明日ちがう屋根の下

夫婦世界一周3年半の旅!73の国と地域へ訪問!大まかな旅路→フィリピン留学→オーストラリアワーホリ→NZからアラスカへ渡り陸路でアルゼンチン最南端ウシュアイアへ→南アフリカから陸路でエチオピア→キルギスから陸路でヨーロッパ→中東→南アジア→東南アジア→中国→韓国→帰国!

パナマ~北アメリカ大陸の終着点~

※写真はパナマシティにてホステルの仲間たちと。

2017年10月11日、僕らは中米最後の国パナマへ歩いて国境を越えた。世界一周12ヶ国目突入だ!!!

国境を越えるなり次の目的地ダビ(David)行のコレクティーボ(乗客が集まり次第出発のミニバス)を探していると、黒いおっちゃんから「そこだ!」と数十メートル先を指をさされた場所へ向かった。そこには既にダビ行のコレクティーボが待ち構えていた。どうしてこうも簡単に乗継ができるのだろうか。スケジュールされていないコレクティーボは事前に予定を立て難いように思えるが、そんなことは無い。超絶便利だ!!これまであまり待ったことがない。これが中米諸国の庶民の最強の足コレクティーボだ。バックパッカーには欠かせない旅のお供である。

国境→ダビ(David)所要時間:約1時間(曖昧)費用:2ドル/人 

こうして、スムーズにパナマ最初の目的地ダビに到着した。

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David(ダビ)~パナマシティまでの経由のために1泊~

日が落ちるまでにコレクティーボはダビ市街地に着いた。そこから、事前に調べておいた宿「Pensión Costa Rica」に泊まった。

部屋タイプ:ダブル 費用:18ドル 設備:キッチン無し、トイレ、シャワー付き(水シャワー)ホテルは古く綺麗でもないが、経由のための1泊なので特に気にならなかった。Wi-Fiの有無は覚えていない。

ホテル地図↓

ダビはコスタ・リカに比べて物価は安かったが、このホテルは古くて汚いので18USDは高いかな。しかし、パナマに入ってアフリカ系の顔立ちの人たちを多くみるようになった。ここはもう今までの中米の国とは違うのだ。少しではあるが自分たちが旅路を進めていることが分かる。街並みはコスタ・リカのような洗練されていなく、今までの中米諸国のような混沌さがあり懐かしさを感じた。

パナマシティ行のチケットをバスターミナルにて購入。

ターミナルの一番奥にパナマシティ行のバスチケット売り場がある。(15.25ドル/人 6,7時間)

日は既に暮れていて、ターミナルの食堂でディナー。値段は覚えていないが、300円~400円でひとプレート(チキンかビーフ入り)だった気がする。

ダビの中心地を歩いていて(夜も)危ない印象はなかった。中央の公園では子供達がダンスの練習をしていたが、そのダンスがヒップホップ系だった。やはりパナマはアフリカの臭いがする。パナマ中南米の他国と何ら変わりなく、スペイン入植の国だが、パナマ運河建設などで多くの黒人の労働者が来ていることもあり、人口の約70%は白人との混血なのだそうだ。

パナマシティへ~中米最後の都市~

翌日朝9時頃だったか、観光バスのような2階建てのバスに乗りパナマシティへ向かった。パナマシティに入る前にパナマ運河を横切ると、コンテナを積んだ大型貨物船が岸に停泊していた。これから大西洋に出てどこの国に向かうのだろうか。我々が大西洋を見るのはいつになるだろうか。大西洋を越えてアフリカ大陸に2018年2月中頃に行くことになるが、この時はまだまだアフリカ大陸という存在が遠く、未知の世界に感じていた。

バスは大きく立派なターミナルの2階に停まった。うむ。パナマもやはり発展している。しかし、バスを降りて建物の中へ向かって歩いていると下の空き地に100車以上のチキンバスが並んでいるはないか。パナマにもチキンバスが存在していて、少し嬉しくなった。

チキンバスは中米の名物とも言っていい。中米でロクに観光をしていないのだが、あのチキンバスを乗り継いでの旅はとても楽しかった。ローカルの人々と同じ空間を共にし、目的は違えど同じ方向へ走っていく。次々から次へと現れては去っていくモノ売りたち。キリスト教のバイブルを読んでいる人もいたな。ヤギや鶏を持ち込んでいた人もいた。そんなローカルの暮らしが垣間見えるチキンバスでまた旅がしたいなと思っていた。

しかし、近代的な都市のここでチキンバスが走っているところがあまり想像できない。実際に街中には路線バスが走っていてチキンバスを見ることは無かった。恐らく、郊外で活躍しているのだろう。

バスターミナルからは電車とバスを乗り継いでホステルへ向かった。

※乗車にはICカードが必要でターミナル内の窓口で購入できる。

バスで乗り継ぎ。毎度のように近くにいたひとにお世話になった。パナマ人も親切だった。

ホステルへはバス停から迷いながらも、10分ほどで着いた。最安値の宿はいかに。デジカメの修理があるため、長居することになる。居心地が良いことを祈りながらベルを鳴らした。

最高の出会い、そして最安値!!~パナマシティの宿での出会いは一生もの~

※写真は宿の踊り場にて、同じ宿泊客たちと(一部)

ベルを鳴らすと、彫りのめちゃくちゃ深い男がゲートを開けてくれた。とてもフレンドリーの男で受付まで案内してくれた。そして、この宿こそこの旅で一番(現在アフリカにいるがまだ更新していない)友達ができた貴重な場所となった。本当にこの宿に来て良かった!

宿情報☞Hostel danicole

部屋タイプ:ドミトリー(6人)費用:6.5USD/人 設備:Wi-Fi(遅いけど繋がる)、シャワー3つ(内1つはホットシャワー)、キッチン(コンロ6つ、冷蔵庫2つ)、洗濯場あり。

※ホステルワールドで予約するとこの値段になる。直接行くと定価で高い。10ドルはしたと記憶している。

カメラの修理に約1週間かかったことと、コロンビア(メデジン)行の航空券の安い日程を考慮したので、観光はあまりしていないが11泊と長期滞在となった。

宿の愉快な仲間たち

宿にはベネゼエラ人の携帯回線工事業者のおっちゃんたち13人とバックパッカー10人前後(チャリダー1人)といったような顔ぶれだった。

↓ベネゼエラ人たち(一部)

バックパッカーチャリダーたち。(一部)

ここで良かったこと。それは、ほとんどの仲間たちが1週間以上の長期滞在者であったことだ。普通のバックパッカー宿ではこんなことはない。

今回は中米最南端でコロンビアまでの陸路が無い(原住民居住地やコロンビアマフィアのテリトリー)。そのため、バックパッカーはどのようなルートでコロンビアへ上陸するか情報収集する必要があり、また、飛行機や船の日程に合わせるので必然的に長い滞在となるのだ。

ベネゼエラ人たちは仕事で1ヵ月ほど滞在していたため、仲間たちと毎日顔を合わせることで必然的に仲良くなれた。旅人の国籍もさまざまで、カナダ、アメリカ、コロンビア、スイス、ドイツ、アルバニアから来ていた。あと、バックパッカーではないがメキシコ人のチャリダー(自転車旅行者)、中国人、ロシア人もいた。そんな環境で過ごした11泊の中で、印象に残ったエピソードを紹介したい。

ザ・ラテンの男アレハンドロ

※写真は「アレハンドロ」を日本語で書いた紙と。すごく喜んでくれた。こういう時に日本語のありがたみを感じる。我々の言語自体が世界的に珍しいのだから。

この宿のゲートを開けてくれたとてもフレンドリーな男。それがアレハンドロだ。そして彼が今までに会ったことのない強烈なキャラで、テンションの高さ、ユーモア、優しさで溢れているすごい男だった!彼は我々を見るなり

「どこから来たの?チナ(中国)?」と聞いてきた。日本と言うと、「ブエノブエノ(いいねいいね)」と喜んでいた。彼は間髪入れずに「名前はなに?」と聞いてきたので、「パブロです」と答えると、「パブロ!!??パーブロー!!と大きな目を更に開いて喜んでいる。(僕の名前は中南米に入ってから覚えられにくく、つい数日前に奥さんからスペイン語名を付けてもらっていたのだ)

アレハンドロは喜びながらも、日本人で名前がパブロ(カトリック教の名前で中南米では有名な名前。もちろん僕らはカトリック教ではない。)ということにどうやらしっくり来ていないらしい。腑に落ちない顔していたから、中南米旅行用にスペイン語名を付けたと説明すると納得してくれたが尽かさず、「本名は?」と聞かれ、たつろうと答えると「カツロ!カツド!」とか言うので、何度かゆっくり発音して教えていると、「オッケーオッケー、パブロでいくよ!!Pabro de Japon!!(日本のパブロ)」と大声ではしゃいでいる。(笑)

そして、このムードメーカーのアレハンドロが毎日宿ですれ違う度に「パブロ!!!!」と大声で呼んでくることにより、他のベネゼエラ人たちもすれ違うたびに「パブロ!!」と呼び始め、しっかりパブロが定着したのだった。(笑)この日から約4ヵ月僕はパブロになった。

アレハンドロの真の優しさを知ったのは、宿に来た翌朝にカメラを修理に出すためカメラ修理センターに行くときのことだった。昨日購入したばかりの交通機関用のICカードのチャージをどこですればいいのか彼に尋ねたところ、彼も現地の人間ではなく、仕事では車で移動しているため知らなかった。

自分たちで何とかするよと伝えると、「ちょっと待って」と走ってバッグを2階に取りに行き、バモス!!(行こう)」僕らを先導している。どうやらチャージするところまで連れていってくれるようだ。

こうして、アレハンドロの引率のもとカメラ修理ツアーの始まりだった。結果、修理センターまで引率してくれたのだ!彼は本当に礼儀の正しい男だ。道を教えてもらった人とは必ず「ムチャス グラシアス!!(どうもありがとう)」とがっちし握手をするのだ。

お礼の仕方も見てて気持ちが良い。(この日からか、僕らも彼に倣い始めた。ただ道を聞くだけかもしれないが、丁寧にお礼を言って握手をすると相手も笑顔になるので楽しくなる。アレハンドロのように100%の人にという訳ではないが(笑))

どうやらカメラ修理センターまでは電車とバスを乗り継いでいくらしい。ICカードは電車の改札の前の機械で済まし、電車に乗ると彼がやはりラテンの男という事が分かった。電車で陽気に歌っている。そして目があった乗客に笑顔を振りまいている。そして電車を降りて、駅員や道端の人に道を聞いてガッチシ握手。乗換のバス停へ向かう。我々はアレハンドロの後ろを歩くだけだ。

そして、彼は一人で盛り上がることもできる。しかも大はしゃぎだ。バス停は反対車線にあった。通りは大きく交通量も多いため歩道橋を渡っていったのだが、必要以上に道が長いのだ!あんな歩道橋は今までかつて見たことがない。右へ左へ何回も繰り返してようやく上に登り、降りる時も然りだ。

何分あるいただろうか。歩道橋を降りた時、アレハンドロは嬉しそうにこちらを見てはしゃいで何か言っている。恐らく言っていたことは、「何やねんこの長さ!!!何十キロもあったわ!!バス乗る意味ないやないかい!!ガハハハッ!!」大声で喜んでこちらへ訴えかけてくる。(笑)確かにこの歩道橋を歩くなら、バスを乗る意味がないように感じた。それよりも、彼のはしゃぎ具合を見てこちらも爆笑してしまった。カメラの修理を出した後は、もちろんバスに乗らずに歩いて電車の駅まで向かった。歩道橋を通り過ぎたときに、彼はまた喜んで同じことを言っていた(笑)よっぽど面白かったのだろう。

彼の陽気さは止まらない。途中、ケンタッキーの前にカーネルオジサンの像があると写真を撮り喜んでいる。

宿に戻ると、次は「夕方プラヤ(ビーチ)まで歩いて行こう!!」と誘ってくれた。ビーチから見える夜景が綺麗らしい。パナマの治安は良くはないと聞いていたが、彼と一緒なら大丈夫だろうと思い一緒に行くことにした。「アレハンドロ夜景ツアー」は雨が止み次第出発ということで、夕方7時頃だったか宿を出発!

アレハンドロも初めてだったようで、道端で色々な人に道を聞いてはガシっと握手してお礼している。彼はいつでもテンションが高く、中国系のカジノの前で写真をパシャ。「チノ(中国人)だったよね?あっ違う違うハポネスハポネス(日本人)!!」と笑っている。パナマは発展している反面、車社会ということもあり歩道の整備は遅れている。歩行者用の信号は本当に少なく、大通りの車がビュンビュン通るところを走って渡らなくてはならないところも多い。

そんな道を通りながら僕らはようやくビーチに着いた。

ビーチにはヤシの木のような南国特有の大きな木をよく見かける。蝉の鳴き声がした。蝉の鳴き声を冷静に聞いていると日本の夏を思い出した。あぁなんか懐かしい。もう1年9か月くらい帰国していないことをしみじみ思った。

「アレハンドロ、日本にもこの煩い虫がたくさんいてこれ以上うるさいよ(蝉という単語が分からず「この虫」と指をさして説明した)。この虫(蝉)何てスペイン語でなんて言うの?」と聞くと、「ペルドン?(なんて)」と理解していない。

「ほら、蝉だよ。」とグーグル翻訳でスペイン語で引き、「Langosta」を見せると。「ランゴスタ?」と意味深な顔をしたが、「ランゴスタは日本にも多いんだね!美味しいよな~!」と、とびきり美味しい時の表情を見せてきた。ん?何か違うぞ。南米の人が蝉を食べるところを想像できないし、食べたとしてもそんな表情をして食べるものなのだろうか・・・いや彼は理解していない。

「この虫だよ。ほら、ジージー煩く泣いているやつ」とまた木を指さして、僕は両手の甲を腰に乗せて、蝉の羽のように見せた。すると、彼は「ん~・・・」と数秒唸ったあとに、「あっ分かった!!!それは噛むだろ!!??」「噛まんわ!!」なんで蝉が伝わらないんだ・・ベネゼエラにいないのだろうか。日本から見ると地球の裏側の南米だ。蝉がいなくても不思議ではない。しかし、彼もまた「ん~・・・」と唸ってしまった。彼は近くを通りかかったカップルに質問し始めた。スペイン語で何を言っているか分からなかったが、僕のマネをして手の甲を腰にあてて「ジージー!!」と必死にカップルに向かって説明していたのだけは分かった。(笑)そして、

「あーーー!!!!シガーラ!!!!パブロ!!シガーラだそれは!!!」

例外なく、アレハンドロはカップルとガッチシ握手して丁寧にお礼を言っている。最高だ。(笑)その後彼はこちらへ来て、はち切れんばかりの笑顔で「シガーラだ!うん。シガーラは噛まない!」と満足気だ。僕らはビーチで「蝉」を理解し合い熱いハグをしたのだった。(笑)

それにしても「蝉」を理解し合うまでに約10分かかった・・これが言語の壁だろうか。(笑)

シガーラ(Cigarra)とアレハンドロにグーグル翻訳に打ち込んでもらうと、「せみ」と出てきた。それでは「ランゴスタ」は何だったのか。スペイン語で打ち込んでみると・・・「ロブスター」と出てきた(笑)なるほど。美味しいはずだ。しかし、グーグル翻訳も考えものだ。蝉がロブスターなんて。そして、分からなかったことがある。噛むというのは、何の虫だったのか・・因みにせみはベネゼエラにもたくさんせみがいるらしい・・・

こうしてアレハンドロとの愉快な遠足は終わった。彼とは宿ですれ違う度に何かしら話しをしたし、丁寧にスペイン語も教えてくれた。彼を通じて他のベネゼエラ人たちとも仲良くできたし、とても居心地の良い滞在となった。今回の旅でベネゼエラに行けなかったが、この宿にいた人たちやこの後出会ったベネゼエラ人たちはみなフレンドリーで良い人たちばかりだった。今後チャンスがあれば、是非ベネゼエラに訪問してみたい。

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最強の女子バックパッカーのサラ

小柄で肌がコンガリ焼けていて、初め見た時に何人か分からなかった。アジア系にも見えるし、中南米の色々な血が混ざった人かとも思った。実際は両親が香港からカナダへ移民をしたので、生まれも育ちもカナダとのことだ。今までに多くのパックパッカーに会ってきたが、ぶっちぎりで彼女が最強のバックパッカーだ!!

旅なんて人それぞれだし、良し悪しの定義なんてないのだが、彼女を見ていると「すごい!!」と関心してしまう。なので、「最強」というか、すごい、もしくは超越した・・英語で言うとインクレディブル!!が当てはまるのではないか。

なので、彼女は「インクレディブルなバックパッカー!」ということにしておこう。

では何がすごいのか。まず旅の仕方がすごい。半年間ほとんどヒッチハイクで移動し、可能な限りハンモックもしくは民泊(Airbnbではない。田舎へ泊まろう方式だ)していたらしい。ハンモック!?と驚くと、「木が2本あればどこでも寝れるわ」と簡単に言われた。(笑)すごすぎる。

「でもね」彼女は続けた。「大抵の場合は、家の人が泊めてくれるのよ」話しはこうだ。

夜、民家へハンモックを片手に訪れて、敷地内の2本の木にぶら下げて寝ていいか聞く。了承してくれた大抵の人たちはハンモックではなくて、家の中で寝させてくれるらしい。こうして、彼女の宿泊費は「0円」となるのだ。それだけではない。彼女のスペイン語を流暢に話している。半年間の現地の人やヒッピーたちと会話しているなかで覚えたらしい。たいしたものだ。

荷物の少なさにも驚いた。20リットルくらいのデイバックにゴザがバックの横に刺さっているだけだ・・通常のバックパッカーの荷物の3分の1くらいしかないのだ。カメラは持ってなく、写真は携帯で撮影していたが、ヒッチハイクしている時にドライバーから盗まれて、1度は買い直したが、別の機会にまた盗まれたのをきっかけに携帯を持つことを諦めたらしい。そして、バッグの中身の半分以上は・・・・・・・

羊毛!!!

半年間の旅でそこら辺に落ちている羊毛を拾い集めたらしい。帰国してからその羊毛で何を作ると言っていたか忘れたが、もう発想がすごすぎる。

「安全」という面で携帯は重要だと思う。次の目的地の治安を調べたり、Maps.meで地図をダウンロードすればオフラインでも現地の地図が見れる。宿に関しても口コミから快適度以外にも宿周辺の治安や宿内のセキュリティもある程度分かる。彼女はそれらの情報を人から仕入れている。

中南米を旅行するにあたり、スペイン語で現地の人から、英語で旅人から情報が入手できる。彼女はその2言語を駆使して鮮度の高い情報を仕入れているのだ。そして、その言語能力に加えて彼女のコミュニケーション能力は半端が無い。宿の宿泊者、スタッフほぼ全員と仲良くなって情報を仕入れたり、観光について行ったり、ベネゼエラ人たちの車で彼らが休みの日にカリブ海に行っていた時について行ったりと、

100%一人旅のメリットを活かしているのだ。自分が知らなかった観光地に行くこともできるし、車でしか行けないところにも行ける。あっさりした性格も彼女のフットワークを軽くもしていて、国立公園に一緒に行った時の帰りには「じゃ、私はダウンタウンで買い物して帰るね。バーイ」とバスに飛び乗って行ってしまったこともあった。(笑)彼女は周りから、「ピンポンボール」と呼ばれていたくらいだ。

彼女を見ていると何か気持ちが良かった。何をするのも、会話するのもあまり躊躇いが無い。もちろん良い意味でだ。バックパッカーは旅の予算を如何に節約して楽しむかが大切になってくる。彼女はそういった面での能力に秀でていた。彼女の旅の予算は聞いていないが、相当安く抑えているのは間違いない。すごい旅人にパナマで会ったものだ。

北国ロシアのお婆ちゃんも風を引く!?

この旅初めてのロシア人との出会いだった。何歳だろうか。65歳から70歳くらいに見えた。名前はタティアナというらしい。ドミトリーで10泊同じ部屋で過ごしたのだが、彼女は問題児だった。

彼女は3言語(ロシア語、スペイン語、英語)をミックスして話す。基本英語で話すが、英語が分からない時にスペイン語スペイン語も分からないときにロシア語を混ぜてくる。話しが分かりにくいのはまだいいのだが、一番やっかいだったのは、「神経質な性格だ」

彼女は2段ベッドの下に滞在していたのだが、ある時は上のベッドがうるさくて眠れないと不満をなぜか僕に言い、ある時は、周りの宿泊者が挨拶一つしてこないと、これまた僕に不満をぶちまけてくるのだ。彼女は紅茶が好きで、いつも暇さえあればお湯を沸かしている。しかし、沸かしたお湯はしょっちゅう置きっぱなしで(忘れて)、誰かが使ってしまう。すると、毎回彼女はご立腹。受付に文句を言ったり、僕に愚痴をこぼしてくる。

では、なぜいつも僕に愚痴をこぼしてきていたのか。周りの人たちはこの面倒くさいお婆ちゃんを避けていて、話す機会が無かったのはあるが、それでも僕に愚痴をこぼす割合が多かった。

ある日、部屋で2人の時にタティアナがロシアのことや自分のことを話してきたときに理由が分かった。

「ロシア人の女性は中国人の男性と結婚することが多いのよ。中国人の男性は優しくて、しっかり働くからロシア人の女性は中国人男性と結婚したがるのよ。」

あぁそうなのか。地理的にも中国とロシアは近いし、両国の交流は日常的なのかもしれない。そのあと、彼女は続けて「あなたは中国のどこから来たのかしら?」

あー。なるほど。だから、僕に愚痴をこぼしてきていたのか。何か申し訳なく、「中国人ではなくて、日本人だよ」と伝えると、何かがっかりしたように、「そうなの?なんだ、ずっと中国人かと思ってたわよ・・」それから、少し態度が変わったように感じた。相変わらず愚痴はこぼしてくるのだが、話し方に親しみがないし自分のことも話さなくなった。

それからだったか、彼女の「究極の暑がり」がこの部屋の問題となった。この宿は夜8時から朝まで冷房がつくようになっているのだが、彼女は必ず18度に設定するようになった・・・部屋は狭いため、寝る時だけ部屋に入るのだが、凍えるような寒さだ!!!!!彼女のベッドを見るとぐっすりと寝ている。我慢できずに23度に上げた。それでも部屋はいっとき寒く、パナマなのにダウンに靴下を履いて寝るという始末だった。

翌日、彼女はご立腹だった。「誰が温度上げたの!?暑くて眠れなかったわよ!」寒すぎて風邪ひくよと言うと、「私のベッドは風が来ないから暑いのよ!」と少しヒステリックになっていた。本当に厄介なお婆ちゃんだ・・・(焦)

周りの宿泊者は彼女を避けるように、2階の部屋へ移っていったが僕ら夫婦は出遅れて部屋の移動をお願いしたができなかった。最強のバックパッカーのサラは同じ部屋にいたが、特段気になっていないようだった。ベッドの位置も良かったのだろう。僕ら夫婦のベッドは空調の風が直接あたる位置のため、凍えるような寒さだ。この夜、またタティアナが18度に空調を設定した。ベッドに戻る時に僕の方を目を細くして一瞥してきた。もう我々は腹をくくり、空調の風が当たらないように服をベッドの淵にかけ、真冬の恰好をして寝て凌いだがやはり寒かった。部屋はキンキンに冷えている。

そして、朝起きてタティアナのベッドを見ると、

めっちゃ寒そうにシーツにくるまって寝ているではないか!!!!!(笑)

もうクレイジー過ぎて笑えてくる・・・しかも、彼女はこの日から風邪を引いたのか、寝込んでいた!!!そしてこの日の夜から、この部屋は23度以下になることがなかったのである。(笑)

やっぱり苦手なドイツ人

長く旅をしている人なら高い確率で、同じ宿にドイツ人がいるかと思う。そしてそのドイツ人の中に、けっこう絡み難いひとたちがいるのである。もちろん、仲良くなったドイツ人も何人かいるが、僕の経験上どうも絡み辛い。中には嫌いだった人もいる。それでは何が他の外国人と違うのだろうか。僕の独断と偏見で書かせてもらう。(現在、日本を出て2年3ヵ月。今後の出会いで意見が変わる可能性があるが取り敢えず今のところの感想)

大きく分けて3つある。

①フレンドリーではない。

②言いたいことをハッキリ言う。

③英語が分かりづらい(文章が長い)

まず一つ目。「フレンドリーではない」もちろんフレンドリーな人も中にはいるが、無愛想な人も多いイメージだ。挨拶をすれば返ってくるが、何か素気ない。もし、こちらが挨拶をしなければ、あちらからするかは微妙である。基本的にどこか冷めている。そんな印象をどうしても持ってしまう。友達になってからは問題ないと思うが、旅で接する時間は少ない。その少ない時間で話したくなる、ならないは初対面で大きく変わってくる。

二つ目。「言いたいことをハッキリ言う」これも人によると思うが、思ったことを日本人のように我慢せずにバサっと言ってしまうイメージだ。パナマの宿にいた4人の内2人もそうだった。あるドイツ人女性と話した時だ。彼女は今までの旅で多くの日本人に会ってきたらしいが、彼女は日本人が理解できないらしい。

①ある日本人は、宿にいるとき誰とも話さずブログだけをしていた。

②ある日本人と一緒に観光をしたとき、1日で10センテンスも会話しなかった。

③ある日本人は、宿で出会った人たちと毎回同じ内容の自己紹介、旅の話しをするのは馬鹿げていると言っていた。

など、彼女は怪訝そうな顔で僕たちに話してきた。最後に日本人はクレイジーなのねと言われた・・・(笑)

さすが、日本人2人を目の前にバッサリ言ってくる。でもこういった意見もあると彼女を通して分かることができる。むしろ貴重な意見だ。日本人がどのように外国人(ドイツ人だけかもしれないが)に思われているかが分かる。その意見を聞いて、①、②は単に英語が話せないのが理由なのでは?と聞いてみた。すると全否定で、

「英語と関係無い問題だわ。彼らの中に英語が達者の人もいたわ。」そんなに日本人は変わっているだろうか。ドイツ人並みに日本人の旅人も多いはずなので、色々な人がいるのは当然だが。

同じ宿にいたドイツ人男性もそうだった。タティアナが室温を18度にした時、部屋に入ってきた瞬間に「ファッキン コールド!!!!」と速攻受付に行って、温度を上げた。(笑)また、タティアナが色々なことで文句を言っているのを傍から見て、「ここはドミトリーやぞ、老人ホームやないわ!!」とそれなりに大きい声で言っていた。(笑)これには笑わざるを得なかったが、さすがドイツ人と思った。このロシアのお婆ちゃんについては、ドイツ人女性も「これがロシア人よ」と翌日には2階の部屋に去っていった。

さて、最後。「英語が分かりづらい(文章が長い)」これも特徴的だ。他のヨーロッパ人との違いもこれだ。一つのセンテンスがやたら長い。加えて速いし発音もかなりソフトで聞き取りづらい・・・もちろん英語は上手いし、単語力もすごい。我々がペラペラになって対等に話せればこれは解消できるが、現状では毎回聞き直すのも苦労する。結果、絡みづらさに繋がる。

もちろん良い人も多いだろう。ただ、僕が旅を通して多くのドイツ人に会ってきた中でのドイツ人についての印象はやはりマイナスだ。しかし、これは旅を通してのちょっとした出会いの話しだ。ということを踏まえて受け取って欲しい。

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竹のチャリ~メキシカンチャリダー

我々が宿に着いた翌日、踊り場に行ってみると今までにみたことのないチャリが停まっていた。おぉぉ!!!竹でできたチャリがあるではないか。僕の好奇心は膨れ上がった!どこの人だ?誰が持ち主か出で立ちでだいたい分かる。チャリで旅をしている人たちの身なりは自然とボロボロになるのだ。(笑)

宿の階段で話しかけると、ずばり持ち主だった。デイヴィットというメキシコ人だった。メキシコシティ周辺からスタートして、一度アメリカへ北上してから南下してきて、この日にパナマシティに着いたとのことだ。竹のチャリを見て勝手に節約のために自分で造ったのかと思ったが、竹は他の材質より丈夫で、メキシコの知り合いの自転車屋で造ってもらったらしい。まだメジャーではないが、今一部の人の中ではけっこう流行っているとのことだ。

彼も同じ宿にいた他のバックパッカーたちと同じく、コロンビアに船で入るか、飛行機で入るか検討中だった。(最終的には船が高いため、飛行機にした)コロンビアから反時計回りに南米を一周したいと言っていた。今頃どこにいるだろうか。竹のチャリで彼が南米のどこかを走っている姿を想像すると何か楽しくなる。

国立公園~都会と共存するジャングル~

パナマシティのすぐ近くに国立公園がある。シティの側にジャングルのような自然があるのだから面白い。その国立公園に特段行きたかった訳ではなく、宿の友達に誘われたから行ってみた。

メトロポリタノ自然公園

ジャングルの中からダウンタウンが近くに見える不思議な場所だ。

国立公園内で見た動物たち。

一番見たかったナマケモノは遠目で見れた。

その他アルマジロも生息しているが、見れなかった。猿はけっこういた気がする。

交通費はバスの25セント(約30円)、宿から30分くらい。気軽に行ける国立公園だ。10月中頃は恐らく雨季で、雨が多いが長時間降ることはあまりなかった。スコールのような雨が降ることもあるのでその時は止むまで一休みしよう。

パナマシティ街歩き

パナマシティは他の中南米諸国に例外無く、新市街、旧市街が存在する。下の写真は新市街(ダウンタウン)の写真だが、この枠だけ見ると発展している都会だ。海岸線沿いは整備されていて、眺めも良く穏やかだ。ランニングやフットサル、野外ジム(筋トレ設備が揃っている場所が海岸沿いにある。無料。)、ダンスの練習をしているグループなどや、家族連れで散歩している人々などで賑わっている。(多少出店もあり軽食を食べることができる)

蒸し暑いのが難だが、散歩には気持ちよくて良かった。

夜景もなかなか良かった。

しかし、都会で綺麗なところのすぐ隣り合わせに雰囲気の良くない場所が存在する。貧富の差は歴然だ。我々は、整備されている大通りからふと横道に入ったら、いきなり雰囲気の悪いエリアに入りヒヤッとした。(旧市街内か若しくは近く)

歩いている時に、バイクに二人乗りした警官が機関銃を手にパトロールしていたのを見て、治安の悪いエリアということが窺えた。真昼間からクラブのような音楽が古いパブから聞こえてきていた。お酒も中で飲んでいる様子だ。後に詳細を記載するが、同じ宿の仲間3人が真昼間に別の場所(旧市街ではない)スラムで強盗に遭っている。

新市街と旧市街の間くらいに位置するか、メルカド(市場)で野菜も買える。(パナマシティは品揃えの充実したスーパーマーケットも多いのが、野菜、果物はメルカド(市場)の方が安い)

フィッシュマーケットのような市場もある。日本も設立に援助しているマーケットもあったが、僕らが行った時は開いてなかった。(たまたま営業時間ではなかったのかもしれない)下の写真はそのフィッシュマーケットから歩いて5分くらい行ったところだ。海鮮系は高くて何も買っていないが、興味本位で行ってみた。このマーケットの中に野菜や果物も売っている。

Langosta(ロブスター)も売っていた。とても大きい。

色々な魚が売られている。お金があれば近くにレストランが並んでいるので是非食べたいものだった。(日本が設立援助したフィッシュマーケットのすぐ目の前)

パナマシティは個人的に魅力的な観光地は無いと思う。カリブ海側などに足を伸ばす前後の拠点や、コロンビア入国方法についての情報収集をする場所にはいいかもしれない。また宿の仲間たちが数人、旧市街の歴史地区に行った人もいたが我々はあまり興味が持てなかったので行っていない。

パナマシティの治安~強盗に注意!~

パナマシティ滞在で絶対に気を付けたいこと。それは、いつの間にかスラムに迷い込むこむ可能性が高いということだ。そして強盗は昼間でも起こり得るということ。先述したが、同じ宿のスイス人2人とチャイニーズ・カナディアンが3人が真昼間にスラム内で強盗に遭いカメラやサングラスなどを奪われた。パナマシティのスラムは分かり易くはっきりエリアが別けられている訳ではない。何となく歩いていると自分たちの意思とは裏腹にスラムのエリアに入り込んでしまうのだ。

※彼らが被害に遭った場所は、我々の宿からそう遠くはないと言っていた。宿の周りは安全そうだったが、歩いて行ける範囲に貧しい人たちが住んでいるスラム的なエリアもあるということだ。

彼らが強盗された話しはこうだ。

彼らは帰り道に近道をしようとして路地に入った。路地に入った時に、数人のパナマ人から「そこは危ないから入るな!!」と言われて戻ろうとした時、一人の男が現れ「大丈夫だよ。俺と一緒なら問題無いよ」と誘導されてついて行ってしまったところ、途中で約10人に囲まれて首を後ろから絞められた。スイス人2人は(185センチくらいの大男でガタイも良い。一人は国の徴兵あがり(スイスには半年の徴兵がある))抵抗しようとしたが、強盗の一人が拳銃を見せた時にハンズアップしたらしい。カメラなどは盗まれているが、彼らに怪我はなかったのは不幸中の幸いだった。

※この状況下でも最強のバックパッカーサラは天才的な行動を取った。強盗に囲まれた時に、相手に自分からバックを投げ渡したとのことだ!!!強盗たちはバッグの中から財布を取り出し中身を確認したが、何も取らずに彼女にバッグを返した。

結果、彼女だけ損失が無いのだ。財布の中にカナダドル400ドルが入っているのにも関わらずだ・・・強盗はカナダドルを知らなかった。そして、彼女が瞬時にバッグを投げ渡したことでその通貨に価値が無いと思ったのだろう。インクレディブルだ。

その強盗事件を聞いた数日後、ヒヤリとしたことがあった。僕らは宿の仲間と3人でメルカド(市場)をMaps.meを見ながら探していた。Maps.meで目的地を見ると、大通りから1本路地を入ったとこだ。車やバス通りの多い道から1本中に入っただけのため、警戒せずに進んでいったのだ。すると、家の前に座っているオジサンが、

「ジャパニーズ!!!その道は入るな!!!デンジャラス!!!」と警告された。その時、3人はハッと顔を合わせた。つい先日聞いた強盗の話しを思い出したのだ。なるほど、これは気付きにくい・・・バスが通る大通りを1本中に入っただけだ。道の奥の方を見ると、確かに建物は古くさびれて見えた・・・我々は警告してくれた黒人のオジサンにお礼を言って、即座に踵を返したのだった。

パナマシティでは、遠回りでも大通りを通るように気をつけたい。他の国でも路地は歩かないようにしているが、経験上パナマシティが一番分かりずらかった。

コロンビアへ!!

2017年10月24日。無事にデジカメを修理が終わった僕たちは飛行機でコロンビアのメデジンに向かった。陸路にこだわる僕であったが、通れないものは仕方がない。日本にいる時に、コロンビアに行くなんて考えもしなかった。いや、世界一周を夢見てからはなんとなく通るのだろうと思っていたが、なんともピンと来ていなかった。南米。それは僕にとって遠く離れた異国としか捉えていなかったのだが、ほんの1時間で上陸だ。コロンビアと聞くと怖いイメージはあった。メキシコの時と同じ心境だ。

世界一周に行くと日本を出る時にまわりに伝えたときに、南米はやめた方がいい、強盗はみな銃を持っているなど言っているひともいた。メキシコに入るときも同じようなことは言われたし、エル・サルバドル入国の時にはネットの情報でビクビクしてもいた。しかし、危ないところか親切な人たちに毎度助けられてきた。コロンビアも優しい人で溢れているはずだ。そんな気持ちをもちながらも、コロンビアと聞くと少し身が引き締まった。

少しの不安とまた新しい大陸へ渡る高揚感を抱えながら、飛行機の離陸を楽しみに待っていた。

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