明日ちがう屋根の下

夫婦世界一周3年半の旅!73の国と地域へ訪問!大まかな旅路→フィリピン留学→オーストラリアワーホリ→NZからアラスカへ渡り陸路でアルゼンチン最南端ウシュアイアへ→南アフリカから陸路でエチオピア→キルギスから陸路でヨーロッパ→中東→南アジア→東南アジア→中国→韓国→帰国!

エル・サルバドル~人懐こい国民性。またいづれ訪れたい~

※写真はスチトトのホステルにて。

2017年9月22日、我々はいよいよこの旅一番警戒している地域の一つエル・サルバドルに入国した。世界一周8ヶ国目だ。物騒な機関銃を持った国境警備員から呼ばれた時は何事かと思ったが、我々のバックパックのカギを外せとのことだった。バックパックの中身まで厳重なチェックが入るらしい。厳しい警備から推測して、ちゃんとしてるなと思う反面、やはり治安の悪い国なのかと少し不安になってもいた。

しかし、国境を越えるとバスはまた田舎道を進んでいく。車窓からの眺めを見る限り平和そのものだ。そんなバスの中で不可解なことが起こった。バスを降りようとしている若い女性がチラチラこちらを見てくる。どうしたんだろう。肌がコンガリ焼けていてフィリピーナを思い出させる風貌だ。そしてついにこちらへやってきた。

「写真一緒に撮っていいですか?」スペイン語で言われた時、一瞬意味が分からなかった。戸惑いながらも彼女の携帯カメラで3人でパシャ。理由を聞く間もなく彼女を「グラシアス!」とさっそうとバスを降りていった。今、アメリカ大陸縦断の旅を終えて、世界最南端ウシュアイアで記事を書いているが、この不可解な現象はこの後ペルー、アルゼンチンで何回かあった。地球の反対側から来ているアジア人、特に北東アジア人が珍しいのだろう。少なくとも、エル・サルバドルは観光客自体が少ないため外国人が珍しかったのかもしれない。

この旅初めてのことで、少し意気揚々としていた。親日なのかも?なんて思ったが良く考えると彼女は我々の出身地を聞いていない。我々東洋人は日本、韓国、台湾、中国になると思うが、そこは気にならないということはやはり別に親日と言える訳ではないようだ。珍しかったのだ。

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怖くて親切をなかなか受け入れられない・・

バスはいよいよ我々の目的地サンタ・アナの近くまできた。ここでちょっとした決断を求められた。そして結果、切に対して失礼なことをしてしまったのだ。

バスの係員が我々にどこで降りるのか聞いてきたので、「サンタ・アナ」と答えると宿はどこだと。「中心地の近く」と答える。係員は少し考えるような顔をして、一旦我々の前を離れた。そして、後部座席の方の乗客と何か話している。乗客にもう一人サンタ・アナで降りる人がいたようで、「彼と一緒に中心地に行って」といったことを言っていた。その後、そのオジサンが隣の席にやってきて、スペイン語と英語のミックスで事情を説明してくれた。

「奥さんが車で迎えに来るから、君らをホステルまで連れて行ってあげるよ」

正直、気が引けた。。バスの同じ乗客とはいえここはエル・サルバドルだ。そもそも、なぜバスは中心地に行かないのか。。そこに係員も来て、「この人に連れて行ってもらえば問題ないよ」的なことを言っている。一方的だが話しは流れるように決まって、バスは中心地から数キロ離れた、ガソリンスタンドの近くに止まった。中米の日没は早い。正確に何時か覚えていないが既に薄暗くなっていた。恐らく5時から6時の間だろう。背丈はないがガッチリしたガタイのオジサンと3人でガソリンスタンドに向かった。

「ここに奥さんが来るからちょっと待ってて」

ん~。。大丈夫だろうか。。見る限り変な人ではなさそうだが、不安が消えないため、身元を確認すると一生懸命説明してくれた。エル・サルバトル人でグアテマラシティで単身赴任中。週末に妻と子供に会いに帰ってきているらしい。子供の話しを聞いて少し安心したが、油断はできない。でも自力でホステルに行くのも相当困難に思えた。するとオジサンが、

「奥さんが来れなくなったから、バスで中心地近くまで行って、そこからタクシーで行こう」

まさか、これは罠かもしれない!人気が無いところに行き、そこで身ぐるみ剥がされてフルチンにさせられるかもしれない!!!!!我々は必死にバスでどこまで行くのか?なぜバスに乗るのにタクシーに乗るのか??と質問攻めをすると(猜疑心の塊りの顔で)、オジサンも疑われていると思い嫌な顔をしていたが、グーグル翻訳を使い必死に説明してくれた。バスの方向は間違っていない。しかもバスはローカルバスで他の乗客もたくさんいるのでバスで強盗に遭うことはない。はずだ。エル・サルバドルの夜は暗い。インフラが整っていないということもあるのだろう。大通り沿いでも街灯が少なく、それが更に我々を不安にさせる。2分も待ったらミニバスのようなローカルバスがやってきて3人で乗り込んだ。我々は必死に携帯の地図アプリMaps.meで方向を確認。問題なさそうだ。10分程でオジサンに連れられ降りたが、中心地にかなり近くまできていた。しかしそこには人は多くいるのだが、街灯は少なく薄暗い。ここでひと悶着おきた。。

「タクシーを探してくるから、ここで少し待ってて」

Maps.meで見ると宿泊予定のホステルまで歩くと少し遠いが、行けないことはなさそうだ。しかし、暗闇の中、2人で合計40㎏ほどの大きな荷物を背負って歩くことは相当危ないように思えた。外務省のエル・サルバドルに対しての情報や、その他日本人のブログなどを見ていて「青少年犯罪集団マラスが街中を闊歩している。」という情報が頭から離れなかった。ここで夫婦喧嘩だ。自分たちで正規のタクシーを拾うか、オジサンについていくか、歩いていくかの3択でそうとう揉めた。。。そうこうしている内にオジサンが戻ってきて、

「タクシー捕まえたから行こう」

そのタクシーを見ると、乗用車だった・・・・これは誰もが恐れる白タクだ。。。(自家用車を使って勝手にタクシーとして働いている車)はあぁぁぁぁ・・・どうしよう。イエロータクシーが正規のタクシーだが、どれぐらい待てば乗れるだろうか。そもそも目の前の道を通るかも分からない。オジサンが捕まえた白タクは我々が待っていた通りの反対側にあり、僕は通りを渡りオジサンに、

「これタクシーなのか!?危なくないのか!?」

この時は本当に本当に切羽詰まっている。信じていいのか、いけないのか・・・そして、奥さんはオジサンを信じていなく反対側の通りで立ち止まっている。オジサンは僕の質問攻めにうんざりしてきて、早く行くぞと手招きしてきた。でも、やはり信じ切れず、歩いてホステルまで行くと言うと、

「歩くと少し離れているし夜だから、いいからタクシーで行くぞ!俺がお金も払うからさ!」

さすがにオジサンはかなりイライラしている。何となくであるが、この人は大丈夫だと思った。風貌、出で立ち、話し方。親切な雰囲気が伝わってくる。白タクのオジサンも大人しそうな感じだ。グルではなさそうだ。奥さんと喧嘩しながら、そしてドキドキしながら白タクに乗込むと5分でホステルに着いた・・・やはりお金もいらないと言う。ホステルは無事に空きがあった。オジサンはホステルのオーナーの事を知っていたようで、一部始終を苦笑交じりに話している。オーナーは笑っている。我々はオジサンの親切心に対して失礼なことをしてしまい、何度も誤った。ホステルのオーナーは英語が話せたため、通訳してもらい、外務省や日本のネットの記事にエル・サルバドルで白タクは絶対に乗らないことや、強盗に気をつける必要があるなど書いてあったため、オジサンをすぐに信じれなかったと伝えてもらった。でも、オジサンは苦笑だった・・悪いことをしてしまったな。そう思った。バスでのやりとりを考えると、そこで信じても良かったのかもしれない。反省をしながらも、無事にホステルについて安堵感でどっと疲れていた。ホステルに入って荷物を置くと同時に、ようやく自分たちが空腹であることに気付いた。

宿情報:Hotel Casa Verde Santa Ana  部屋タイプ:ダブルベッド 費用:25USD/泊(ドミトリーは一人11USD)

※綺麗、キッチン広い、洗濯干せる(手洗い)、ホットシャワー(水圧強い)

※ダブルベッドルームは28USDだったが、値引してくれた。

宿主のカルロスも陽気でいい人だった。質問すれば丁寧に教えてくれるし、宿ですれ違ったら気さくに話しかけてくれた。宿代は少し高めだが、コストパフォーマンスはかなり良いと思う。

サンタ・アナ(Santa Ana)~外国人に興味津々の地元のひとたち~

バスを降りてからホステルに着くまでの緊張感が解け、一気に空腹を感じてきた。外は暗いが、オーナーは大通りを歩けば危なくないから大丈夫だと自信を持って伝えてくれた。歩いて5分のところにエル・サルバドルの名物「ププーサ」という食べ物の屋台があると言うので、行ってみた。

街の中心地でありはずなのに、該当がほとんど無い。暗いのはそれだけが理由なのか。1992年に長い内戦が終わったという、政情不安定な国ということもあり、治安が悪いため夜は家の中を暗くして目立たないようにするのが習慣化されているのかもしれない。基本メキシコ以南、一部アメリカもそうだったが格子鉄線で民家も店もエントランス、窓は守られている。(フィリピンもそうだった)我々は薄暗い道を歩き、ププーサの屋台「ププーセリア」スペイン語圏では、~屋というのをリアとつける。パン屋はパナデリアと言う)に着いた。

ププサはトルティーヤという小麦粉で作られているモノの中身を、チキン(ポヨ)、牛肉(カルネ)、ハラペーニョ(唐辛子のようなもの)、野菜(キュウリやトマトとか)などを選べる。値段も中身によって変わってくる。だいたい50¢(USD)くらいで1枚だったと思う。お肉にすると75¢とか大きいので1ドルとかだったはずだ。

これが結構美味しい。メキシコではタコスとトルティーヤを毎日のように食べていて、グアテマラはトルティーヤが必ず出ていたのだが、エル・サルバドルはこのププサに変わった。面白い。このププサとcurtido(クルティド)と呼ばれる漬物をつけて食べる。curtido(クルティド)は無料で取り放題。テーブルに無ければ、持ってきてもらえる。結構辛くて美味しい。ププセリアはエル・サルバドル滞在中ほぼ毎日食べることとなった。本当にどこでもあるのだ。メキシコのタコスと一緒だ。

この屋台でエル・サルバドル人が外国人に興味津々なことが分かった。

屋台の隣の席に、高校生らしき4人組がいて我々がたどたどしいスペイン語で注文している時、席で食べている時にチラチラ見てくるのだ。何度かガタイのいい肌のコンガリ焼けたアメフト選手のような青年が、ニコッと笑いやってきた。

「少し話しませんか?」

彼は言葉を発したと同時に我々のテーブルの席に座った。彼は18歳らしい。学校の授業で習っただけという英語は、結構ペラペラ話していたので驚いた。彼は、「何日エル・サルバドルに滞在するのか?、どこに行くのか?」など質問をしたあとに、

「エル・サルバドルについてどう思う?日本でこの国のことをどうおもっているの?」

と興味津々に聞いてきた。この質問に僕は少々戸惑った。「危険な国、青少年犯罪集団マラス、そして貧乏な国」としか知らなかったからだ。何を言おうか考えていると、奥さんが、「コーヒーが有名だよね」といったことに「そうそう」と焦って同意した。我々は日本という経済が世界有数の国で、東京という世界有数都市もあり、車、バイク、アニメ、スシなど世界的に有名なものがある国から来ているので、日本というと誰もが分かってくれる。(この後の旅を通して、これが間違っていたことを知ることになる・・・日本を知らない人はたくさんいる。中国以東の国々は全て中国と理解されている人も多くいる)

中には大のアニメファンなどもいて、我々以上に詳しい人も少なくない。そしてこれらは全てプラスの要素だ。この青年も、我々の第一声が「危険な国として知られている」と言うと分かってはいても残念な気持ちになると思う。この時、国の情報を見る時にポジティブな情報も同時に見るようにしようと思った。ププサも「エル・サルバドル 名物」とグーグルに聞けば簡単に出てくるはずだ。

実際に治安について聞いてみると、良くないと言っていた。全てではないが、地域によっては危ないから気をつけるように言われた。10分くらい話した後、「グラシアス!」と自分たちのテーブルに戻って行った。素敵な出会いだった。宿の人以外で、現地の人と話す機会は多くない。こういう大胆な彼のアプローチは、現地のことを知りたい我々としてはとてもありがたいことだ。

その後も、オジサンから話しかけられた。サンタ・アナに来てくれたことを嬉しく思っているようだった。こちらも嬉しい気分になった。この国をスキップしなくて良かった。

サンタ・アナ(Santa Ana)の街並み

半日、街の中心地周辺を散歩してみた。物価の安い国ではお腹が空いたらメルカド(市場)にふらっと行って、お腹を満たせるから好きだ。

通りに市場がずらっと並んでいる。中南米のよくある景色だ。

メルカド(市場)は大抵、倉庫のような大きな納屋の中にあり、コメドール(定食屋など食べる処をさす)がある。エル・サルバドルではププサが名物でこのメルカドにも多くあった。人々は基本的に優しい。屋台のおばちゃんも日本から来たと言うと、喜んでくれた。

街の中心には必ずカテドラル(カトリック教の大聖堂)がある。これも中南米では当たり前の風景だ。スペイン入植の影響は相当強い。

危険を感じることなく、街を歩くことができた。人々も優しい印象があった。

フアユア(Juayua)のマーケットへ~アメリカ大陸で一番物売りが多かったバス~

宿主カルロスからお勧めされたので、フアユアのマーケットに行ってみることにした。※マーケットは土曜日にのみ催されている可能性有り。

時刻表は以下の通り。

バスは中心地から歩いて10分くらいのところにある。バスを見た瞬間に、ものすごい懐かしさを感じた。フィリピンのジプニー(乗合バス)に似ているからだ。形は違うが、ごちゃごちゃに装飾する感じが似ている。

このバスが面白かった。バスを乗るなり、数えきれないくらいの物売りが前の扉から入ってきて、後ろの扉から降りるのだ。バラエティーにも富んでいて、ライスの上にチキンがのっているものから、デザート、ジュース、アイスとすぐに食べられるもの、玉ねぎ、トマトなどの野菜類、カトリック教のグッズ、タワシ、ライター、マッチ売りも現れた。既に、我々はアイスクリームを購入して、ペロペロ舐めながら面白がって物売りの商品を眺めていると、最後に綿棒売りが来た!そういえば、欲しかったことを思い出し、20,30¢で購入。中南米の物価の安い国では、あちらから何でもやってくるので面白い。

バスが発車したあとも、市場を抜けて、大通りまでの間約100メートルくらいだろうか、それまで物売りたちが途切れることはなかった。中南米を縦断し、現在南アフリカにいるが、このバスが一番物売りが多かったと記憶している。これだからローカルバスは楽しい。我々は出来る限りローカルバスを利用して旅をしているのは、安いからだけではない。正直、へたな観光地よりも楽しい。メキシコではバスにラッパーが入ってきたし、南アフリカではコントに巻き込まれた。(笑)現地の人々と空間をともにできるのが、何か楽しい気分になる。また、個人的な少ない旅の経験値からだが、特に危なくないはずだ。スリにだけ気をつければ良いと思う。

バスは山道を進み、フアユア(Juayua)に着いた。

バス:チキンバス Santa AnaからJuayua 所要時間:約1時間(記憶の限り) 費用:90¢/人(記憶の限り)

マーケットと聞いて、ローカルの人々の大きな市場を想像したが、そんなに真新しいことはなかった。辺りには市場もあったが、この赤いテントがメインのようで、歌っている人がいた。またお肉やシーフードの屋台が並んでいた。

一食5USD(記憶の限り)とかなり贅沢してしまったが、せっかく来たので奮発した。

通りでは行進があっていた。楽器隊や踊り子が何かを祝っていた。エルサルバドルはスペイン系と原住民(インディオ)の混血が国民の90%を占めるらしいが、顔つきは確かに目鼻立ちがしっかりしていて西洋的だ。昨日屋台で話した高校生らしき人達もそうだった。エルサルバドルマヤ文明の範囲ではないことが窺える。

 

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首都サン・サルバドル(San Salvador)経由の移動~親切をちゃんといただいて~

次の目的地を決めていなく、グーグルマップを見ながら行先を決めかねていた。距離的に一気にホンジュラスへ行く事もできるが、夜になるのはまずい。そして、エルサルバドルでもう一か所は訪れてみたいと思っていた。こういう時は現地の人に尋ねるのが一番だ。宿主のカルロスに尋ねると答えはすぐに出た。彼は、「スチトトに行けばいいさ。小さい村だがのんびりしてて良い」とお勧めしてくれた。それは、他のバックパッカーからスチトトが良いとよく聞くらしい。

こうして、スチトト(Suchitoto)に向かうことにした。カルロスからはバスターミナルから「#201」に乗って首都サン・サルバドルに向かい、そこで乗換すればスチトトに行けると聞いた時、「バスターミナル」とは昨日乗ったフアユア行のバス(チキンバス)のことかと思い、思い荷物を持って歩いて向かった。

しかし、ここはカルロスの言うバスターミナルではなかった。。

ここのことは何と呼ぶのか。ローカルバスターミナルか・・・たどたどしいスペイン語「#201に乗ってサン・サルバドルに行きたい」とチキンバスの運転手や係員っぽい人に聞くが、全く聞き取れない。。取り敢えず大通りの方と指をさしていたので、大通りまで行ってみたが、、バスターミナルっぽいところなど無い。果物売りのオジサンに尋ねると、この上の方だと指を指されたが、隣のオジサンと何か話し合った後に何かいろいろ言っていたが、理解できない。また取り敢えず指さされたほうに進むが全く分からない。そのまま少し歩いていると、左側におばちゃんと姉ちゃんが見えたため、「#201のバスでサン・サルバドルに行きたいのですが」と聞くと、けっこう離れた信号を指さして、あそこを右にまっすぐいくようなことを言っている。正確に言っていることが分からないため、言われたまま進んでいくことに若干躊躇いがあった。お礼を言って少し考えていると、2人が何か話し合った後、ついて来てと手招きしている。反対車線側から2人小柄な男性2人がやってきて、女性2人と話しあったあと了解したらしく、おいでおいでと手招きしている。軽トラのような車の荷台に女性たちが乗り出し、「乗って、乗って」と手招きしている。どうやら、バスターミナルまで連れて行ってくれるらしい!!今回は迷いはなかった。

軽トラは見た目の小ささとは裏腹に、ぐいぐい進んでいく。信号を右に曲がると勢いよく左斜めに向かっている若干の坂道を駆け上がっていく。おいおい。これは絶対歩けないやないか・・・(笑)この人たちが乗せてくれなかったら1時間はかかったのではないか。。荷台の上で出身地を聞かれたので日本と言うと、侍を知っているとのことだった。あとは、トヨタヤマハだ。エル・サルバドルは中国と日本の違いを知っているように感じる。余談だが。

坂道を登り切ってようやくバスターミナルに着いた。彼らは気持ちよくスマイルだ。我々も大声で「グラシアス!!(ありがとう)」と握手してその場を去った。ちょっとお金を払うべきか悩んだが、結論が出る前に彼らと別れてしまった。もちろん彼らはお金なんてもらうつもりはなかったのだが・・気持ちとして渡した方がいいと思ったり、いやお金を出すと逆に失礼になるかと思ったり。。

バスターミナルは意外にも小ぎれいな感じだった。エル・サルバドル人たちの優しさを感じながら、出発間近のバスに飛び乗った。このバスは大型のバスで乗合バスとは大きく異なる。日本でも高速バスに乗った事がある人が多いと思うが、それと何ら変わらない。

スチトトに行くにあたり我々の心配事があった。危険と言われているサン・サルバドル(首都)からスチトトまでの乗換だ。サンタ・アナに来て気をつければエル・サルバドルも危なくないと感じてはいたが、行ってみないと分からない。少なからず不安を抱えていた。バスに乗って一息ついたあと、運転手に、

「このバスはスチトト行のバスターミナルに止まりますか?」

「止まらない。乗換をする必要がある」

と言う。正確には分からなかったが、スチトト行のバスのバスターミナルまでは、別のバスを乗る必要があるようだ。着いてからまたじっくり誰かに聞く必要があると席に戻った矢先に、斜め前に座っていたオジサンが勢いよく話しかけてくる!!!ゆっくり言われても理解が難しいスペイン語なのに、早口のしゃがれ声で話してくるのでもう全く分からない。僕の声も大きいが、オジサンの声も大きい。これが功を奏したか、いやエルサルバドル人が親切な心が我々を助けた。右側の一番前に座っていた(我々の席から少し離れていた)女性が少し英語が話せるようで、通訳をしてくれた。

「彼がスチトト行のバスターミナルまで送ってくれると言ってるから、ついていけば大丈夫よ」

なんと。次々から次へ救いの手が差し伸べられる。なんと親切な国民性だ。2日前にグアテマラから来た時も、オジサンにホステルまで送ってもらった。そして、今日もオジサンに助けられている。通訳してくれた女性は途中で降りたが、降りる際に笑顔をこちらに向けて降りて行った。何とも温かい笑顔に癒された。その後、バスはサン・サルバドル市街地のバスターミナルに降りた。降りるなり、オジサンが「こっちだ」と我々を先導してくれる。ターミナル内の建物を抜けて道路に出て、バスを待つこと数分。スチトト行のバスターミナル行のバスにオジサンと乗った。運賃は25¢だったと思う。初めてのサン・サルバドルに緊張していたが、オジサンと一緒なので心強い。バスは運転手が音楽を鳴らしていて賑やかだった。風景は都会的な感じで特に真新しいものはなかったが、車窓から景色を見ていると機関銃を持った警官がバイクで2人乗りして警備しているのを見ると、やはり治安が良くないのかと想像してしまう。しかし、中南米を旅している人ならこの光景は珍しくはない。メキシコ北部でも荷台に5,6人の警官が機関銃を持っていたのを何度か見ているし、銀行や高価なものを取り扱っているお店の前にはだいたい銃を持っている警官がいたので、サン・サルバドルだけ特別という訳ではない。

車内でオジサンは途切れなく話しかけてきた。分かったことはオジサンはスチトトで働いているか、仕事でスチトトにこれから行くらしい。バッグから何かの証明者を出して見せてくれていた。しかし、それ以外のことはサッパリだった。(笑)それでもずっと話しかけてくるのは、さすがに途中から辛くなってきた。言っていることが分からないというのは、やはり大変だ・・オジサンの話しをフンフン聞き流しているうちに、バスはターミナルの中ではなく、近くの大通りで止まった。

スチトト行のバスはここに来るらしい。次から次へとバスはやってきて、スチトト行のバスは無事にバスはやってきた。#129がスチトト行だった

オジサンはこれに乗ればスチトトに行けると教えてくれた。本当に助かった。見知らぬ旅人をエルサルバドル人は助けてくれる。入国してからずっとだ。旅人を、いや困っている人を助ける優しい国民性なのかもしれない。安全に旅ができているのは、この人たちのお陰であるのは間違いない。

スチトト(Suchitoto)~インディオ(原住民)の兄弟と仲間たち~

親切なエルサルバドル人たちに助けられ、心配していたサン・サルバドルも難なく通過して無事にスチトトに着いた。(サン・サルバドルから1時間以上はかかった)スチトトに着いて驚いた。街が綺麗!それは建築物だけではない。清潔なのだ!!サンタ・アナは正直汚かった。ゴミがそこら中に落ちているというのもあるし、建物のペンキはボロボロに剥げていて、人も多いしかなり混沌としていた。サン・サルバドルもほんの1時間ほどしか滞在していないが、清潔な印象はない。通りにはゴミが多かったと記憶している。サンタ・アナから来ている分、スチトトも汚いと勝手に先入観を持っていた・・しかし、ゴミ一つ見当たらない!

だいたい事前に宿を予約する我々だが、今回はネット媒体(Airbnb、booking.com、Hostel World)で安い宿が見つからなかったため、サンタ・アナの宿主カルロスに紹介してもらった宿を見に行った。1件目は、1泊10USDが最安値で部屋も汚くはなくて許容範囲だったが、キッチンが外にあるのと立地が良くなかった。そして、もう1件目のホステルもすぐ近くにあった。

宿の前には3,4人プラスチックの椅子に座ってたむろしているオジサン軍団がいた。坂道を歩いていくと、「オラ~」と陽気なオジサンたちが笑顔で挨拶してくれた。「ここはホステル・ロス・サンチェスですか?」と聞くと、「そうだよ部屋見せてあげるよ」と早速ガタイのいいオジサンの方が部屋へ案内してくれた。安い部屋と事前に言っておいたため、奥の一番小さい部屋を見せてくれて、「1泊15USDで2日目から10USDでいいよ」とオジサンから値引してくれた。シャワーというよりジョウロのような蛇口でホットシャワーがなかったが(暑い地域のため水はぬるい)、キッチンもしっかりしていて、洗濯場と干す所、屋上から湖が見渡せて眺めもよく、迷わずここに決めた。旅を楽しむために宿は大事だ。

宿のオーナーのアルマンド(写真真ん中下)、3つ下の弟のナポレオン(写真左下)、ナポレオンの友人ラウール(写真左上)、従業員のホセ(写真右下)と毎日のように交流でき、居心地が良かった。

2泊の予定が気付けば7泊していた。特にナポレオンが我々をすごき気に入ってくれて、郊外でご飯やディスコにまで連れて行ってくれた。彼からの誘いはとても有難かった。(青少年犯罪集団マラスは街中にいないが、郊外には出没する可能性があると聞いていたため自分たちだけで郊外に行くのは気が引けていた。(マラスについては後述))エクササイズも誘ってくれて、朝5時からラウールも含めて公園で運動もできた。(ランニングで汗を流せたのは、数ヶ月振りだった)

写真は、村の裏にある湖でナポレオンと。

川魚(ティラピア?だったと思う)。臭みがなくて美味しかった。

村の中心のカテドラル(大聖堂)

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実際の治安について

エル・サルバドル入国前にこの国についてネットで検索するとまず初めにヒットするのが、青少年犯罪集団マラスのことだ。凶悪で警察もお手上げでマラスが街中を闊歩している・・・そんなことが書いてある記事もあった。ネットの記事に振り回されたくないが、どうしても意識してしまうのは当然だが実際はどうなのか?彼らに聞いてみたところ、こんな回答だった。

「街中は大丈夫。警察がいるからマラスは来ない。マラスは貧困層で郊外にしか住んでいないんだ。彼らも刑務所に入りたくないから、街には来ないから大丈夫だよ。ほら、あれがマラスのエリアだ」と宿の窓から遠くの土着の民家を指さした。

けっこう近くに彼らは存在するようだ。ただ、ネットで読んだような凶悪なイメージを彼らは持っていないようだ。実際に何度かスチトトの近くまで来たことがあるらしいが、警察が出向くとすぐに帰っていったらしい。

ただ、彼らのテリトリーに行ったら危ないだろうとのことだ。彼の話しがエル・サルバドル全体かどうかは分からないが、現地の人の言う事をちゃんと聞けば危険は避けられると思う。

インディオの末裔から聞くスチトトストーリー

宿のオーナーアルマンド、弟のナポレオンは純潔のインディオだ。インディオとはラテンアメリカにいる原住民全般のことを言うが、この2人も自分たちのことをインディオと言っていた。スチトトの中心地のすぐ側に大きな湖があり、そこに12のインディオの村があった。それまでは湖ではなくて川が流れていた。しかし1971年に政府の強引な決定により、水力発電建設が決定してそこに住んでいたインディオ達は強制退去を命じられ、現在地に移住してきたらしい。スチトトというの名前は、インディオの言葉で「花に鳥」とのことだ。

ホステルの中にはインディオの土器などが数多く飾ってある。その土器の中には、ナポレオンが沈められた湖のカサが低い時に取りに行った土器もあるとのことだ。2人は1971年に何歳だったか分からないが、この件に関して複雑な思いがあるのだろう。スチトトの住民はこのインディオの末裔たちが主なのか、スペイン人との混血(国民の90%が混血。ウィキペディア参照)なのかは分からないが、村の名前がスペイン語でないというのも我々旅人からすると何か興味をそそる。(スペイン人が侵略しているという歴史上、どうしても原住民の肩を持ちたくなってしまうのは我々だけだろうか)

また、この国が1980年から1992年まで内戦状態で、スチトトも内戦のエリアだったらしい。内戦のことについては聞いてないが、ナポレオンと友人のラウールは長い間アメリカで働いていたらしい。これも内戦後の経済不安定な状況が原因かもしれない。スチトトとは原住民インディオの末裔が多く住む、興味深い村であった。

ホンジュラスへ~もう不安はない~

2017年10月1日、スチトトからホンジュラスへバスを乗り継いで向かった。ホンジュラスもネットで検索すると恐ろしい記事ばかり出てきたが、もう恐れることはなかった。現地の人が普通に行き来している道を進むのだから問題はない。相変わらずバスの中では隣のおっちゃんに話しかけられる。寝ている時は起こしてまで、本を読んでいる時も話しかけてくるのだから面白い。観光客が少なく珍しいのもあるとは思うが、エル・サルバドル人の人懐っこいところは本当に旅を楽しませてくれる。観光らしきことはほとんどしなかったが、本当に訪れて良かった。スチトトにはまた必ず行きたい。お世話になったあの宿でもう一度のんびり過ごしたいものだ。

※写真はスチトトからサンマルティンまでのバス。

スチトト→サンマルティン(San Martín) 所要時間:1~2時間(記憶の限り)費用:70¢/人 

 

サンマルティン(San Martín)から乗換で、サンミゲルまで行く。

サンマルティン(San Martín)→サンミゲル(San Miguel) 所要時間:記憶に無し 費用:5 $/人 

サンミゲルからサンタ・ロサ デ・リマまで行く。

サンミゲル(San Miguel)→サンタ・ロサ デ・リマ (Santa Rosa de Lima) 所要時間:記憶に無し 費用:1$/人 

サンタ・ロサ デ・リマ から国境の街エル・アマティーヨまで行く。

サンタ・ロサ デ・リマ (Santa Rosa de Lima)→エル・アマティーヨ(El Amatillo) 所要時間:記憶に無し 費用:1$/人 

国境の街エル・アマティーヨのバス停を降りるとホンジュラスは目の前だ。人力車の客引きを断り、歩いて5分か10分か歩き税関へ。

そして、税関を済ませると後は川を渡ればホンジュラス入国だ。歩いて国境を渡るのは本当に気分が良い。また新しい国にゆっくり足を踏み入れる感覚が好きだ。また新たな出会いを求めてゆっくりと足をすすめて行った。

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