラした記憶でさえ愛おしく思う。国が、街が、村が整備されていなく誰かに全て聞かないとやっていけない方が冒険気分を味わえるというのは確かかもしれない。今、僕は、いやウルグアイ、アルゼンチン、チリに入ってから旅している感はあまりない。観光といった感じだ。

話しは脱線したが、バスを降りるなり待ってましたと言わんばかりに、オジサンが「どこに行くんだ?リビングストンか?」と近寄ってきた。またぼったくりの輩かと思い逃げた。(笑)船場に着くと、次のボートはネットの情報通り2時半と約2時間あり蒸し暑い街中で昼食をとるなどして時間を費やした。

そしてボートに乗ってリビングストンへ。だいたい10人乗りくらいだったと思う。

ボートは少し観光の要素も含めてあった。ボートはまずリビングストンとは逆の方に向かい(我々は乗り間違えたかと思って焦った)要塞のような場所まで来て少し止まった。

CASTILLO DE SAN FELIPE(カスティージョ・デ・サン・フェリペ)

1652年に、ここイザベル湖(Lago de Izabal)を海賊から守るために作られ、海賊がいなくなってからは刑務所として使用していたらしい。その後はジャングルの中にあるホステルに寄ったり、

ジャングルの景色を見ながらボートは北東へと進んでいく。

途中、温泉の出るところで20分ほど休憩(レストランなどもあった)。そこには小さな村があるのか。ガリフナ族と思われる人々が温泉に浸かって寛いでいた。しかしそこにいたのは、マヤ系とは全くかけ離れたアフリカ系の人たちがいた。

ガリフナ族について★

少しガリフナ族について触れたいと思う。ガリフナ族(Garifuna)は西アフリカの黒人とセント・ビンセント島(Saint Vincent)の先住民の混血の民族のことを言う。17世紀に西アフリカからの奴隷船が嵐で遭難し、セント・ビンセント島(Saint Vincent)に泳いで辿り着いた黒人たちと原住民が混血していき、ガリフナ族(Garifuna)が誕生したらしい。その後、イギリスと衝突し敗北したガリフナ族はホンジュラスに追放された。そこから中央アメリカに散らばり、現在ではベリーズグアテマラニカラグアなどのカリブ海側に住み着いたとのことだ。

ボートを乗ったリオ・デュルセにはほとんど目にしなかった黒人たちが、ほんの1時間北上するとたくさんいたので驚いた。その後、更に北上し、リビングストンに着いた。

リビングストン(Livingston)~黒人とマヤが共存する街~

ボートを下りるなり戸惑ったことがあった。今まで数えきれないくらいの客引き(特にティカル遺跡の最寄りの街、フローレスがすごかった)に遭遇し慣れてきたつもりだった。しかし、今回は今までの客引きと全く雰囲気が違った。ガリフナ族と思われる黒人二人から勢いよくボートツアーの勧誘をされて戸惑ってしまった。もともとリビングストンは予算に入れていなかったため、街観光にとどめるつもりだったため早く振り切りたかったが、なかなかしつこい。勝手な先入観だが黒人を見ると、英語を話すと連想してしまうがスペイン語で新鮮でもあった。全くツアーに参加する気がないことが分かると、ホステルのことを聞いてきて結果、モータータクシー(アジアでいうトゥクトゥク)までついてきて、流れで乗ってしまった。結果問題なかったのだが、流れで乗ってしまった時には強盗だったらどうしようと心配してしまった。どんな相手だろうが、客引きはきっぱり無視して断るべきだと少し反省した。だいたい相手のペースに流されると良いことがない。

今回のホテルはbooking.comで予約した。

Hotel Salvador Gaviota 部屋タイプ:ダブルベッド 費用:80ケツアール/泊(一部屋)食事無し、キッチン無し

まさにジャングルの中にあるホテルだった。中心地からモータータクシーで10分くらい。街中はガリフナ族とマヤ系民族がいるが、街を離れて行くとガリフナ族が多く見られた。デコボコの道をモータータクシーで揺れながら走って、橋の前で止まった。ここから更に10分ほどビーチを歩く。

部屋はジャングルの中にある。

あたりにたくさんのカニがいる。鶏や鳥も多く良い面もあった。

ビーチ沿いにあるホテルで悪くはないのだが、カリブ海と言っても雨季だからか全然綺麗ではなかった。(笑)ゴミが多いという訳ではなく、カリブ海と聞くとエメラルドグリーンで透きとおった海を想像するが、地形的に内側に入っているからか海の色は綺麗ではない。そして蒸し暑い!

ここでは2泊して、街歩きだけを楽しんだ。街を(村と言った方が良いかもしれない)歩いていると、マヤ系民族、ガリフナ族と若干の観光客が村をのんびり歩いている。熱帯地域なのでココナッツがよく取れるようだ。中南米で田舎などでよく見るマチェテ(machete)という長い刀を持っているオジサンが、大きなココナッツを通りで売っている。メインストリートを離れて、プラプラ歩いていると土着の暮らしが伺えるのんびりした家が並んでいた。昼間から大音量でレゲエっぽい音楽が聞こえるのも、西アフリカとカリブ海の民族が混血したことと繋がりがあるのだろう。遠目だがイグアナも見た。ボート乗り場のおっちゃんに「イグアナいるか?」と聞くと、一緒に探し回ってくれた。本当にのんびりしたところだ。人も優しい。

2泊と短い時間だったが、リビングストンに訪れることでガリフナ族という民族のことを知れてよかったと思う。

アンティグア(Antigua)~マヤと古きスペイン系の街~

リビングストンの後、我々は来た道とは別の道を選んでアンティグアへ向かった。

経路:リビングストン(Livingston)→プエルト・バリオス(Puerto(Pto.)Barrios) 交通手段:ボート 所要時間:約30分(曖昧)費用:35ケツアール/人

スケジュールは以下写真に書いてあるが、コレクティーヴォ(人が集まったら出発)のような感じだった。

ボートは約10人乗り。

プエルト・バリオスに着くと、次はバスターミナルまで徒歩10分くらいだったか、暑い中汗だくで歩いた。街は廃れている印象を受けた。

バスターミナルは意外にもしっかりしていた。というのも街が綺麗ではなかったので、掘っ立て小屋を想像していたのだ。街中にはアフリカ系の顔立ちの人も多くいたが、衣裳が変わっていた。この人たちもガリフナ族なのだろうか。色もカラフルで可愛らしかった。


プエルト・バリオス(Puerto Barrios)→グアテマラシティ(Guatemala city) 所要時間:約5時間(記憶に無いため、Lonely Planet参照)費用:80ケツアール/人 ※バスは一等バスだと思う。綺麗で快適だった。 

グアテマラシティ(Guatemala city)→アンティグア(Antigua) 所要時間:約45分(記憶に無いため、Lonely Planet参照)費用:45ケツアール/人 ※ミニバス(シャトルバスのような車)。

1日の長い移動を終えて夜アンティグアに着いた。

宿はAirbnbで予約。

宿タイプ:ホステル(中米ではAirbnbをbooking.comなどの予約サイトの一つとして使われていることが多い)費用:4,433円/2泊(カード決済)部屋タイプ:ダブルベッド(個室)

La Unión Guesthouse

ここでアンティグアについて少しおさらいをしようと思う。

★アンティグア(Antigua)★

アンティグアというのはスペイン語で「古い」という意味であり、1543年~1773年まで首都的役割をしていた。しかし、大地震により3,000以上の建物が廃墟となり、遂に1773年にもっと安全な場所へということで、グアテマラシティへ首都を移した。

地震の影響で廃墟となった厳かな建築物は中心地にまだ残っている。

街並みはコロニアル建築で見応えがある。しかし少し気になったのは西洋的になり過ぎている。街中には多くのレストランやバーなどがあり、原住民の姿はあまりない。「乗っ取られている」印象を受けてしまうのだ。いくら建築物が厳かで美しくてもそこにいるのが、西洋人だらけでは何かビジネスの臭いがして感動が薄れてしまう。しかし、面白いのがそのすぐ近くに原住民色の強いエリアが共存している。

中心地すぐ側のメルカド(マーケット)

中心地を少し離れると、マヤのお洒落な衣装を来ている人たちが大半を占める。物価も安いため、食材だけでなく僕はバックを購入。値段は言い値のため、頑張って値切った。奥さんが買った麦わら帽は、何と約80%くらい安くなった。やはり値切らないと割が合わない。笑

アンティグアで我々の恒例行事、ポストカードを家族に送るため郵便局に行くと閉鎖していた!!国との契約が終わり現在は営業していなかった。意表を突かれた。国に郵便局がないとは思いもしなかった!色々な人に聞いて回ると、DHL(国際郵便)の支店があり何とか恒例行事を遂行できた。しかし、ポストカード1枚20ケツアール(350円くらい)と高額!この恒例行事もなかなか簡単ではないが、全世界から絵葉書を送るというのは必ずやりたいことの一つだ。(因みに現在アルゼンチンだが、今まで送った絵葉書は順調に届いている。ホンジュラスだけは郵便局が運悪く休業していて送れなかった)

エルサルバトルへ~不安を抱えながら~

2泊3日の滞在を終え、いよいよエルサルバトルに向かうことにした。実は今回非常に悩んだ。国際バスで一気にパナマまで駆け抜けるか、ローカルバス(チキンバス)で街を見ながら行くか。もちろん、世界のことを知りたいので首都などの都市しか行かない国際バスは極力使いたくなかった。しかし、エルサルバトル、ホンジュラスニカラグアなどはネットで見る限り危険な国だ。でも我々は何となく想像していた。国全体が危ない地域はそんなに無いということを。(戦争などの地域を除くと思うが)

グアテマラでもグアテマラシティ(首都)が危ないと言われていたため、首都は滞在せずバスの乗換などやむを得ない場合のみに訪れた。今回も首都を避けながら訪問することにして、エルサルバトル行きを決めた。最初の訪問地はサンタ・アナ(Santa Ana)という街を選んだ。

アンティグア→サンタ・アナ※グアテマラシティでバス乗換 バス会社:Pezarossi  所要時間:約10時間 費用:約200ケツアール/人※グアテマラシティまではミニバス(シャトル

グアテマラシティからバスを乗換、都市を離れると田舎道をひたすら走り続けた。そして国境へ。警備は厳しく、荷物の中身の確認があった。国境警備は厳しかったが、問題無く入国。ネットの情報を信じすぎてはいけないが、青少年犯罪集団マラスなどの情報を見ると不安は結構あった。そんな不安を抱えながら、バスはエルサルバトルの中へと入っていった。

世界一周ブログランキングに参加しました。宜しければクリックお願いします。

にほんブログ村 旅行ブログ 世界一周へ
にほんブログ村

[quads id=3]